その6 アスペルマイヤーの大魔女
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アルトが倒れてから一週間が過ぎた。
その間、彼は一度も意識を取り戻さなかった。
その日、悪役令嬢対策倶楽部は仲間の帰りを喜んでいた。
ようやくディアナとバルバラの謹慎処分が解かれたのだ。
「二人の謹慎が終わって良かったんですよ!」
「久しぶり」
「大変なのはこれからかもしれないがね」
謹慎自体は終わったとはいえ、彼女達のやった事は学園から実家に連絡が行っている。
電話も自動車も無いこの世界では手紙を届けるだけでも何日もかかる。
バルバラが言うように、実家から何かしらのリアクションが来るのはこの後の事になるだろう。
「私に出来る事があればなんでも言って下さいまし」
「まあさっきはああ言ったけど、実は私の方はあまり心配していないかな。ディアナの方はどうなんだい?」
「大丈夫。大お婆様には事情を記した手紙を送っている」
バルバラは彼女の兄のディルハルトから「自分の分までアルト君の力になってやってくれ」と頼まれていた。
今回の一件にアルトが絡んでいる以上、何も言わなくても兄の方が察して動いてくれるに違いない。
そして両親は今のディルハルトに大変甘い。
彼が強く訴えればこれ以上バルバラの行動が問題視される事はないだろう。
そしてディアナの実家では彼女の曾祖母、『アスペルマイヤーの大魔女』に逆らえる者は誰もいない。
ディアナは曾祖母の唯一の弟子で、その曾祖母が彼女を庇えば、誰も何も言う事は出来ないはずである。
「それにしては今日、ディアナは遅かったじゃないか」
エッダの言葉にディアナは思い出したようにぐったりと机に突っ伏した。
「ブリギッテに捕まっていた」
「ディアナの親戚のブリギッテ先輩ですよ?」
ディアナのはとこ、ブリギッテ・アスペルマイヤーは以前はディアナをライバル視してつけ回していた。
野外実習の時に悪役令嬢対策倶楽部のメンバーは彼女の班だったため、全員が彼女に面識があった。
「アルトの事を色々と聞かれた。しつこかった。本当にしつこかった」
「それは・・・お気の毒でしたわね」
ディアナの心底うんざりしている様子からすると、かなりしつこく粘られたようだ。
ブリギッテはアルトを不思議と気に入っていて、特に用事が無くても彼を見かければ捕まえて、愚痴やらどうでもいい話やらを聞かせていた。
「アルトといえば、まだ彼の意識は戻っていないのかい?」
「まだと聞いていますわ」
アルトの話題に、せっかく盛り上がっていた部屋の空気が重苦しく沈んだ。
「水や食べ物はどうしているんだろうね? 昔うちの家令のアルに聞いた事があるけど、人間って四~五日水を飲まないと死んでしまうそうだよ。アルトが倒れてから今日で丁度一週間になる。もし水をとっていないなら彼の体が耐えられないんじゃないかな」
「そんな! 大変なんですよ!」
「・・・ゼルマからも同じ話を聞かされていますわ」
ローゼマリーの執事のゼルマは医者からその危険性を聞かされていた。
アルトの意識はずっと戻らないまま。つまり水を飲ませる方法が無い。
この世界には魔法があるが、流石に不足した水分を体内に補給するようなピンポイントな魔法は存在しない。
ここが現代日本であれば点滴で水分や栄養を患者に補給する所だが、この世界の医療技術はまだそこまで達していなかった。
「無理やり飲ませる訳にはいかないんですよ?」
「ほとんど呼吸もしていないので、下手に水を飲ませようとすると息を詰まらせるかもしれないそうですわ」
「ほんの一口の水で溺れ死ぬかもしれない――か。手の打ちようがないな」
「そ・・・そんなあ、なのです」
「そういえば編入生の方はどうなったんだ?」
ここでバルバラが空気を読まずに口を挟んだ。
いや、彼女なりに沈んでしまった空気を変えようとしたのかもしれない。
しかしこちらも良い話はないようだ。
「それが全く・・・ あんなことがあった後ですので、お会いするどころか近付く事すら出来ずにいますわ」
教師達はあの場にいたローゼマリーをテレサに近寄らせないようにしていた。
ローゼマリー本人だけでなく、彼女のメイド達の接触すら許さない所からも、彼らがかなり神経質になっているのが分かる。
「この夏にはアーサー王子が学園にご入学あそばされるからね。教師としては今は不祥事に敏感にならざるを得ないんじゃないかな」
「ああ。なる程」
アーサー王子という言葉にローゼマリーが少し悲しそうな表情を浮かべた。
彼女の事情を知るエッダは気の毒そうに目を反らした。
周囲の心配をよそにアルトはこんこんと眠り続けた。
ほぼ仮死状態のアルトは、極限まで生命活動が低下していた。
そのため、かろうじて衰弱死せずに済んでいるようだ。
