第49話『届かないところからの言葉』
昼。
喫茶アルデンテ。
いつもの席。
「……じゃあ、今日は休みにするか」
瑛太が台本を閉じる。
「マスターにも言われたしな」
星羅は少しだけ考えてから、頷いた。
「うん、その方がいいかも」
まだ少しだけ本調子じゃない声。
でも、無理はしていない。
「じゃあ、また明日」
「うん」
短いやり取り。
それだけで、十分だった。
店を出る。
春の空気が、少しだけあたたかい。
風が、やわらかく吹く。
「……帰るか」
「うん…」
並んで、歩き出す。
*
夜。
部屋。
カメラの前。
「どうも〜、瑛太です」
軽く手を振る。
「いや〜、今日はね」
「春めいてきましたねぇ」
少し間を置いて。
「……だから、お酒を飲みたいと思います」
自分で笑う。
「え?関係ないって?」
「春めいてんねんで?」
「そら、飲まなあかんやろ」
「次は梅雨めいてきたら飲む」
一拍。
「……ま、いつも飲んでんねんけどな」
「ガハハハ」
いつものテンポ。
いつもの軽さ。
「ほな、質問コーナーいくで〜」
画面をスクロールする。
「……って何やこれ」
思わず笑う。
「星羅のことばっかりやないかい」
少し声を張る。
「“星羅ちゃんかわいい”」
「“彼氏いるんですか?”」
「“付き合ってるんですか?”」
一拍。
「……知るかぁ!」
カメラに向かって突っ込む。
「ここは俺のチャンネルやぞ!」
「気になるんやったら星羅に聞け!」
「今度チャンネル作らせたるわ!」
自分で言って、少し笑う。
「ほな、いつものいくで」
「“ボケたもん勝ち”のコーナー」
「一番おもろかったやつには――」
少し間。
「売れ残りのハイパーロケッツのキーホルダーやる」
ニヤッと笑う。
「ペンネーム、鯖の暴走さん……」
*
「ほな、今日はこのへんで」
「みんな、飲みすぎんなよ」
カチッ。
スイッチを切る。
部屋が、静かになる。
「……ふぅ」
背もたれに体を預ける。
「結構飲んだな……」
少しだけ、頭が重い。
「……ツマミでも買いに行くか」
立ち上がる。
外に出る。
春の風。
少し湿った空気の匂い。
「……」
コンビニの灯り。
その前に――見覚えのある背中。
「マスター」
手を上げて、駆け寄る。
「おう、瑛太か」
振り向く。
「……って、結構飲んでるな」
「仕事終わりですよ」
肩をすくめる。
「飲んで突っ込むのが副業なんで」
「なんだよそれ」
小さく笑う。
一拍。
「……まだ飲めるか?」
「全然大丈夫ですよ」
即答。
マスターは、少しだけ頷いた。
「じゃあ、付き合え」
「はい」
自然に答える。
*
暖簾をくぐる。
小さな割烹居酒屋。
「毎度」
マスターが声をかける。
「こんばんは〜」
瑛太も続く。
「あら、相原さん」
カウンターの向こう。
女将が顔を上げる。
「……あら、可愛らしい坊や」
「誰が坊ややねん」
小さく突っ込む。
マスターは、もう座っている。
「女将、お銚子二丁」
「はいはい」
コトン、と音がする。
酒の匂いが、ゆっくり広がる。
「……マスターって、相原さんやったんですね」
お猪口を持ちながら。
「初めて名前知りましたわ」
軽く笑う。
マスターは、少しだけ間を置いて。
「……星羅の叔父だ」
「……え?」
固まる。
「えぇぇぇ!?」
思わず声が上がる。
「そうなんすか!?」
「ああ」
淡々と。
「星羅の父親は、俺の弟だ」
「……」
一気に酔いが引く。
「……そうやったんですね」
お猪口を見つめる。
少しだけ、静かになる。
マスターが、酒を注ぐ。
とくとく、と音。
「瑛太君」
低い声。
少しだけ、空気が変わる。
「……はい」
背筋が、伸びる。
「星羅に――悲しい思いだけは、させないでくれ」
一拍。
「……」
瑛太は、何も言えない。
「君は冗談でもな」
「……あの子は、そのまま受け取る」
静かに続く。
「真っ直ぐな子だ」
「だから――」
ほんの少しだけ、間。
「優しくしてやってくれ」
「……頼む」
コトン。
お猪口を置く音。
その言葉だけが、残る。
「……はい」
小さく。
でも、はっきり。
「……わかりました」
それしか、言えなかった。
「はい、お通しね」
女将の声。
空気が、少しだけ戻る。
でも。
さっきの言葉は、消えない。
ゆっくりと、夜は更けていった。




