その10 いつものようにサヨナラ
夕食を終えて部屋に戻った俺達は、黙って薄暗くなっていく空を見上げていた。
さすがに一日中一緒にいると話すことも無くなっている。
そのくらいエッダは多くの事を俺に語ってくれた。
そのほとんどは学園で経験した他愛の無い話だ。
後は、何が好き、これがイヤ、そんな話だ。
俺はエッダの事を何一つ知らなかった事に驚いた。
「アルトはもっとウチらに興味を持とうよ」
「・・・悪い」
エッダにジト目で見られて俺は深く反省した。
とはいえ俺の方から彼女達にあれこれ聞くのってハードルが高すぎやしないか?
ずっと黙って空を見ていたエッダが立ち上がった。
「じゃあそろそろ行くね」
それは彼女との永遠の別れを告げる言葉だった。
「もう行くのか? せめてみんなに挨拶を――」
「あのさ」
俺は何が言いたかったんだろうか? とにかく何か話をして彼女を引き留めないと。
そんな俺の焦りから出た言葉は彼女の声に遮られた。
エッダは俺に振り向かない。チラホラと星が浮かび始めた薄暗い空をジッと見ている。
「いつものようにしない? ホラ、いつも部活が終わって帰る時みたいに。特別な言葉をかけるんじゃなくて、あんな感じでウチは出て行きたいんだよ」
「無理言うなよ! そんな事出来る訳が――」
「お願い!」
・・・
「お願いだよアルト。ウチはこれで最後なんて、そんなしんみりした感じのお別れなんてしたくないから」
俺は黙ってエッダの背中を見つめた。
彼女の背中は俺の言葉を拒絶していた。
到底納得は出来ない。納得は出来ないが、これがエッダの最後の願いなのだ。
だったら聞き届けない訳にはいかないだろう。
けどそれは今じゃない。
俺は無言で立ち上がった。
エッダの体がビクリと反応した。
俺は気が付かなかったふりをして、ロッカーから剣を取り出した。
ブルータスのオッサンが持たせてくれたあの剣だ。
まさか鍛錬以外の目的でコイツを持ち出す日が来るとは思わなかったぜ。
「分かった。でもまだ別れの言葉は言わない。お前が馬車に乗り込むまでは護衛させてもらう」
「・・・そうだね。確かにその方が良さそうだ。だったらお願いしようかな」
エッダも別れ辛く思っていたんだろうか。
俺の提案は意外とあっさり受け入れられた。
振り返ったエッダの顔を見て俺は不意に思った。
ひょっとしてエッダは、本当はもっと強く俺に引き留めて欲しい、そう期待していたんじゃないだろうか?
いや、そう思うのは俺の願望なのかもしれない。
俺達はいつもの部室棟を目指して歩いていた。
エッダはさっきまでと相変わらず、マリオが残して行った服を着ている。
昨日はたまたま誰にも見つからなかったものの、本来女子であるエッダが寮で見つかればそれだけで騒ぎになってしまう。
そのためマリオとして一旦寮を出てもらう事にしたのだ。
この後はいつもの部室で服を着替えてから、学園の外に出る段取りになっていた。
「つーか、俺の部屋から出た後はノープランだったのかよ」
「いや、その・・・面目ない。今まで一度もこんな時間に外に出る機会なんてなかったから」
この時間になると学園の門は閉じられて、学生は自由に出入り出来ない。
俺に指摘されるまで、エッダはそんな事すら知らなかったのだ。
いやまあ真面目な貴族の令嬢ならそれも当たり前か。
俺達はたまの休みともなると町で羽を伸ばし過ぎて、帰りはしょっちゅう門限破りをしているからな。
寮生の間には代々、そんな時用の抜け道がいくつか伝えられているのだ。
「まさか学園にそんな抜け道があるなんてね」
「バレたら結構ヤバいからな。絶対に黙っていてくれよ」
まあそんな心配はしなくても、これからエッダは外国に行ってしまうんだがな。
俺は自分で呟いた言葉に胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
「アルト?」
「いや、なんでもない。それより時間は大丈夫なのか?」
部室棟から抜け道までは少し距離がある。さらに学園の外に出た後もエッダは馬車との待ち合わせ場所まで向かわなければならないのだ。
「まだ余裕はあるから大丈夫だよ」
「・・・そうか」
エッダは俺に待ち合わせ場所を教えてはくれなかった。
つまりエッダは学園を出る所で俺と別れるつもりなんだろう。
その時が来たら俺は彼女に何と言えばいいんだろうか。
いつものように別れたい。さっきエッダはそう言っていたが、本当にそれだけでいいんだろうか。
俺の頭の中はグルグルと同じ事ばかり浮かんでは消えていた。
それは答えの無い考えだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
エッダはアルトの後ろを黙って歩いていた。
もうすぐこの学園での生活が終わる。
それは生まれ育ったこの国を去る事でもあった。
正直に言えば恐怖心もあった。
なにせ知らない外国に逃げるのだ。恐れを抱かない方がどうかしているだろう。
もっと上手な方法があったのではないだろうか?