季節が春だったのも幸いだった。
夏であれば発汗による水分不足で熱中症になっただろうし、冬であれば体温を維持出来ずに凍死していたかもしれない。
こうして何の変化もないままさらに二日が過ぎ、学園に一人の老婆が訪れる事になる。
『アスペルマイヤーの大魔女』と名高いディアナの曾祖母である。
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『アスペルマイヤーの大魔女』の勇名はこの国では既におとぎ話のレベルにまで達している。
生きながら伝説となっている人物の来訪を、魔法学園の職員は緊張の面持ちで迎えていた。
地味ながら十分に金がかかった馬車が停まると、冴えない中年男性に支えられながらローブ姿の老婆が降り立った。
寄る年波か、誰かに支えられないと上手く歩けないようだ。
老婆はチラリと周囲を見渡すと「変わらないわねえ」と目を細めて相好を崩した。
彼女もこのメッテルニヒ魔法学園の卒業生なのだ。
老婆の嬉しそうな姿にたちまち職員達の緊張が解けていった。
あるいは老婆は彼らを気遣ってあえて喜んでみせたのかもしれない。
そう思わせるだけの懐の深さがこの老婆にはあった。
「ディーアーナ・アスペルマイヤーです。この学園にはひ孫がお世話になっています」
生きる伝説の登場に騒然となったのは教職員だけではない。
多くの学生がひと目彼女の姿を見ようとこの場に集まっていた。
そんな中、頭に大きなリボンを付けたひと際幼い容姿の少女が、老婆の前に堂々と歩み出た。
「大お婆様お久しぶりです! ブリギッテです!」
「・・・ああブリギッテ。久しぶりですね。元気にしていましたか?」
尊敬する曾祖母と久しぶりに言葉を交わせて、興奮を隠せないブリギッテ。
もしここにアルトがいれば、僅かに遅れた曾祖母の反応を見て「あ、これ全然覚えてないな」と察した事だろう。
ひ孫まで含めれば彼女の親類は何十人にもなるのだ。それに子供の成長は早い。年寄りの記憶力で全員の顔と名前と覚えるのは一苦労なのだろう。
老婆はキョロキョロと周囲を見渡した。
「ディアナはどうしました?」
「大お婆様」
人垣が割れると、青い髪の少し眠そうな目をした少女が数名の友人と共に歩いて来た。
ディアナと悪役令嬢対策倶楽部のメンバーだ。
「久しぶり」
「おい、ディアナ! その挨拶はなんだ!」
老婆を支えていた中年男性が彼女の態度をとがめた。
ローゼマリーが小声でディアナに尋ねた。
「あの、ディアナあの男性は」
「別に気にしなくていい。大お婆様、紹介する。彼女はローゼマリー・メッテルニヒ様」
「初めましてアスペルマイヤー様。ご高名なあなた様にお目にかかれて光栄ですわ」
老婆は少し記憶を探るような仕草をしたが、何か心当たりがあったのか細い目をさらに細めてほほ笑んだ。
「ディアナから話を聞いていますよ。メッテルニヒ様」
「ローゼマリーで結構ですわ」
「私もディーアーナで結構です。いつもひ孫がお世話になっております」
ディアナの後ろに立っていたクラリッサが、ディアナの服の裾をツンツンと引っ張った。
その振動が服を伝い彼女の豊かなふくらみがフルリと揺れて、この場に集まった男子学生の心に冒険心を掻き立てた。
「大お婆様もディアナと同じ名前なんですよ?」
「違う。大お婆様はディーアーナ。僕の名前は大お婆様の名前から頂いたって聞いている」
今ではクラリッサ達も、ディアナが彼女の曾祖母と同じ『精霊が見える目』を持って生まれた事を知っている。
そんなディアナに、彼女の両親が祖母にちなんだ名前を付けたとしてもなんら不思議はないだろう。
「あのさ、さっきの男の人がずっとディアナを睨んでいるんだけど」
今度は反対側からエッダが尋ねた。
ディアナが視線を向けると、確かに中年男性は老婆を支えながらじっとディアナを睨み付けていた。
彼女は軽くため息をついた。
「僕の父親。でもさっきも言ったけど気にしなくていいから」
エッダとクラリッサは目を丸くして中年男性を見つめた。
後でディーアーナから聞かされる事だが、学園から娘の不祥事の連絡を受けて、ディアナの父は烈火のごとく怒ったのだという。
「娘を連れ戻す! 家の恥を晒すような者を学園に置いておく事は出来ん!」
彼の言葉を聞かされてディーアーナは彼の倍の勢いで怒った。
「ディアナは私の弟子です! 父親であろうが一度私に預けておきながら師匠である私に無断で勝手に連れ戻そうとは何事です!」
祖母の怒りを知ったディアナの父は、慌てて祖母のもとに向かうと平謝りした。
そして手ずから祖母の世話をする事でどうにかその怒りを静めてもらったのだった。
「アスペルマイヤー家では大お婆様が絶対だから」
「はあ・・・そうなんだ」
この時ローゼマリーとディアナの曾祖母の話が終わった。
次回「運命の精霊」




