その6 二人だけの夜
エッダの実家、バカンス男爵家に起こったお家騒動。
エッダは正妻のヒス女が放った刺客から逃げるために、明日の夜に国外に旅立つという。
俺は彼女から聞かされた話に、自分でも驚くほどショックを受けて立ち尽くしていた。
「まあそんなわけで、寮に引きこもっていたんだけど、どうも時々誰かに監視されているような気配を感じたんだよね。それでコッソリ寮を抜けだしたんだけど、行く当ても無くて困っていたんだよ。そんな時に、以前みんなで寮のアルトの部屋を尋ねたのを思い出してこうして足を運んだってわけ」
俺はショックに痺れた頭で呆然とエッダの話を聞いていた。
エッダが外国に・・・
「なあ、外国っていつまでだ? 実家が落ち着けば帰って来るんだよな?」
「ん? さあ、いつまでだろうね。もし仮に帰って来ても流石に学園には戻らないだろうね」
そんな馬鹿な・・・ いや、仕方が無い・・・のか?
エッダがいなくなる。
俺には悪役令嬢対策倶楽部の誰かが欠けた未来というものが全く想像出来なかった。
「そ、そうだ! ローゼマリー会長に頼めばなんとかならないのか?! 会長の実家は伯爵家だ! バカンス男爵家に口を利いてくれるかもしれない!」
「・・・ウチもそう思って、今日部活の後で頼んでみたんだけどね」
今日の部活の後――あの時のエッダの話はこれだったのか。
エッダは寂しそうな笑みを浮かべた。
「ウチの実家のバカンス男爵家は、ローゼマリーの実家のメッテルニヒ伯爵家とは別の伯爵家の傘下だからね。やっぱり直接話を通すのは難しいって言われたよ。一応、動いてはくれるとは言っていたけど、正直期待薄かな」
「そう・・・なのか」
この国の伯爵家はローゼマリー会長のメッテルニヒ家だけじゃない。
当然伯爵家の数だけ傘下の男爵家もいれば、複雑な派閥争いもある。
どうやらエッダののバカンス男爵家は、メッテルニヒ伯爵家とのつながりが薄かったようだ。
伯爵家の権力も万能ではない。言われてみれば当たり前の事だ。
その時廊下でカランコロンと鐘が鳴った。
エッダは驚いてビクリと身をすくめると、ドアに振り返った。
「消灯十分前の鐘だ。消灯になれば明かりを消さないといけないんだが、トイレの方は大丈夫か?」
「あ、うん。さっき行って来たから」
「そうか。スマンが少し待っていてくれ。ちょっと行って来るから」
俺はランタンの火を分けると明かりを手に廊下へ出た。
この世界に来て何が不便科と言えばトイレほど不便なものはない。
いちいち外のトイレまで行かなければいけないのは、日本人の俺にとって非常に面倒くさい。
消灯前に部屋に戻った俺は、そこにエッダの姿を見付けてホッと胸をなでおろした。
いつの間にか姿を消してやしないかと心配していたのだ。
「ベッドは好きな方を使ってくれ。個人的にはそっちのマリオの方がオススメだ。マリオは綺麗好きだからな」
「じゃあお言葉に甘えて」
俺はエッダがベッドに横になるのを確認してからランタンの火を消した。
明かりが消えると部屋の中は闇に包まれた。
じきにあちこちの部屋から明かりが消えると、さっきまでざわめいていた寮内は少しずつ静かになっていった。
・・・参ったな。眠れない。
夕方からついさっきまで寝ていたから当然なんだが、エッダからあんな話を聞かされたせいで頭が冴えて仕方が無い。
・・・いや、まあそれは言い訳なんだが。
考えてみればこの狭い三人部屋に女の子と二人きりなのだ。
その事を意識した途端に俺はどうしても寝られなくなってしまったのだ。
エッダが体を動かす度におこる衣擦れの音。ベッドの軋み音。それらの音が聞こえる度に、俺の意識はどんどんとハッキリとしていく気がした。
あ。今エッダは寝返りをうったのか。姿勢を変えているけど寝苦しいんだろうか。
さっきから息遣いが安定しないな。
そんな事ばかりが気になって仕方が無い。
これを変態的と言うなかれ。なんというか、音だけ聞いている方が余計に変な想像力が働いてしまうものなんだよ。
・・・いや、我ながらやっぱり変態的だな。
こんな事じゃダメだ。早く寝ないと。早く寝ないと。早く寝ないと・・・
焦れば焦るほど緊張して、どんどん睡眠から遠ざかっていく。
ひょっとして朝までこんな状態が続くんじゃないだろうな?
