第30話 『笑いの入口』
呼ばれた瞬間、
空気が一度、止まった気がした。
「次のコンビ、どうぞ!」
その声で、現実に引き戻される。
瑛太は、一歩踏み出す。
足の裏に伝わる床の感触が、やけに鮮明だった。
星羅も、その後に続く。
何も言わない。
でも——
隣にいる。
それだけで、十分だった。
舞台へ上がる。
ライトが当たる。
一瞬だけ、視界が白くなる。
客席は、見えるようで見えない。
けれど確かに、“見られている”。
位置につく。
ほんの一瞬、目が合う。
——いくで。
言葉にはしない。
でも伝わる。
小さく息を吸い込む。
瑛太が口を開く。
「どうもー」
最初の一声。
少しだけ、硬い。
「そういえば、お化け屋敷でバイトしてたんやって?」
「はい、1日でクビになりました……」
笑いは、まだ小さい。
客席が、こちらを測っている。
「ちょっとやってみて」
「はい」
星羅がスッと空気を落とす。
「……おばけだぞ〜」
「いや、自己紹介すな!!」
一つ目のツッコミ。
少しだけズレる。
でも——
流れは、途切れなかった。
「シャー……」
「おっ、ええやん」
「シャー……」
「うんうん」
ここで、ふと。
星羅の動きが変わる。
一歩、前に出る。
迷いがない。
「シャーー!!フニャー!」
客席から、クスッと笑いが漏れる。
「……ちょっと待て」
一拍。
「それ、猫やないかい!!」
笑いが一段、広がる。
——いける。
瑛太の中で、スイッチが入る。
「おばけ猫です」
「ジャンル増えとるやないかい!!」
流れが、つながる。
客席の空気が、少しずつ変わる。
「……お腹なでなで、触れますよ?」
「余計あかんわ!!」
笑いが、返ってくる。
確実に。
「……逃がしませんよ?」
「怖さの方向変わってもうてるやん!!」
もう止まらない。
二人の呼吸が、ぴたりと合う。
視線も、間も、全部。
「……私は一体、何なんでしょうか」
静かな一言。
一瞬の間。
「知らんわ!!」
——ドッと笑いが起きた。
一番大きな波。
そのまま、流れきる。
「どうも、ありがとうございました!」
頭を下げる。
拍手。
大きすぎるわけじゃない。
でも——
確かに届いた音。
袖に戻る。
息が少し上がっている。
数秒、言葉が出ない。
やがて——
「……今の」
瑛太が口を開く。
星羅も、同時に言う。
「……今の」
一瞬、間があって——
笑った。
「いけたかな?」
「いけたかも」
その一言で、十分やった。




