その11 クラーラさん切り
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ここは学園の用務員室。
昨日からここに転がり込んだダミアンは、食事を終えて後片付けをしている所だった。
「ピンクの兄貴、遅いな」
彼の尊敬する大男用務員・ピンク(偽名)は、手早く食事を終えると「少し出て来る」と言い残してぶらりと出かけて行ってしまったのだ。
「はっ! まさか俺の仕事に不手際があったんじゃ?!」
昼間ダミアンはピンクに命じられるがまま、彼の仕事を代わりに片付けていた。
そんなピンクの姿は、はたから見れば後輩に自分の仕事を押し付けるパワハラ上司に他ならない。
だがダミアンは、「兄貴が俺を信頼して仕事を任せてくれている」と受け止め、張り切って仕事に励んでいた。
「俺の仕事で何かミスがあったんじゃ・・・ そして兄貴はそれを俺に悟らせないようにこっそりフォローしに行ったのかもしれない!」
冷静に考えれば気が付くだろうが、ピンクがダミアンに告げずにこっそり尻拭いをする理由は特にない。
しかし、ダミアンの中でピンクは男の中の男だ。
誰にも告げずに黙って後輩の尻ぬぐいをする。ピンクにはそんなカッコいい姿が良く似合う。似合う以上はきっとそうしているに違いない。
ダミアンはそんな風に勝手に思い込んでしまった。
「兄貴! 俺だって男だ! 兄貴におんぶにだっこじゃカッコ悪いぜ!」
すっかり自分の妄想を信じ込んでしまったダミアンは、ランタンを片手に用務員室を飛び出して行くのだった。
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エッダの待ち合わせ場所を目指す俺達の前に立ちはだかる大男。
確かダミアンが兄貴と慕うピンクとかいう用務員の男だ。
「身長、黒髪、絵姿の通りの顔。バカンス男爵家のエッダだな?」
男の指摘に俺の背後のエッダが緊張した。
「恨むなら俺の依頼人を恨むんだな」
そう言うと男はゾロリとナイフを抜いた。
大男が持っているので錯覚しそうになるが、かなりの大型ナイフだ。
その凶悪な姿に俺はゴクリと喉を鳴らした。
まさかこの男がエッダの言っていたヒス女からの刺客だったなんて・・・
俺はこんな男を兄貴と呼んで慕っていたダミアンの馬鹿を蹴り飛ばしたい気分になった。
2m近い長身。分厚い胸板。はちきれんばかりに鍛え上げられた筋肉。
腕なんて俺の足くらいの太さがある。
コイツはヤバい。ヤバすぎる。
多分ブルータスのオッサンでもないと相手にならないんじゃないだろうか?
俺は大男の圧力にすっかりブルって動けなくなってしまった。
「依頼人ね・・・ その依頼人はウチをどうして来いと君に頼んだのかな?」
情けない俺に代わってエッダが気丈にも男の言葉に答えた。
エッダの声は僅かに上ずっている。
やはり平静ではいられないようだ。もしこの時振り返る事が出来たなら、俺は真っ青になった彼女の顔を見ただろう。
エッダの言葉に答えて大男は手に持ったナイフを軽く動かした。
「心配するな。命までは要求されていない。俺は殺し屋じゃないからな。その顔に一生消えない傷を負わせる。俺が受けた依頼はそれだけだ」
「・・・そうか。流石のあの人も殺人までは思い切れなかったんだね」
エッダの声から少しだけホッした気配を感じた。
俺はそんなエッダに驚いた。
今のはホッとするところなのか? アイツはあのナイフでお前の顔に一生消えない傷を付けると言っているんだぞ?
