第45話:ちゃんと、隣に
朝の光が、少しだけ強くなっていた。
時計は、9時を回っている。
「……あっ」
ふと思い出して、瑛太はスマホを取り出した。
「島原さんに連絡……」
LIMEを開く。
少しだけ考えてから、打ち込む。
――星羅に薬と冷却シート、ゼリー渡しました。収録終わりにまた寄ります。
送信。
すぐに既読がついた。
――ありがとう。お礼はする
「いや、別に……」
小さく笑う。
――収録行ってきます。
――先方には伝えてるから。挨拶ちゃんとね。リラックス
「……はい」
短く返して、スマホを閉じる。
ふう、と息を吐く。
風が吹いた。
若葉が、さらさらと揺れる。
さっきまでいた部屋の空気とは違う。
外の空気。
仕事の空気。
「……よし」
顔を上げる。
「行くか」
*
テレビ局。
楽屋に入ると、時計はまだ11時前だった。
少しだけ早い。
荷物を置いて、またスマホを開く。
――楽屋入りしました。
すぐに返信。
――お疲れ。一人やけど、頑張って
――挨拶は基本。あと、深呼吸。
「……了解です」
そのまま、もう一つ。
――楽屋着いたから、気にせんで寝ときや。返事いらんからな。
送信。
既読は、つかない。
「……まあ、そらそうか」
小さく呟く。
少しだけ、指が止まる。
(ちゃんと寝てるか……)
頭を振る。
「……今は、こっちや」
スマホをポケットにしまう。
「さて、と」
立ち上がる。
「挨拶回りやな」
*
廊下を歩く。
スタッフ、共演者、プロデューサー。
一人ずつ、丁寧に頭を下げていく。
「ねこごはんの瑛太です。本日はよろしくお願いします」
最初は少しだけ硬かった声も、
何人か回るうちに、いつもの調子に戻っていく。
その途中で。
足が、止まった。
楽屋の前。
プレート。
――一ノ瀬 司
「……」
一瞬だけ、息を止める。
ノック。
コン、コン。
『はーい』
柔らかい声。
「本日お世話になります、ねこごはんの瑛太です。ご挨拶よろしいでしょうか」
『どうぞー』
ドアを開ける。
「失礼します」
中に入った瞬間。
ふわりと、香水の匂いがした。
整った空間。
整った人。
「今日は一人なんだって?」
一ノ瀬が、にこっと笑う。
「はい……星羅が熱で」
「聞いてるよ」
軽く頷く。
そのまま、少しだけ首をかしげた。
「どう? 今日のロケ、俺と一緒に回る?」
「……え?」
思わず顔を上げる。
「助っ人ってことで」
軽い調子。
でも、目はちゃんと見ている。
「ディレクターに確認はいるけどね」
一瞬。
迷う。
――正直、助かる。
――でも。
「……いや」
小さく息を吸う。
「すみません」
顔を上げる。
「俺の隣は、星羅なんで」
一拍。
「今日は、一人でやります」
少しだけ、空気が止まる。
それから。
「……そっか」
一ノ瀬が、ふっと笑った。
「いいね」
視線が、まっすぐ向く。
「君、いい目してる」
一歩だけ近づく。
「星羅が惚れるの、分かるわ」
「いや、あの……」
言葉が詰まる。
「そんなんじゃ……」
「違うの?」
楽しそうに首をかしげる。
「……」
返せない。
一ノ瀬は、くすっと笑った。
「まあいいや」
軽く手を振る。
「スタジオからフォローはするよ」
「ロケ、頼んだ」
「……はい」
頭を下げる。
ドアに手をかけた、そのとき。
「あ、そうそう」
振り返る。
一ノ瀬は、少しだけ目を細めていた。
「女心ってさ」
一拍。
「時間経つと、どっか行っちゃうから」
にこり。
「気をつけなよ」
「……はい」
よく分からないまま、頭を下げる。
「失礼します」
*
ロケは、思っていたよりもずっと早く流れた。
最初の一言。
最初の間。
そこさえ越えれば、
あとは体が勝手に動いた。
ツッコミ。
リアクション。
間の取り方。
全部――
隣にいないのに、
隣を感じる。
(……おるみたいやな)
頭の中に、星羅がいる。
だから、崩れない。
一ノ瀬の的確なフォローもあって、
収録は、無事に終わった。
「いやー、三谷くん」
プロデューサーが笑う。
「良かったよ、今日」
「ありがとうございます」
頭を下げる。
「来週は相原さんと、また頼むね」
「はい、よろしくお願いします」
その横で。
「お疲れ」
一ノ瀬が、軽く手を上げた。
「今日は、ちゃんと一人でやり切ったな」
「……ありがとうございます」
「次は“二人”のねこごはん、楽しみにしてるよ」
にこっと笑う。
そして――
少しだけ近づいて。
「……早く告れよ」
小声。
「っ!?」
固まる。
「いや、あの……」
「はいはい」
肩をぽん、と叩かれる。
「お疲れ様」
「……お疲れ様でした!」
ほぼ逃げるように、頭を下げる。
そのまま、外へ出た。
*
外の空気。
「……なんやねん」
思わず、声が漏れる。
「一ノ瀬さんも、島原さんも……」
頭をかく。
「意識してまうやろ……」
そのとき。
「おーい」
聞き慣れた声。
振り向く。
「島原さん……」
そのまま、へたり込む。
「し、ま、ば、らさぁん……」
「はいはい、お疲れ」
肩を、ばしばし叩かれる。
「痛い痛い!」
「よく頑張ったやん」
にやっと笑う。
「今日はありがとね」
「……いえ」
少しだけ息を整える。
「で?」
島原が、くいっと顎を上げる。
「行くよ」
「……はい」
立ち上がる。
「星羅のとこ」
一瞬。
空気が変わる。
「……はい」
さっきより、少しだけ強く頷く。
並んで歩き出す。
ポケットの中。
鍵の感触。
――ハイパーロケッツ
ぎゅっと、握る。
「……」
言葉はない。
でも。
足は、止まらない。
その先に。
ちゃんと、待ってるから。




