第43話『祝杯』
夜。
居酒屋の暖簾をくぐると、焼き物の香ばしい匂いと、人の声がふわっと広がった。
「お、ええ感じやな」
瑛太が店内を見渡す。
「落ち着いてていいね」
星羅も、少しほっとしたように笑った。
「はいはい、こっちこっち」
先に席を確保していた島原が、手を振る。
三人で席に着く。
ほどなくして、飲み物が運ばれてきた。
島原がグラスを持ち上げる。
「じゃあ――」
にやり、と笑う。
「ねこごはん結成祝い」
「「乾杯」」
グラスが軽くぶつかる。
カラン、と小さな音。
その響きが、なんだかくすぐったい。
「……ねこごはん、かぁ」
瑛太が、少し照れたように呟く。
「まだ慣れへんな」
「私は好きだよ」
星羅がすぐに返す。
「なんか、私たちらしいし」
「ほんま?」
「うん」
迷いなく頷く。
その顔を見て、瑛太は少しだけ笑った。
「なら、ええか」
「いや、よくないでしょ」
島原がすかさず口を挟む。
「もうちょっとこう、売れそうな名前とかあるやん?」
「え、今さら変えるんすか?」
「冗談よ」
くすっと笑う。
「でも、覚えやすいのはいいわね。“ねこごはんの街ブラ”とか、すぐ浮かぶし」
「あ、それ言ってた」
星羅が嬉しそうに頷く。
「番組とか出る時、絶対いいよね」
「お、ええやんええやん」
瑛太も乗る。
「ねこごはんの〜って言われたら、なんかええ感じやしな」
「で?」
島原が、ぐいっと顔を寄せる。
「付き合ってないの?」
「付き合ってません」 「付き合ってません」
即答。
「息ぴったりやなぁ」
ニヤニヤ。
「やっぱ怪しいわぁ」
「だから結束力ですって」 「そうそう、コンビとしてのな」
「はいはい」
完全に楽しんでいる顔だった。
その後も、他愛ない話が続く。
ネタの話。
番組の話。
ちょっとした失敗談。
笑い声が、自然とこぼれる。
やがて。
島原がグラスを置いた。
「さて、と」
「私はここまで」
立ち上がる。
「え、もう帰るんですか?」
「明日も仕事あるのよ」
肩をすくめる。
そして、二人をちらりと見た。
「若い二人は――ごゆっくり」
にやり。
「じゃあね」
ひらひらと手を振って、店を出ていった。
一瞬。
静かになる。
さっきまでの賑やかさが、少しだけ遠くなる。
「……ほんま、嵐みたいな人やな」
「ふふっ、本当に…」
グラスに残った氷が、からりと鳴る。
少しだけ、間。
星羅が、そっと口を開いた。
「……ねえ」
「ん?」
瑛太が顔を上げる。
星羅は、少しだけ視線を逸らした。
「決勝戦の本番前にさ」
一瞬、空気が止まる。
「『笑顔、忘れんな』って」
ぽつり。
「……あれ、ずっと残ってて」
小さく、息を吐く。
それから、少しだけ笑った。
「ちょっと、かっこよかったよ」
瑛太の動きが止まる。
「……は?」
一拍。
「いや、それ……」
言葉を探す。
「“あの日”ってなんやねん……」
星羅は、くすっと笑う。
「そのままだよ」
グラスに口をつける。
「別に、深い意味ないし」
さらっと言う。
でも。
その言い方が、少しだけ優しい。
瑛太は、何も言えなくなる。
グラスを持ったまま、少しだけ視線を落とす。
「……なんやねん、それ……」
小さく呟く。
星羅は、何も答えない。
ただ、少しだけ笑っている。
店を出る。
夜の空気が、少しひんやりしていた。
並んで歩く。
言葉は、少なめ。
でも、不思議と気まずくはない。
「……なんか」
瑛太がぽつりと呟く。
「変な感じやな」
「何が?」
星羅が横を見る。
「いや……」
少しだけ迷って。
「ちゃんと“コンビ”になった感じ」
星羅は、少しだけ笑った。
「今さら?」
「今さらや」
同じやり取り。
でも、少しだけ意味が違う。
信号で止まる。
赤い光。
夜風が、二人の間を抜けていく。
「……ねこごはん、か」
星羅が小さく呟く。
「うん」
瑛太も頷く。
少しの間。
「……いい名前だね」
「せやな」
信号が青に変わる。
二人は、並んで歩き出した。
ほんの少しだけ。
さっきより、距離が近かった。




