第27話 『初めての観客』
稽古場の空気は、昨日よりも少しだけ張りつめていた。
鏡の前。
向かい合う二人の間に、静かな緊張が流れている。
「……もう一回いくか」
瑛太が軽く首を回しながら言う。
「うん」
星羅は小さくうなずいた。
昨日掴んだ感覚は、まだ体の奥に残っている。
けれど、それを再現できるかどうかは別の話だった。
そのとき——
「やってる?」
不意に、扉が開いた。
振り向くと、島原マネージャーが立っていた。
いつもの軽い笑み。
けれど、その目だけは静かに二人を見ている。
「お、ちょうどええとこや」
瑛太が軽く手を上げる。
「ちょっと見てもらってもいいですか?」
島原は肩をすくめた。
「いいよ。ちょうど時間あるし」
その一言で、空気が変わる。
星羅の呼吸が、ほんの少し浅くなる。
——見られる。
ただの稽古じゃない。
“評価される側”に立つ。
瑛太はちらっと星羅を見る。
目が合う。
小さくうなずいた。
「ほな、いきます」
位置につく。
一拍。
「そういえば、お化け屋敷でバイトしてたんやって?」
「はい、1日でクビになりました……」
すっと空気が落ちる。
「ちょっとやってみて」
「はい」
——演技に入る。
「……おばけだぞ〜」
「いや、自己紹介すな!!」
最初のツッコミ。
ほんの少しだけ硬い。
「シャー……」
「おっ、ええやん」
「シャー……」
「うんうん」
まだ、どこか探っている。
星羅が一歩、前に出る。
「シャーー!!フニャー!」
「……ちょっと待て」
間。
「それ、猫やないかい!!」
——ここで、ふと。
昨日の感覚が、よみがえる。
視線。
呼吸。
間。
瑛太のツッコミが、ほんのわずかに変わる。
星羅の足が、迷わず前に出る。
「おばけ猫です」
「ジャンル増えとるやないかい!!」
流れが、つながる。
「……お腹なでなで、触れますよ?」
「余計あかんわ!!」
間が、合う。
「……逃がしませんよ?」
「怖さの方向変わってもうてるやん!!」
笑いのリズムが、止まらない。
「……私は一体、何なんでしょうか」
「知らんわ!!」
ぴたり、と揃った。
「どうも、ありがとうございました」
終わる。
静寂。
呼吸の音だけが、わずかに響く。
星羅は、ゆっくりと顔を上げた。
瑛太を見る。
——いけた。
その感覚が、二人の間で同時に生まれる。
けれど——
何も言わない。
視線だけを、島原に向ける。
島原は腕を組み、しばらく黙っていた。
その沈黙が、やけに長く感じる。
やがて、口を開いた。
「……形にはなってる」
その一言で、空気が少しだけ緩む。
「でもまだ甘い」
すぐに、締まる。
「勝てるかは別」
現実が、静かに置かれる。
星羅の指先が、わずかに動く。
瑛太は、何も言わない。
ただ、その言葉をまっすぐ受け止める。
少しの沈黙。
島原は、ふっと息を抜いた。
「……嫌いじゃない」
その言葉は、軽く投げられたようでいて——
確かに、届いた。
星羅の肩から、力が抜ける。
「……はい」
小さく、でもしっかりとした返事。
瑛太は、口元をゆるめた。
「ほな、勝ちにいきますわ」
島原はくすっと笑う。
「その意気」
扉の方へ歩きながら、振り返る。
「次は、ちゃんとコンビとして見せてよ」
その一言を残して、出ていった。
扉が閉まる。
静かな稽古場。
しばらくして——
「……なぁ」
瑛太がぽつりと言う。
「うん」
星羅が振り向く。
「今の、どうやった?」
一瞬の間。
星羅は、ふっと笑った。
「……楽しかった」
その答えに、瑛太も笑う。
「ほな、ええか」
二人の間に、昨日よりも確かな何かが残っていた。
まだコンビじゃない。
けれど——
同じ方向を見ている。
その感覚だけは、はっきりとあった。




