その9 エッダ・バカンスという少女
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エッダは幼い頃から頭も良く、要領良く立ち回る事の出来る少女だった。
そんな彼女にとって、常に自分の感情を優先させる姉は、愚かで近視眼的にしか見えなかった。
しかし姉は正妻の子で長女。自分は側室の子で次女となる。
バカンス男爵家の事情を知る者の多くは、言葉にこそ出さないものの、二人の生まれが逆なら、と、思わずにはいられなかった。
そのような実家の中の軋轢――具体的にはエッダの存在を疎ましく思う正妻のマールグリタ夫人――から身を守るため、エッダは14歳になるとメッテルニヒ魔法学園の学生寮に入る事になった。
エッダが屋敷を出るその日、家令のアルサークは彼女を呼び止めると密かに手紙を渡した。
「エッダお嬢様が屋敷を離れられる事は、お嬢様の身を守るために有効であると思います。しかし、逆に言えばご当主様の庇護が届かない場所に行かれるという事にもなります」
「アルは学園内のウチに、マールグリタ夫人が手を出して来ると思うのかい?」
老家令――アルサークは白髪交じりの頭を軽く振った。
「正直に申し上げて分かりません。しかし備えておくのに越したことはありません。もし何かあった時のために、古い伝手を辿って国外に脱出できるように手はずを整えておきました。その手紙には連絡先とその方法が書いてあります。いざという時にお役立て下さい」
エッダはキレイに折りたたまれた手紙をチラリと見た。
「古い伝手ね・・・ アルの悪い知り合いかな?」
「ご想像にお任せします」
今でこそ慇懃な紳士然としたアルサークだが、若い頃は体一つで巷間を渡り歩く無頼漢のような生き方をしていたという。
そんな経歴を持つ彼が、何をどうして男爵家の家令にまで上り詰めたのか、それはこの屋敷でも謎とされていた。
しかしエッダは昔から、この一本気でしたたかさを持つ老人に良く懐いていた。
老人もまた自分を慕うこの利発な令嬢を良く可愛がった。
こうしてエッダはこの老人から多大な影響を受ける事となった。
「私にもっと力があればお嬢様をお守り出来たのですが」
「アルはずっとウチに良くしてくれたよ。ありがとう」
エッダは心から礼を言うと馬車に乗り込んだ。
もしあの手紙が使われるような事態になれば、エッダお嬢様は二度とこの国の土を踏む事は無いだろう。
アルサークは屋敷を去るエッダの馬車をやりきれない思いで見送るのだった。
エッダがこのメッテルニヒ魔法学園に入学して数日。
彼女は何をしていても常に満たされない気持ちでいた。
元々要領が良く、世渡りの上手い彼女は、一見するとすっかりこの学園に馴染んでいるように見えた。
しかしエッダは、いつ自分にマールグリタ夫人からの手が伸びるかと考えると、のんびりと学園生活を満喫する気持ちにはなれなかった。
今の自分の生活はかりそめのもの。その考えは常に彼女の意識にこびりついて離れなかった。
自然に彼女はゲームや遊び、そういった刹那的な刺激に逃避するようになっていた。
そんな彼女にとある転機が訪れる。
平民学科の学生アルトとの出会いである。
最初はいつものようなちょっとしたからかい気分であった。
ゲームの相手を求めるエッダの前に、たまたまアルトが通りかかったのだ。
なんでこんな場所に平民学科の男子生徒が?
エッダは疑問に思ったが、そんなことよりも平民学科の男子生徒とゲームをする方に興味が向かった。
実家の屋敷ではいつも家令のアルサークとゲームをしていた彼女にとって、貴族学科の令嬢は相手として物足りなかった。
アルサークは雇い主の令嬢相手に接待プレーをするような性格ではなかったのだ。
最初は好奇心から始めたゲームだった。
しかし、いつしか彼女は、ゲームに夢中になるアルトに引っ張られるように、ゲームにのめり込んでいった。
ゲームは真面目に遊ぶからこそ面白い。
でもあくまでも遊びである事は忘れない。
勝つのが目的ではなく、遊ぶのが目的。でも真面目に勝ちを目指す。
勝てば勝ち逃げをしないために次のゲームを受け、負ければ今度こそは勝つために次のゲームに挑む。
元々日本の高校生だったアルトは、いつもそうやってクラスや部活の友達と遊んでいた。
しかし、幼い頃からアルサーク以外に遊び友達を持たないエッダにとって、アルトとのゲームはかつて感じた事の無い新鮮な驚きに満ちていた。
負ければ天を仰いで悔しがり。勝てば声を上げて嬉ぶ。
そこには裏も表もない、純粋な楽しみだけがあった。
結果は僅差でエッダの勝利だった。
彼女は勝利の喜びに心が躍ると共に、この充実した時間が終わる事を無性に残念に思った。
幸いアルトの方もこの結果に悔しそうにしている。
今声を掛ければ、きっと後日の再戦に乗って来るだろう。
エッダにとってその思い付きは非常に魅力的だった。
「悔しいなら明日も挑戦しに来るかい?」
「あ、いや、流石にそれは不味いかな」
アルトの返事はエッダの心に意外なほどのショックを与えた。