俺の目は大男のナイフに吸い寄せられた。
あのナイフがエッダ顔を大きく引き裂き、血を流す。
そしてエッダの可愛い顔には一生消えない大きな傷が残る。
そんな事、許しておけるわけがないじゃねえか。
「アルト?」
「下がってろ、エッダ」
「・・・ほう」
俺は腰の剣に手を掛けると一気に引き抜いた。
怒りの感情の賜物か、さっきまでガチガチだった俺の体はいつものように動いてくれた。
俺は両手で剣を握ると正眼に構えた。
大男の持つ幅広の大型ナイフに比べると、この剣はなんて細くて頼りないんだろうな。
実際にはこっちの方が一回り大きいんだろうが。
「ダメだよアルト! 抵抗しなければウチがケガをするだけで済むんだよ!」
「ケガをする”だけ”ってなんだよ! 勝手に諦めてるんじゃねえよ!」
俺の怒鳴り声にエッダはビクリと身をすくめた。
怒鳴り声? いや違う、怒り声だ。俺はエッダに怒りを感じていた。
「ケガをするだけなんて言うな! いいか。俺が合図をしたら走れ! 叫びながら逃げるんだ!」
部室棟は昼間でもひと気が少ない。しかし、寮の方へ向かいながら叫べば誰かしらは彼女の声に反応するだろう。
イチかバチかだが今はそれに賭けるしかない。
「アルト!」
「うるせえ!」
俺は一瞬だけエッダに振り返って叫んだ。
予想通りエッダの顔は青ざめ――目には涙が浮かんでいた。
ほら見ろやっぱり怖いんだろうが。
もうお前のやせ我慢はお見通しなんだよ。
昨日までの俺と一緒だと思うなよ。
「俺はエッダが傷を負う所なんて見たくないんだ。いいな?」
エッダは俺に気圧されたように二三歩後ずさった。
それでいい。
俺は既に大男の方に向き直っている。
大男はナイフを持つ手を前に出して半身になった。
「男の目をしているな。いいだろう。相手をしてやる」
「余裕だな。・・・相手をしてもらおうか」
俺はゴクリと喉を鳴らした。
大男との距離は約10m。距離としては申し分ない。
俺の心臓は恐怖にバクバクと脈打っている。
何をやっているんだろうな俺は。
カッとなってこんな事になってしまったが、もっと他に上手い方法は無かったんだろうか。
例えば一度降参してみせて、大男がエッダに手を掛けようとするその瞬間に不意をつくとか・・・
いや、無いな。
大男と違って俺は荒事には慣れていない。
ケンカだってろくにした事の無い平和な日本の高校生だ。
そんな俺が下手な作戦を立てた所で、この修羅場で上手く実行出来るとは思えない。
ブルータスのオッサンも切り合いを制するのは腕より度胸だと言っていたしな。
俺は一つ大きな呼吸をすると――剣を鞘に納めた。
俺が狙うのはもちろん”クラーラさん切り”。かつては剣豪と言われたブルータスのオッサンと一緒に編み出したあの技だ。
というより俺にはあの技しかない。
クラーラさん切りはいわゆる”初見殺し”。この大男にもきっと通用する、はずだ。
行くぜ!
「むっ?」
俺は低い姿勢を保ったままダッシュした。
剣を鞘に納めたまま突っ込んで来る俺に、大男が一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
たかが一瞬。だがその一瞬がこの技のキモなのだ。
俺はパッと体を起こして袈裟懸けに切り付ける――ように見せかけながら再び体を沈めた。
目の前に大男が前に出した足が見える。
くらえ! 必殺”クラーラさん切り”!
俺はしゃがんだ事で溜め込んだバネを一気に解放。
抜き打ちで剣を横に薙ぎ払――
ゴッ!
自分の体に何が起こったのか分からなかった。
ただ頭に何か衝撃があった事と、急に目の前に地面が見えた事だけは分かった。
まるで突然現れた地面で顎をぶん殴られたような感じだ。
もちろんそんなはずはない。
俺は脳天に強い衝撃を受けて地面に顎を打ち付けていたのだ。
マジで何が起こったのか分からなかった。というよりも今の自分がどういう状況なのかすら分からなかった。
俺は何をしていたんだっけ? なんで俺は地面にうつ伏せに倒れているんだ?
混乱の一瞬が過ぎると、頭のてっぺんと顎に痺れるような痛みを覚えた。
舌を噛んだのか、鉄さび臭い匂いが鼻を突いた。
「意表を突いた良い攻撃だった。足を持って行かれる所だったかもしれん」
頭の上から大男の声が降って来た。
頭が痛い。耳鳴りがしている。
「だがお前は俺の足を切り払う事を躊躇した。だから俺の防御が間に合った」
俺が躊躇しただって? そんなはずは――あるんだろうな。
俺が手にしているのは・・・あれ? そういえば剣は何処にいったんだ? さっきまで握っていたはずなんだが・・・まあいいか。俺が手にしていたのは真剣だ。竹刀でもなければ訓練用の木剣ですらない。
そんな刃の付いた鉄の塊で人間の足に切りかかれば、良くても骨折、悪くすれば相手の足を切断してしまうはずだ。
もちろん俺はその覚悟を決めて剣を抜いた。
だが、覚悟をして抜いている時点で――そう意識をしている時点で、本当の意味では覚悟が決まっていなかったんだろう。
本当に覚悟が決まっていたなら、いかに相手の足を切るか、足の何処を切れば効果的か、とか、そういった所に考えが向かなければならないはずだ。
覚悟を決めるだの決められないだのと、そういった場所でモタモタしている時点で俺は気持ちで負けていたのだ。
次回「同室タッグ」




