12
♢
ロンはその日、夕方になってから帰宅した。
アリスは思い切ってロンの部屋を再び訪ねる事にした。
色々な事が短い間に起き、アリスは飲み込まれないように立っているだけで精一杯であった。
だが、兎に角ロンに向き合わねばと思ったのだ。
心のままに生きるとは、何と難しいのだろうとアリスは表情を曇らせたまま、ロンの部屋の扉をノックした。
「ア、アーロン」
アリスがそう呼びかけると、長い逡巡のような間があって後、
「……はい、アリス様」
返事があった。
アリスは震える指先でノブを回した。
扉を開けると、アイアンマスクを外したロンが所在無げに立っていた。
———ああ、やっぱり私のアーロンだった。
アリスは顔をくしゃりと歪めて涙を落とした。
あの懐かしいエメラルド色の瞳。
年相応に皺はあるが、間違いなくアリスの大好きなアーロンだった。
ずっと会いたかった。
「アーロン」
「はい……、アリス様。お迎えに行くのが遅れてしまい申し訳ありませんでした」
アリスは頭をぶんぶんと降る。
まるであの幼い子供の頃のように。
アーロンは、アリスがこの世で唯一甘えていい存在なのだ。
アリスはアーロンに抱きついた。
ぎゅっとアーロンを抱き締めると懐かしい匂いがした気がした。
アーロンは応えるように抱き締め返してくれた。
「アーロン」
「はい、アリス様」
「す、好きになってごめんね」
「……応えて差し上げられなくて申し訳ありません」
アーロンが絞り出すように謝罪した。
アリスは頭を振る。
「ううん、仕方ないよ。ア、アーロン、大好き。でも今日でおしまい。困らせたくないから、ら」
「アリス様……」
結局、アーロンの中でアリスはいつまでたっても幼い子供のままなのだ。
アーロンとロンが別人であったなら、素直に諦めるとは言えなかったかもしれない。
しかし、アーロンであったなら仕方ない。
アリスが諦めるしかないだろう。
だからこそ、アリスは最後にアーロンにお願いをした。
「ア、アーロン。き、今日は一緒に寝て欲しい。側に居て。小さかった時みたいに」
アーロンはアリスを力強く抱き締めてから頷いた。
これで良かったのだ。
未だにじんじんと痛む胸を抱えながらアリスはそう思った。
いつか消えてしまう胸の痛みだと分かっていた。
アーロンの隣で何日、何年この痛みと向き合えば痛まなくなるのだろうか。
アリスはアーロンの胸に顔を埋めながら考えた。
アリスはその日アーロンと片時も離れなかった。
共に夕食を取り、寝台でただ抱き合いながら眠った。
アンダーソン家でアーロンが偶に寝てくれた子供時代に戻ったような気がした。
これで良かったのだと何度も自分に言い聞かせながら。
アーロンから巣立つ準備をしなければいけない。
でも今だけは———。
アリスはアーロンの温もりを忘れないようにしたいと思った。
だが、アーロンの為には早く忘れなければ、と相反する二つの感情の狭間で揺れていた。
♢
翌日、目覚めるとアーロンが居た。
ゆめではなかったのかと落胆する気持ちと、再び会えて嬉しいという気持ちが同時にやってきた。
素顔のアーロンをひと撫ですると、アーロンが目を瞬いて起きた。
「アリス様、おはようございます」
「おはよう、アーロン」
アリスは余りにも自然に出た言葉に驚いた。
今まで喉の奥につかえたように出て来なかった言葉がすんなりと出たのだ。
アーロンはやんわりと微笑んでアリスの頭を撫でた。
もう大丈夫と語りかけられているような微笑に、アリスは安心した。
「今日はテラスで朝食をしてから一緒に遠乗りに行きませんか?アリス様をお連れしたいと思っていた場所があるんです」
「本当?嬉しい。でも私、馬には乗れないの」
「私が一緒に乗りますから大丈夫ですよ」
アーロンの申し出にアリスは頷いた。
どこかにアーロンと出かける事は初めてだった。
アンダーソン家に居た幼い頃も殆ど軟禁状態であったし、カイエン伯爵邸に来てからは屋敷に慣れる事に精一杯で出かけるという事もしなかったからだ。
アーロンとテラスでゆっくりと食事を摂ってから三人のメイドに遠乗りに相応しい格好に仕上げてもらった。
アリスが屋敷のエントランスに到着すると、アーロンがいつもの仮面に、ロングブーツの出で立ちで待っていた。
「行きましょうか、アリス様」
アーロンは慣れた仕草でアリスをエスコートしてくれた。
厩から出してあった月毛の馬にひらりと乗ると、戸惑うアリスを引き上げてくれた。
後ろからアーロンが覆うように被さるだけで胸が弾んで悲しくなった。
アーロンが馬の腹を足で蹴るとゆっくり馬が前進を始めた。
みるみると速度を上げる馬。
舌を噛みそうな程の慣れない揺れに、アリスは歯を食いしばって耐えた。
加速する度に置いていかれる周囲の景色は、きらきらと輝いて見えた。
アリスの胸に回されたアーロンの片腕の温もりだけは確かにそこにあった。