俺が絶望しかけたその時、隣のベッドでエッダが体を起こす気配がした。
ひょっとして俺の緊張が伝わって不信感を抱かれたのか?
俺はそんな想像に、緊張感のあまりゴクリと喉を鳴らしてしまった。
ヤベえ、今の聞こえてないよな?
「アルト、まだ起きてる」
「・・・ああ、まあ」
俺はチラリと横目でエッダを見た。
彼女はベッドに体を起こして俺の方をジッと見ていた。
――彼女の体は細かく震えていた。
俺はショックで固まってしまった。
さっきまでのエッダはいつものエッダだった。
けど、自分に刺客が差し向けられたと知って、平気でいられる女の子なんているだろうか?
俺は自分がショックを受けたあまり、そんな当たり前の事にすら考えが至らなかったのだ。
いつもダミアンの事を馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、俺だってあの馬鹿に負けず劣らずの大馬鹿野郎だ。
俺は今更ながら自分の馬鹿さ加減に心底嫌気がさした。
エッダは平気だったんじゃない。ずっと無理をしていたんだ。
少しでも気を緩めれば恐怖が心を支配してしまう。感情が爆発してしまう。
そんなギリギリ崖っぷちでずっと孤独に戦っていたんだ。
今思えばヒントはいくらでもあった。
監視者が気になってコッソリ寮を抜けだしたところから既に普通じゃなかった。
それにいつものエッダなら部屋着で外を出歩くようなまねはしなかったはずだ。
窓から俺の部屋に忍び込んだ事だってそうだ。
階段の側には指導寮生室があって、そこにはいつも先輩達が詰めている。
だが貴族の彼女なら事情を話して俺を呼んでもらえばいいだけの話だったんだ。
どれ一つとってもいつものエッダらしくない、衝動的で短慮な行動だ。
それだけ彼女の精神は追い詰められていたんだ。
俺はそれに気づいてやれなかった。
今まで俺は彼女の何を見ていたんだろうか。
「あのさ・・・ 変な意味じゃないんだ。でも、そう、君が迷惑じゃなければ、その・・・そっちのベッドで一緒に寝てもいい、かな」
エッダの言葉は消えるように小さくなっていった。
俺は黙って体を横にすると、彼女に背中を向けた。
俺の背中にエッダのガッカリする気配が伝わって来た。
「俺がこっちを向いていれば変な事は出来ないだろう。一緒に寝たければエッダの好きにすればいい」
くそっ。なんだよ俺ってカッコ悪いな。
けど仕方が無いだろう。ブルータスのオッサンだってこんな時にどうすりゃいいか教えてくれなかったんだからな。
エッダはしばらくためらっていたようだったが、やがてベッドの軋み音がすると床を歩いて俺の背後にするりと潜り込んだ。
「うえっ?!」
「えっ? あ、ゴメン」
「い、いや、なんでもない。ちょっと驚いただけだ」
俺はエッダは普通に俺の背後で寝るものだとばかり思っていた。
だから急に俺の背中にピタリと張り付かれて、思わず変な声が漏れてしまったのだ。
「そういえば以前、バルバラがアルトの事をお兄さんに似ているって言っていたよね」
「ああうん。そんなに俺ってディルハルトさんに似てるかな?」
いかんいかん。落ち着け落ち着け俺。心臓はちょっとドキドキうるさすぎやしないか? 止まれ止まれ。あ、いや、止まったら死んじまうわ。静まれ静まれ俺の心臓。
「どうだろうね。でもウチの上が姉じゃなくて、バルバラみたいにお兄さんだったら良かったのに・・・」
そう言うとエッダは俺の背中に顔を埋めて黙り込んだ。
多分、今も心に湧き上がる恐怖心を必死に抑え込もうとしているんだろう。
俺はそんなエッダの孤独な戦いに背中を貸してやる事しか出来なかった。
次回「エッダの冒険」




