13
小高い丘の上だった。
季節のとりどりの花が咲き乱れるその場所に、ぽつんと石碑が一つあった。
花々に囲まれて墓が一つ。
青空に馴染んだその場所は、美しい景色を一望出来る景観だった。
「今日は天気が良いですね」
アーロンが仮面越しに澄んだ空を見上げている。
アリスもそれに倣うように仰ぎ見た。
雲が幾筋かある以外澄んだ天色だった。
アーロンが敷物を敷いた上にアリスを座らせた。
「貴女が生まれた日も、丁度こんな晴れた日でした」
アーロンがアリスの隣に腰掛けながら言った。
視線は前方にある石碑を見つめたままだ。
「余りの愛らしさに天使が間違えて落ちてきてしまったのかと思いました」
クスリと小さな声で笑ったので、アリスも笑ってしまった。
穏やかな風が吹いた。
草や花が煽られ、筋を描いていくつか飛んで行った。
アーロンがアリスのほんの少し乱れた髪を梳いた。
「不思議なんですけどね、生まれてきたのは貴女だったのに私が生まれてきて良かったと感じたんですよ。可笑しいでしょう?でも本当なんですよ。貴女の小さな手が私の人差し指を握った瞬間に、生まれ変わったような気がしたんです。それまでの人生で味わった事の無い不思議な感覚でした。命の誕生を間近に感じて感化されてしまったんだと思います」
アリスはアーロンを再び見る。
大人の男性の横顔だった。
アイアンマスクを着けていても滲み出る哀愁があった。
いくつもの悲しみを飲み込んで生きてきたような悲しさが漂っていた。
男らしい顎から繋がる逞しい首筋が、小さく痙攣していた。
まるで嗚咽を我慢しているように見えた。
アーロンの地につかれた手の甲にアリスはそっと手を重ねた。
アーロンはアリスの触れた手に視線を落とし、ふっと口元に笑みを乗せた。
「私の……何の価値も無いような人生に、一瞬で貴女は色を与えてくれました。無色の世界に色を添えてくれたような気がしました。アリス様は私の恩人なんです」
アーロンが手の上に落としていた視線をアリスの瞳に合わせた。
サラサラと流れる風が二人の間に吹く。
時が止まったように見つめ合う。
呼吸も忘れてしまう程一心にアーロンを見た。
不意にアーロンがアリスから視線を逸らした。
墓石に再び視線を送る。
「アリス様、私は幸せなんです。またこうしてアリス様と会う事が出来て。……それだけで十分なんです。これからのアリス様の幸せの為には誰が隣にいる事が大事か、よく考えてください」
「アーロン、貴方の側にずっと居たい」
アリスがアーロンを見つめたまま言うと、アーロンは頭を振った。
「アリス様、私は戦争で心を患ってしまいました。貴女に普通の女性としての幸せを叶えてあげる事が出来ません」
「それでも良いよ。ずっと一緒に居たい。愛して欲しい訳じゃないよ。ずっと一緒に居るだけ」
「ずっとでなくて良いんです。貴女が離れると決められた時まで私の側に居てください」
アーロンは視線を揺らさずに居た。
その一点を見つめた瞳が痛々しく見えた。
アリスは、改めてアーロンとの二十歳という歳の差が歯痒いと思った。
二十年という歳月は、アリスのどんな言葉も軽くしてしまうのだ。
十六年しか生きていないアリスがどんなに永遠を囁こうとも、アーロンには伝わらない。
ずっと側に居たい。
アリスがどんなに願った所で、重みが無くなってしまう。
それはきっと、アーロンが今までにずっと、永遠に、と願った事が幾度もある事を先程のアーロンの答えで知ってしまったからだろう。
アーロンが願ったいくつもの永遠が、ついに一つも叶わなかったと知ってしまったからだろう。
アーロンとの間にある高い壁は、一時の言葉では破れない程に高いのだ。
「うん、側にいる」
ずっと。
とは言わなかった。
アリスはまた一つ大人になってしまったのだ。
有限の時の越えられない時間を知ってしまったからだ。
一つ大人になる毎に、アーロンは遠退いていく。
「貴女の母の名はスカーレット・アンダーソン様です。聡明で美しい女性でした。私は……貴女の側に居る事が、嬉しくて、辛いです。スカーレット様の面影を年々色濃くする貴女が側にいるのは……苦しい」
アーロンが吐き出すように呟いた。
彼も又、埋める事の出来ない溝に苦しむ一人なのだ。
アリスはアーロンの背中を抱きしめた。
こうして子供のふりをしてアーロンに触れる事も後何度許されるのだろうか。
否、もう通用していないだろう。
アリスはもう直十七歳になる。
子供と大人の狭間からはとうに弾き出されている。
アーロンの優しさにつけ込み、子供のふりをする浅ましい大人なのだ。
「アーロン、そこに私のお母さんがいるの?」
「ええ。そこに居られます」
アーロンは墓石を眺めながら告げた。
こんなに優しい彼に愛してもらえた母はきっと素晴らしい人だったに違いない。
アリスには到底手の届く訳も無い素晴らしい人なのだろう。
アリスは、この頃から吃音症に悩まされる事が減った。
アリスの中にいる子供のアリスが消えてしまったような感覚だった。




