第29話 『笑いの温度差』
袖で立ちながら、
瑛太は舞台を見ていた。
ライトの熱が、わずかに伝わってくる。
客席のざわめきが、波のように揺れている。
呼吸が、少しだけ浅い。
「……次、近いな」
ぽつりとこぼす。
星羅は、小さくうなずいた。
「はい……」
その声は、少しだけ硬い。
手が、わずかに握られている。
瑛太は横目で見る。
「緊張してる?」
「……ちょっとだけ」
正直な答えだった。
一拍。
瑛太は小さく笑う。
「俺もや」
星羅が少しだけ顔を上げる。
それ以上は言わない。
言葉にしなくても、分かる距離だった。
そのとき——
「次のコンビ、どうぞ!」
呼ばれる声。
二人は同時に、舞台へ視線を向けた。
——柊と田中。
迷いのない足取りで、舞台に上がる。
ヒールの音が、乾いたリズムで響く。
無駄のない立ち姿。
それだけで、空気が一段引き締まる。
「どうも」
最初の一声。
客席のざわめきが、すっと収まる。
——強い。
瑛太は、無意識に息を止めていた。
ネタが始まる。
テンポ。
間。
視線。
どれもが、整っている。
笑いも起きる。
確実に。
狙ったところで。
「……すごいな」
小さく、瑛太がこぼす。
星羅は答えない。
ただ、じっと見ている。
けれど——
ふと。
違和感が混ざる。
同じリズム。
同じ間。
同じ流れ。
——変わらない。
次のボケ。
笑いは起きる。
でも、さっきより少しだけ弱い。
また次。
同じ温度。
同じ取り方。
客席の反応が、わずかに鈍る。
「……あれ」
瑛太の目が細くなる。
田中の声が、ほんの少しだけ強くなる。
柊も、それに合わせる。
テンポが、上がる。
——詰めた。
間が、なくなる。
次のボケ。
一拍、早い。
客席が、追いつかない。
笑いが、起きない。
一瞬の空白。
その空白を埋めるように、次へ行く。
でも——
今度は、被る。
小さなズレ。
それが、連鎖する。
笑いは、まだある。
けれど、
“取りにいっている笑い”に変わる。
客席が、少し引く。
空気が、重くなる。
田中の視線が、客席をさまよう。
——なんでや。
その色が、浮かぶ。
柊は崩さない。
だが、修正に入る分だけ、流れが硬くなる。
ネタは、そのまま最後まで走り切る。
「どうも、ありがとうございました」
頭を下げる。
拍手は、ある。
でも——
さっきのコンビとは、違う。
温度が、違う。
袖に戻ってくる二人。
田中は無言。
柊は表情を崩さない。
だが、足音がわずかに荒い。
すれ違う一瞬。
田中が、こちらを見る。
何かを言いかけて——やめた。
そのまま、通り過ぎる。
静けさが落ちる。
星羅が、小さく息を吐いた。
「……」
言葉が出ない。
瑛太も、すぐには何も言わない。
数秒。
それから——
「なぁ」
「はい」
「……勝負って、分からんな」
星羅は、ゆっくりとうなずいた。
「……はい」
舞台の上で起きたことが、
まだ胸の中で揺れている。
上手いのに、滑る。
完成しているのに、届かない。
さっきまでの“想像”が、少しだけ崩れる。
それでも——
「……次、俺らやな」
瑛太が、小さく言った。
星羅は、一瞬だけ目を閉じて——
「はい」
開いた目には、迷いがなかった。
呼ばれるのを、待つ。
袖の空気が、少しだけ重くなる。
でも——
逃げる理由には、ならなかった。
二人は、そのまま前を見た。




