第55話『少しだけ、違う朝』
朝。
カーテンの隙間から差し込む光で、瑛太はゆっくりと目が覚めた。
起き上がらずに、そのまま天井を見てる。
外は静かだった。
遠くで車の音がかすかに流れているぐらい。
目が覚めた頭に、昨日のことが少しずつ浮かんでくる。
川沿いの道。
風。
並んで歩いた距離。
「……好きや」
自分の声が、まだどこかに残っている。
目を閉じる。
息をひとつ、深く吸う。
「……マジか」
小さくこぼして、しばらくそのまま目をつぶる。
気づくと、口元がわずかに緩んでいた。
体を起こして、床に足をつける。
ひんやりした感触で、少しだけ現実に戻る。
裸足のまま洗面所に向かい顔を洗う。
水音が、静かな部屋に響いた。
鏡を見る。
濡れたままの髪をかき上げながら、しばらく自分の顔を見てみる。
「…何か…ちゃうか…」
昨日までと同じはずなのに、どこかだけ違う気がした。
そのとき、ポケットのスマホが震える。
短く、乾いた音。
取り出して画面を見る。
星羅。
『おはよう』
その文字を見たまま、指が止まる。
少しだけ息を吸ってから、親指を動かす。
『おはよ』
送る。
すぐには閉じず、そのまま画面を見ていると、また震えた。
『今日もよろしくね』
「……」
小さく息を吐く。
「……こちらこそ、やな」
スマホをポケットに戻して、外に出る。
朝の空気は少し冷たくて、思ったよりも胸に入ってきた。
待ち合わせ場所には、もう星羅が来ていた。
光の中で立っているのが見えて、足が少しだけ止まる。
目が合う。
向こうも気づく。
ほんの一瞬、それだけやのに――
空気が、少し変わった気がした。
「……おはよう」
星羅が、少しだけ笑う。
「おはよう」
瑛太も返す。
そのまま少し並んで立つ。
言葉は出ない。
でも、気まずくはなかった。
昨日より近い。
けれど、まだ触れない距離。
「……行こか」
「うん」
歩き出すと、自然と歩幅が揃う。
靴音が、ゆっくり重なっていく。
「……なあ」
瑛太がぽつりと言う。
「ん?」
横を見ると、視線が一瞬だけ合う。
「……なんか、近ない?」
自分でも曖昧な言い方やと思いながら、そのまま出す。
星羅は一度だけ足を止める。
少し視線を落としてから、また上げる。
「……うん」
小さく頷く。
「ちょっと、近い」
「……せやろ」
思わず、少し笑う。
「……でも」
星羅が続ける。
指先が、スカートの端を軽くつまんでいる。
「嫌じゃないよ」
その言葉が、少し遅れて届く。
「……俺も…やな」
短く返す。
でも、目は逸らさない。
スタジオへ向かう道。
人が増えてきて、いつもの朝に近づいていく。
「……仕事、ちゃんとやろな」
「うん」
「そこは、絶対や」
星羅が頷く。
その横顔が、少しだけ引き締まる。
少しして。
「……終わったら」
「ん?」
星羅が視線を逸らす。
「……また、行こっか」
「……どこに?」
わざと聞く。
星羅が、少しだけ笑う。
「……川沿い」
小さく。
「……ええな」
瑛太も、少しだけ笑う。
スタジオの前で立ち止まる。
ドアの前で、ほんの少しだけ間ができる。
「……行くで」
「うん」
一歩踏み出した、そのとき。
ほんの少しだけ、手が触れる。
一瞬、止まる。
どちらも引かない。
そのまま、指先がそっと重なる。
自然に、握る。
「……行こか」
「うん」
ドアを開ける。
中は、いつもの空気。
笑い声と、機材の音。
でも。
二人の呼吸だけが、少しだけ変わっていた。




