プロローグ エバ・ヤンセンという少女
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ここはメッテルニヒ魔法学園の平民学科の女子寮。
学園は基本的には全寮制だが、例外的に平民学科の女子は通学が許されている。
そのため女子寮の利用率はあまり高くはない。
王都の出身者はともかく、他の町の者も実家が裕福な場合、王都に家を借りてそこから学園に通う事が多いためである。
寮は何かと不便であろうと敬遠されているのだ。
そんなわけで、女子寮は三人部屋の男子寮と異なり二人部屋となっている。
この時点で入寮者の男女の人数差は明確だろう。
「ふう・・・」
一人の少女がノートから顔を上げた。
小柄な少女だ。頭は今朝からずっと櫛を入れていないのかボサボサで、度の強い眼鏡をかけている。
平民学科一年生の首席、エバ・ヤンセンである。
彼女は王都に近いピッロという町のヤンセン商会の長女である。
下には弟と妹。それについ最近二人目の弟が産まれている。
エバはイスに座ったまま背伸びをするとグルグルと肩を回した。
「ダメ。全然集中出来ないわ・・・」
彼女はため息をつくと机の上の教科書とノートを片付けた。
「お茶にしましょう。メルヒ」
彼女は隣の机に声を掛けたがそこに同室の少女はいなかった。
「ああ・・・今日は図書館棟で調べ物をするって言ってたっけ」
メルヒは引っ込み思案な大人しい少女で、気の強いエバとは正反対な性格だったが、逆にそのせいか二人は最初の出会いから妙に波長が合った。
クラスが同じ事もあって二人はいつも連れ立って行動していた。
「お茶を淹れるのってあまり得意じゃないのよね・・・」
ヤンセン商会はピッロの町では一番の商会で、エバは子供の頃から厳しく躾けられていた。
その中にはお茶の淹れ方もあるのだが、最近ではメルヒ任せで自分ではめっきり淹れなくなっていたのだ。
「元々あの子に教えたのは私なんだけどな」
エバはチラリと机の引き出しを見た。
そこにはさっき片付けた教科書とノートが入っている。
「勉強だって・・・本当は得意じゃないのに。私が人より秀でている事って何なんだろう」
とても学年主席の言葉とは思えない呟きを残し、彼女はお湯を沸かすために一階の給湯室へと向かった。
給湯室でたまたま出会った先輩から焼き菓子のお裾分けをもらったエバは、上機嫌で部屋へと戻って来た。
同室の少女の分を取り分けてから、ポンとはしたなくベッドに飛び乗ると、早速焼き菓子を頬張った。
「うん。まずまずね!」
頂き物に対して何だかとっても失礼なことを言いながら、エバはメルヒから借りた恋愛小説を取り出した。
恋愛小説はメルヒの趣味だ。とはいえエバも彼女からお勧めの小説を借りて読んでいくうちに今ではすっかり虜になっていた。
「げっ。家同士で決めた婚約者か~」
親同士が決めた婚約者。しかしヒロインは彼とは別に好きな男性が出来てしまう。この手の小説に良くある設定といえた。
エバの眉間にしわが寄った。
干し果物だと思ってこっそりつまみ食いをしたら酢漬けだった。
今の彼女の顔はまるでそんな失敗をした時のようにも見えた。
「私はこういうのが嫌いって言ったのに・・・ メルヒには後で文句を言ってやらないと」
エバはブツブツと文句を言いながら、すっかり興味を失くしてしまった小説を、手慰みにパラパラとめくった。
「はあ・・・ 勉強も身が入らないし、今日は全然ダメね」
なぜ彼女が勉強に集中出来ないか。その理由はハッキリしていた。
「全部アイツのせいだわ。本当にどうしちゃったんだろう」
同じピッロの町の商会の息子アルト。彼女の婚約者でもあり、ある意味彼女の敵とも言える存在。
小さな町では知らぬ者のいない神童。
生意気で冷淡でナチュラルに人を見下す最低なヤツ。
彼女が学年主席を目指すのはひとえに彼をギャフンといわせるためだ。
彼の成績を上回った上で、上から目線で「ハンッ! あんたのご自慢の頭なんてこの程度のものなのよ」と言ってやるためだ。
そのために彼女は文字通り血のにじむような努力を重ねて来たのだ。
しかしアルトは最初のテストで、そんな彼女の成績をあっさりと上回り学年主席の座に付いた。
心底悔しかった。
この世の理不尽さに怒りすら覚えた。
あまりの口惜しさに彼女はアルトを睨み付ける事しか出来なかった。
そんなアルトが変わったのは次の中間テストからである。
この試験でエバはついに念願の学年主席を取る事が出来た。
しかし彼女はそれを素直に喜べなかった。
なんとアルトは一教科目のテストを受けなかったのだ。
それどころか平凡な順位で満足するような発言すらしていた。
「あんた一科目テストを受けなかったってどういう事?!」
血相を変えて詰め寄るエバにアルトは面倒臭そうに答えた。
「たかがテスト結果だろ? お前大袈裟なんだよ」
「なっ・・・! 何ですって・・・!」
信じられなかった。
まさかあの神童がそんな台詞を言うなんて。
エバはこの気持ちをどこにぶつければ良いか分からなかった。
そして期末テストのアルトの順位は八位だった。
もちろんエバは学年主席である。
しかし、八位の成績を友人に誇らしそうに語るアルトを前に、彼女の心は千々に乱れたままであった。
彼女は無力感すら覚えて彼の前から立ち去った。
訳が分からなかった。
頭が変になりそうだった。
そして自分の中で勉強に対する熱意が音を立てて引いて行くのを感じた。
今では惰性で勉強を続けている。
しかし、こんな状態ではいつまでも首席を保持しておくのは困難だろう。
全ては彼の――アルトのせいだ。
「アイツ・・・偽物なんじゃないの?」
実は彼女の言葉は真実を射抜いている。
今のアルトの中身は日本の高校生、片桐優斗なのだ。
だがしかし、当のアルト本人以外にこの世界でその事実を知る者はいなかった。
ガチャリ!
大きな音を立ててノックも無しに部屋のドアが開いた。
入り口に立っているのは地味な顔立ちの大人しそうな少女。
エバの同室のメルヒである。
走って帰ってきたのだろうか。息は荒く、顔は赤く上気している。
エバはいつもと違う友人の様子に気付かず、少しむくれて本を掲げてみせた。
「ちょっとメルヒ。あなた私が親の決めた許嫁に悩まされているのを知ってるでしょ? だったらなんでこんな本を――」
「許嫁! エバ! あなたの許嫁が大変なの!」
この時エバは初めて友人が険しい顔をしている事に気が付いた。
「彼、急に倒れちゃったの! 今先生が保健室に運んでるのよ!」
「ちょ・・・落ち着いて。何であんたがアイツが倒れた事を知っているの?」
これは幕開け。
エバの人生観を一変してしまう、とある出来事の始まりを告げる合図だったのだ。
次回「編入生テレサ・テーゼ」




