その2 新人用務員
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俺がこの学園の用務員になってから早一週間。
今日も俺は陰になり日向になり、この学園が何不自由なく十全に運営されるように支え続けていた。
「ピンクさん、ロッカーの立て付けは直してもらえましたか?」
「・・・」
「ピンクさん?」
「あ、はい。何でしょうか?」
危ない所だった。俺は不思議そうな顔で俺の事を見上げるハゲた教師に振り返った。
俺を見上げる、といっても特別この教師が小柄な訳では無い。
俺の体躯が190cmを超える巨漢だからだ。
そしてピンクは今の俺の偽名だ。
こういう潜入作戦の時に本名を使うヤツはいない。
それは数多くの任務をこなした俺にとっても変わらない。
だがここで俺の豊富な経験が思わぬ形で足を引っ張る事になったのだ。
それは今から一週間前。
俺はさるお方からの依頼を受けてこの学園に潜入する事になった。
まずは学園内を自由に動ける立場が必要だ。
俺は馴染みの情報屋の伝手で、この学園の用務員として雇われるように手はずを整えた。
少なくない金がかかったが、今回の依頼人は貴族の夫人――おっと、俺としたことが話し過ぎたようだ。
ともかくこうして俺は新人用務員としてこのメッテルニヒ魔法学園を訪れた。
俺は学園の受付で用務課の担当を呼んでもらう事にした。
「お名前とご用件をおっしゃって下さい」
「俺の名前・・・」
受付の女職員に名前を聞かれた時に、俺は咄嗟に良い偽名が浮かばなかった。
パッと浮かぶ名前はどれも以前使ったものか、いまいちピンと来ない名前だったからだ。
ジークフリート・・・俗な名だな、俺には相応しくない。ポチ・・・人間の名前か? ペットの名前なんじゃないか?
焦れば焦る程良い名前が浮かばず、俺は追い詰められてしまった。
迷いの小道を彷徨う俺は、ふと学園の庭に目をやった。
そこには色鮮やかなピンク色の花がポツンと咲いていた。
極寒に一輪だけ咲く大輪の花。
俺はその花の姿に運命めいたものを感じた。
あの花の名前こそ俺に相応しい。俺はそう直感した。あの花の名前は・・・ あの花の名前は・・・
――あの花はなんて名前なんだ?
「あの、お名前は?」
受付の女に急かされて俺は激しい焦りを感じた。
だが今更適当な名前を名乗る気にもなれなかった。
今日はポトフを食べようといつもの店に入った時、「あらごめんなさい、今日はもうポトフ終わっちゃったのよね。他のならあるけど」と言われて愕然とした経験はないだろうか?
違うんだ、俺の口はもうポトフな気分になっているんだ。他の料理はあり得ないんだ。
そんな気持ちだ。
俺の心は既にあの孤高の花の気持ちになっていた。他の名前は断じてあり得ない。あの花は俺だ。
「・・・あのピンク色の花なんだが」
「はあ? あなた何言っているんですか?」
受付の女は明らかに不審者を見る目で俺を見ている。このままでは任務失敗だ。それだけは避けなければならない。
「・・・ピンクだ」
「ピンクさんですね。ではこちらにお名前とご用件を書いて下さい」
こうしてこの学園での俺の偽名はピンクとなった。
ちなみに傷心の俺が学園の庭に足を向けると、ピンクの花に見えたのは誰かが落としたピンク色のリボンだった。
リボンを手に呆然と立ち尽くす俺に、アッシュブラウンの髪に大きなリボンを付けたやけに幼い少女が駆け寄って来た。
「あっ! それ私のリボン! もう、こんなところに落としていたのね。あなたが拾ってくれたの? ありがとう」
幼い少女は俺からリボンを受け取ると、「冬休みでアイツがまだ学園に戻っていないから私の愚痴を聞いてくれる人間がいないのよね」などとブツブツと呟きながら去って行った。
あれは本当に学生だったのだろうか?
