その12 焦り
俺がクラリッサに勉強を教えるようになってもう二週間。来週はもう中間試験となったある日の事だった。
「出来たのです」
「どれ、見せてみろ。ふむふむ・・・ よし、全問正解だ」
「次の問題を出すのですよ」
クラリッサは毎日俺の教えた事を素直に学んでいた。
俺はどうせコイツは直ぐに投げ出すだろうと思っていたので、こんなに続くとは正直意外だった。
ちょっとだけ見直したぜ。
コイツがこれだけ頑張っているんだから、次のテストでは少しは良い成績を取らせてやりたいが・・・流石に今のままでは難しいだろうな。
何せクラリッサのやっている範囲は、未だにみんなが学園に入る前に覚えている事がほとんどだ。
とてもじゃないが次のテストまでにはみんなの学力には追い付かないだろう。
とはいえクラリッサの基礎学力もこの僅かな間にメキメキと上達している。
元々頭が空っぽに近いから、詰め込む余地が十分にあったのかもしれないがな。
俺はそんな事を考えながらチラリと窓の外を見た。
「いや、今日はそろそろ終わりにしよう。続きはまた明日だ」
そう言うと俺はクラリッサの方に振り返り――彼女の必死の形相を見て驚いて固まってしまった。
「ま、まだ時間はあるのです! もう少し教えて欲しいのですよ!」
血相を変えて俺に詰め寄るクラリッサ。
コイツ、急に一体どうしたんだ? 俺は彼女の肩を掴んで、まずは落ち着かせた。
「いや、どう考えてももう遅いだろ。どうしたんだよ今日に限って」
「! ・・・な、何でもないのです。分かったのですよ。もういいのです」
クラリッサはそう言うと手早く教科書とノートを纏め始めた。
何だコイツ? 何でこんなに情緒不安定なんだ?
何か言いたげな、そして何かに耐えているようなクラリッサの横顔に、俺の頭はすっかり混乱してしまった。
しかし、クラリッサに明確な拒絶の態度を取られた俺は、これ以上彼女に何も言う事が出来なかった。
日本ではほぼ男子高校に通っていた俺は、頑なな態度の女子を前にしてどうすればいいか分からなかったのだ。
情けないって? 自分でもそう思うわ。
クラリッサは俺の方を見もせずにぶっきらぼうに別れの挨拶をすると、部室棟を後にした。
一人残された俺は彼女の背中を見送る事しか出来なかった。
寮を目指して歩きながらも、俺の頭の中はさっきのクラリッサの横顔で一杯だった。
俺は諦めてポツリと言った。
「・・・女は分からん」
俺のついたため息は薄暗い秋空に吸い込まれていった。
翌日の放課後。クラリッサはいつものように部室に顔を出したが、その姿はどこか憔悴しているように見えた。
ローゼマリー会長達も彼女の様子が気になったのか、その日の部活動は全体的にどこか上滑りしていたように思えた。
部活が終わると、クラリッサは待ちかねたかのように俺の前に立った。
「さあ、早く勉強を始めるのです!」
「お・・・おお」
まだ部室にローゼマリー会長達がいるにもかかわらず、クラリッサは俺に詰め寄ると鞄から勉強道具を取り出し始めた。
そんなクラリッサの姿を目にして驚く会長達。
「クラリッサはアルトと倶楽部活動が終わった後、いつもこうやって勉強をしていたのかい?」
黒髪前髪パッツン少女エッダに言われて、クラリッサはそこで初めてみんながまだ残っていた事に気が付いたらしい。
彼女はハッと驚いてエッダの方へ振り返った。
クラリッサの表情に何を見たのか慌てるエッダ。
「あ、いや、別にからかったり、とがめたりしている訳じゃないんだよ?」
クラリッサはみんなの顔を見渡した。会長達も心配そうな表情で彼女の様子をうかがっていた。
クラリッサは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「し、知らない! アタシ知らないですよ!」
「ちょ、クラリッサ、どうしたんだよ!」
クラリッサは俺の制止を振り切ると、勢いよく部室を飛び出して行ってしまった。
後に残された俺達は微妙な空気の中、顔を見合わせる事しか出来なかった。
「そういう事でしたのね」
ローゼマリー会長はそう言って俺の説明に相槌を打った。
結局俺は会長達にクラリッサと勉強会をやっていた事を打ち明ける事にした。
別に隠しておくような事じゃないし、昨日からのクラリッサの様子がどうにも気になったからだ。
俺には分からない事情でも、同性の彼女達になら何か分かるかもしれないと思ったのだ。
「女の子の日なんじゃない?」
「クラリッサは重い方だったのかな?」
「・・・男の俺の前でそういう話題は止めてくれないか」
そういう下ネタはいらないから。
俺はエッダと脳筋美少女バルバラの一言で、早くも打ち明けた事を後悔していた。
「・・・ひょっとしてクラリッサの家の事情が関係あるのかもしれません」
ローゼマリー会長には何か心当たりがあるのか、その細い指を顎にあてて呟いた。
家の事情? え~と、クラリッサの家はシェーラー男爵家だったっけ。
「家の事情?」
日頃は眠そうな目をしている――というか実際に寝ている事も良くあるディアナが、珍しく真剣な表情で会長に尋ねた。
なんだかんだでディアナはクラリッサと仲がいいからな。コイツもクラリッサの様子を見るに見かねていたんだろう。
「ええ。・・・その、誠に言い辛いんですが、実はゼルマが皆さんの家について一通り調べているんです」
「なっ! 何だってぇーっ!!」
「まあローゼマリーの実家は伯爵家だからね。執事君が気を回すのも仕方が無いさ」
「というか、何で平民のアルトが一番反応するのさ」
「意味不明」
馬鹿お前、何言ってんだ! これこそ正に俺が喉から手が出るほど欲しかった情報じゃないか!
呆れ顔になるみんなだったが、今の俺はそれどころじゃなかった。
俺の記憶は日本人の高校生だ。そしてこのアルトの体に転生したのは学園に入学した後。
つまり俺にアルトの実家の情報は何もないのだ。
いつか何とかする必要があるとは思っていたが、ぶっちゃけ今までの俺はそれどころじゃなかった。
そもそも学園で手に入る個人情報なんてたかが知れているしな。
それが今日、思わぬ形で目の前に転がり込んで来たのだ。興奮するなと言う方が無理ってもんだろう。
「か・・・会長! 俺に、俺に俺の実家の事を教えて下さいーっ!」
「ええっ?! 本気で意味が分からないんだけど。大体何でアルトはそんなに必死な訳?」
さっきからうるさいぞエッダ。そんなのそこに求める情報があるからに決まってるだろ!
「あの、今はクラリッサの話をしている最中なので」
そんな殺生な! 情報がある事をチラ付かせておきながら引っ込めるなんて、会長はどんなドS令嬢なんですかっ!
「ドS令嬢って何なんですの?」
「土の精霊。ローゼマリー、いいから続けて」
「むーっ! むーっ! むーっ!」
ディアナの発動した魔法で瞬時に拘束される俺。
マジかよ、ディアナ! そりゃないぜ!
会長はしばらく俺の方を見ながら「本当にいいのかな?」って顔をしていたが、再度ディアナに促されると渋々話し出した。
「クラリッサのシェーラー男爵家は正確には元男爵家。彼女のお爺様の代で一度潰れているんですの」