ひょっとしたら自分は早まったのではないだろうか?
そんな後悔がエッダの心を苛んでいた。
昨夜エッダが衝動に駆られて寮の部屋を抜けだした時、彼女の脳裏に浮かんだのはアルトの事だった。
と言っても別に色恋の話ではない。
マールグリタ夫人がエッダの存在を憎んでいるのなら、ひょっとしたらその憎い自分が平民に体を汚されれば留飲が下がるのではないか、と思ったのだ。
今思えばあの時の自分は捨て鉢になっていたに違いない。
エッダは衝動に突き動かされるようにアルトの住む寮へと向かった。
窓から部屋に忍び込んだのは、以前そういった話を本で読んでいたからだ。
男女経験のないエッダは、夜這いを掛ける時にはそうしなければならないと思い込んでしまったのだ。
部屋の中は真っ暗だった。アルトは留守なのかもしれない。
その時エッダはふと我に返った。
自分は何て馬鹿な事を考えていたんだろう。アルトがいなくて本当に良かった。
ギリギリの所で踏みとどまれた事でホッと胸をなでおろすエッダに、闇の中から男の声が飛んだ。
「誰だ?!」
それはアルトの声だった。
どうやらアルトは寝ていただけだったようだ。
前を歩くアルトは腰の剣に手を掛けながら時折周囲を見渡している。
どうやら本人は本気でエッダの護衛をしているつもりのようだ。
エッダはそんなアルトの背中を見ながらぼんやりと考えていた。
あの時、自分はアルトの部屋を訪れた目的をはぐらかしたまま、彼に協力を求めた。
でももしあの時、変に誤魔化したりせずに、最初の目的のままに「自分の純潔を奪ってくれ」と彼に頼んでいたなら、今頃自分達の関係はどうなっていただろうか?
何も起きなかったかもしれないし、何かが変わっていたかもしれない。
あの時自分は捨て鉢になっているようで、やはりわが身が可愛いかったのだ。
自分は小利口でズルい女だ。
エッダは自分の運命に立ち向かうローゼマリーの姿を思い出した。
自分は彼女のように懸命には生きられない。
遊びを好む自分は、自分の人生すら真剣に生きられないのかもしれない。
エッダは自分の考えに深く沈み込んでしまっていた。
そのためアルトが立ち止まった事にも気付かずに、危うく彼の背中にぶつかってしまう所だった。
「・・・そこにいるのは誰だ」
アルトが声を掛けたのは月明かりが落とした校舎の影の奥。黒々とした闇の中から何者かが近付いて来る足音がした。
足音の数はひとつ。
やがて大きな影が彼らの前に立ちはだかった。
「あんたはダミアンの・・・」
アルトの声を無視して大きな影――用務員のピンクはエッダの顔をじっと見つめている。
「身長、黒髪、絵姿の通りの顔。バカンス男爵家のエッダだな? 恨むなら俺の依頼人を恨むんだな」
そう言うと大男は一振りの大きなナイフを取り出した。
次回「クラーラさん切り」