学生にしてはやけに幼い少女だったのだが・・・
「あのピンクさん、それでロッカーの件ですが」
「・・・」
「ちょっとピンクさん!」
「あ、はい。何でしょうか?」
いかん。うっかり過去の記憶に心を飛ばしていた。
男は過去を振り返らない。両の眼は前に付いている。後ろは見えない。そういう事だ。
「その依頼は完璧にこなしている」
「えっ? なんですか?」
「・・・今朝直しておきました」
「ああそうだったんですね。ご苦労様」
ハゲ教師は俺の仕事に満足したのか、それ以上は何も言わずに去って行った。
俺の実力をもってすればロッカーの立て付けを直すなど苦もない事だ。
ハゲ教師が俺に依頼した時点で、この仕事は既に完了したも同然だった。
だがあの男がそれを知る事はないだろう。
誰にも気付かれず、静かに、まるで何事もなかったかのようにごく自然に。
完璧な仕事とはそういうものだ。
俺は足元の掃除道具をまとめると次の掃除場所へと向かった。
この学園は敷地面積のほぼ全てを占める貴族学科と、ごく一部の面積に建物が密集している平民学科の二つに分ける事が出来る。
俺はその境目に近い部室棟の近くを歩いていた。
「おわっ! ビックリした! うわっデケエ! プロレスラーか?!」
丁度角を曲がって来た男子生徒が出合い頭に俺とぶつかりそうになった。
男子生徒は俺を見上げて驚きの声を上げた。
「ぷろれすら?」
「あ、いや、何でもないです。忘れて下さい。失礼しました」
なにやら聞き慣れない単語だが、学生の間で流行っている何かなんだろうか?
男子生徒は慌てて手を振ると、走り去って行った。
俺の鍛え抜かれた耳は、去って行く男子生徒の「マジか。さっきの人、プロレスラーのグレートキングデビルさんかと思ったぜ」などと呟く声を拾っていた。
グレートキングデビル。どこか只者ではない逸材感を感じさせる名前だ。
次の仕事の時はその名を名乗るのもいいかもしれない。
俺は部室棟に駆け込む男子生徒の背中を見ながら、そんな事を考えていた。
「そろそろ切り上げるか」
俺は曲げていた背筋を伸ばすと自分の仕事を振り返った。
ここは平民学科の男子学生寮。
ここでの俺の作業は寮の周囲に張り巡らされた柵の修復であった。
木製の柵は建物の周囲をぐるりと囲んでいる。元々一人の力では一日や二日でどうこう出来る作業量ではない。
俺の仕事は多岐に渡る。この作業にだけ関わっている訳にはいかないのだ。
今日の所はここまでにして残りは後日に回すべきだろう。
俺は道具を纏めると肩に担いだ。
その時俺は建物の隅にしゃがみ込む男子生徒の姿を見付けた。
その男子生徒は建物と建物の間に、まるで捨てられた子犬のようにしょぼくれていた。
俺は何となく放っておけない気分になって男子生徒に話しかけた。
「男がそんな顔をしているもんじゃない」
俺の声に男子生徒はビクリと身をすくめると顔を上げた。
「あんたは?」
「俺が誰かなど今のお前に関係があるのか? 俺の立場でお前の抱えた悩みが消える訳でもあるまい」
男子生徒はハッと胸を突かれたような顔になった。
「お前の名前は?」
「俺、俺はダミアン」
「そうか、ダミアン。俺はお前の力になるつもりはない。男の悩みは自分自身で解決するものだからだ」
俺の言葉に再びダミアンの顔が力無く伏せられた。
「・・・だがお前の悩みを聞く事なら出来る。何か聞いて欲しい事があるなら用務員室に来るがいい」
ダミアンは顔を上げて俺を見た。
俺はその視線に答えず、踵を返すとダミアンの前から去った。
そんな俺の背後でダミアンが立ち上がり、俺の後ろをついて来る気配を感じた。
そう。それでいい。男は誰かの力にすがるのではない。自分自身の力で立つものだ。
俺はダミアンを引き連れたまま用務員室へと戻るのだった。
次回「ピンチをチャンスに」