それでもあきらめきれないエッダは、懸命に食い下がって何とか彼から譲歩を引き出そうと試みた。
思えばエッダがこれほど何かに夢中になったのは、この学園に入って以来初めての事だったのかもしれない。
「特に君にしてもらいたい事もないし、折角だから教えて貰う事にしようかな。な・ん・で・ここにいたのかな?」
最後は脅すようにして、エッダはアルトから情報を引き出した。
それが彼女と”悪役令嬢対策倶楽部”の初めての遭遇だったのである。
悪役令嬢対策倶楽部の会長はローゼマリー・メッテルニヒ。ゴージャスな金髪を縦ロールにした少女である。
彼女はこの学園の理事長でもあるメッテルニヒ伯爵家の令嬢であった。
思わぬ大物の登場にエッダは驚いた。
しかしその一方で彼女の心のしたたかな部分は、この出会いから利益を生み出せないか冷静に計算を始めていた。
言うまでも無くメッテルニヒ伯爵家は彼女の実家のバカンス男爵家よりも遥かに格上にあたる。
その庇護下に入る事は、実家のマールグリタ夫人を牽制する上で大きなアドバンテージとなるに違いない。
上手くローゼマリーに取り入る事が出来れば、逆にマールグリタ夫人を実家から排除する事すら可能かもしれない。
その想像は、幼い頃から常に夫人に頭を悩まされ続けて来たエッダにとって非常に魅力的に思えた。
これは自分にとって今後の人生を左右しかねない重要な局面だ。失敗は許されない。
エッダは人好きの良い態度を守りながら、慎重にローゼマリーに話を合わせた。
しかし、ローゼマリーから聞かされた話は彼女の理解を超えたものだった。
「こうして私は溺れ死んでしまったのですわ」
「へ・・・へえ。それはお気の毒だったね」
ローゼマリーの話にエッダはそう返す事しか出来なかった。
今から五年後、卒業を明日に控えたパーティー会場で、ローゼマリーは全てを失って惨めに溺れ死ぬ運命が待っているのだというのだ。
到底信じられる話ではない。
しかし、ローゼマリーが本気で話しているのはエッダにも分かった。
そしてこの倶楽部に集まるメンバーも彼女の話を信じていた。
「僕は信じてるか微妙」「私は信じてないぞ」
「皆さんあんまりですわ!」
・・・全員が信じているという訳ではなかったようだ。
とはいえエッダにとってローゼマリーの話がショックだった事には変わりはない。
よもや今から自分が頼ろうと思っていたローゼマリーに破滅の未来が待っていようとは。
エッダはすっかり梯子を外されたような気分になっていた。
そして、伯爵家の令嬢であっても自分と同じように運命に弄ばれているという事実を知り、彼女は抗いようのない虚無感に囚われていた。
「私は自分が破滅する未来を知った時、その未来をどうにか回避しようと執事のゼルマと二人で色々な事を試しました。でも残念ながらそのどれもが上手くいきませんでしたわ。そんな時私はアルトと出会い、大きな転機を迎えたのです」
ローゼマリーの言葉にエッダはアルトを振り返った。
そこにいるのは平凡な顔つきのどこにでもいそうな少年だった。
「人は運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会うと言います。アルトを中心に集まったこの”悪役令嬢対策倶楽部”によって、そしてアルトを見ているうちに、私は今まで私に足りなかった何かがある事を知りました。それが何かはまだハッキリとは分かりません。でも私はバカンス様にも私がその何かを見つけるお手伝いをして頂きたいと思っているのですわ」
エッダは素直に驚いた。
ローゼマリーの未来は破滅そのものだ。自分などとは比べ物にならない。
しかし、彼女はその事実から目を反らさずに立ち向かっているというのだ。
同じ学年の女子でありながら、ローゼマリーはなんて心が強いのだろうか。
実家のマールグリタ夫人の影に怯え、将来から目を反らして日々を怠惰に過ごす自分とは大違いだ。
エッダはローゼマリーの生き方に憧れを抱いた。
ローゼマリーは言った。
人は運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う。
ひょっとしたら彼女と悪役令嬢対策倶楽部との出会いこそが、自分にとっての運命なのかもしれない。
その考えはエッダの心にストンと落ちた気がした。
そう信じたかっただけなのかもしれない。
信じる事で、ローゼマリーの破滅の未来を回避する方法を探す事で、ひょっとしたら自分の未来に落ちる影も克服できるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いただけだったのかもしれない。
しかしそれは、幼い頃からずっと未来を信じ切れなかったエッダが、初めて見つけた希望でもあった。
「・・・そうか。うん。だったらやっぱりウチもこの倶楽部に入れてもらえるかな?」
こうしてこの日、エッダはこの学園でかけがえのない仲間達を得たのであった。
次回「いつものようにサヨナラ」




