第24話 『喫茶アルデンテと気まぐれオムライス』
カラン、と小さなベルが鳴った。
店の中は、外よりも少しだけ静かだった。
木の床とカウンター、壁には古い時計とコーヒーカップの棚。
窓際の席には昼の光がやわらかく落ちている。
奥から低い声が聞こえた。
「いらっしゃい」
白いシャツに黒いエプロン。
六十代くらいの男が、カウンターの奥から顔を上げた。
星羅は帽子のつばを少し上げる。
「久しぶり、マスター」
マスターは一度だけ星羅を見て、軽くうなずいた。
「珍しいな」
それだけ言ってから、瑛太に視線を移す。
「……連れか」
星羅は肩をすくめた。
「そう」
瑛太はぺこりと頭を下げる。
「どうも」
マスターは短くうなずくと、窓際の席を顎で示した。
「好きなとこ座れ」
「やった」
星羅は迷わず窓際のテーブルへ歩いていく。
瑛太も後ろからついていきながら、店内を見回した。
「なんか……」
椅子に座りながら言う。
「落ち着く店やな」
星羅はくすっと笑った。
「でしょ」
窓の外には川が見える。
昼の光が水面で揺れていた。
風が少しだけ窓から入り、カーテンがゆっくり動く。
マスターが水を置いた。
「メニュー」
木のカバーのついたメニューをテーブルに置く。
瑛太はさっそく開いた。
そして——
固まった。
「……え?」
目がゆっくり横に動く。
「なにこれ」
星羅は腕を組んでにやにやしている。
「だから言ったでしょ」
瑛太は声を上げた。
「三種のチーズのフワフワオムレツ!?」
ページをめくる。
「ビーフドリアオムレツ!?」
さらにめくる。
「明太クリームきのこオムレツ!?」
そして、最後の一行を見て目を丸くした。
「マスターの気まぐれオムライス!?」
星羅は肩を震わせた。
「炎を初めて発見した人類か」
瑛太は真顔で言う。
「オムライスって卵とケチャップちゃうん?」
「それが基本ね」
「ほなこれは何」
「進化」
瑛太はメニューをもう一度見た。
「オムライス界……深すぎるやろ」
星羅はくすくす笑う。
そこへマスターが静かに立った。
「決まったか」
星羅は即答する。
「気まぐれオムライス二つ」
瑛太は慌てた。
「え、ちょっと待って」
マスターはもうメモを書いている。
「今日は当たりだ」
「え?」
瑛太が聞き返す。
マスターは一言だけ言った。
「食えばわかる」
そう言ってキッチンへ戻っていった。
瑛太は星羅を見る。
「なんなんこの店」
星羅は肩をすくめる。
「美味しい店」
「説明雑すぎる」
星羅は笑いながら窓の外を見た。
「でも、好きなんだよね」
その声は、少しだけ柔らかかった。
少しして、キッチンからいい匂いが流れてくる。
バターの香り。
卵の甘い匂い。
瑛太の鼻がぴくっと動く。
「うわ……」
星羅が笑う。
「犬?」
「ちゃうわ」
しばらくして、マスターが皿を運んできた。
白い皿の上に、丸くふわっと膨らんだオムライス。
上にはとろりとしたソース。
湯気がふわっと立ち上がる。
瑛太の目が大きくなった。
「うわ……」
マスターが皿を置く。
「気まぐれだ」
星羅はフォークを手に取った。
「いただきます」
瑛太も慌ててフォークを持つ。
一口。
口に入れる。
——止まった。
「……」
星羅が覗き込む。
「どう?」
瑛太はゆっくり顔を上げた。
「……うまっ」
星羅はにっこり笑った。
「でしょ」
瑛太はもう一口食べる。
「なにこれ、むっちゃうまいやん」
星羅も一口食べた。
「うーん、これこれ」
幸せそうな顔をする。
その横で、瑛太はもう夢中でオムライスを食べていた。
マスターはカウンターからちらっと二人を見る。
そして小さく言った。
「いい顔するじゃないか」
星羅はそれを聞いて、少しだけ笑った。
窓の外では、川の光が静かに揺れていた。




