エピローグ 前編 執事の独り言
時間は少し巻き戻る。
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私の名前はゼルマ。メッテルニヒ伯爵家のご令嬢であられるローゼマリー様に仕える執事です。
「ゼルマ様、ご機嫌よろしゅうございます」
「ご機嫌よろしゅうございます」
貴族学科の女子寮を歩く私に女子生徒が挨拶をして来ました。
・・・実家の意向でメッテルニヒ伯爵家に取り入ろうと画策している者ではないでしょうね?
伯爵家に取り入ろうとする男爵家、あるいは悪意を持って近付いてくる家は数多くあります。
そういった相手の選別も私の重要な仕事のひとつです。
女子生徒は頬を染めながら立ち去って行きました。
どうやら単に挨拶をしただけの生徒だったようです。
取り急いで、主だった者の顔と家名くらいは覚えたものの、流石に学生全員の顔と家名までは一致しません。
言い訳がましいですが、このメッテルニヒ魔法学園は五学年もあるのです。残念ながら私の能力にも限界はあります。
今しばらくは慎重に行動する必要があるでしょう。
また一人女子生徒が頬を染めながら私に挨拶をしてすれ違いました。
なんでしょうね・・・私に声をかけてくる生徒の何人かは同じような態度を取るのですが。
ひょっとして彼女達は私が男性だと勘違いしているのではないでしょうか?
いや、それはあり得ませんか。
このような男の恰好をしていますが、私は正真正銘、女です。
大体、この服装も執事という仕事のためにしているので、お屋敷にいた頃は他のメイドと同じ格好をしていました。
いらぬ誤解を招かないために、初日のレクリエーションの場で寮生全員に説明はしてあるのですが・・・
・・・皆様ちゃんと覚えていますよね? きっと。
そもそも、いくら伯爵家の執事とはいえ、男子禁制の女子寮に男が入る事はできません。
そんな例外を許せば、どんな醜聞が立つか知れたものではないからです。
イヤな例えですが、貴族家の令嬢は、各貴族家にとってある意味政争のための戦略物資でもあります。
このような学園で彼女達に魔法を学ばせるのも、その価値を高めるための一環です。
なのにその価値を下げるような例外を許すはずがないではないですか。
そのような事情があるために、貴族学科には女子生徒の数の方が圧倒的に多いのです。
男で学園に入るのは三男以降、養子先のあても無く、将来は実家を出て自分で働き口を見つけなければならない、そんな者がほとんどです。
そして、そういった男子生徒は貴族令嬢である女子生徒の伴侶の候補にはなり辛い、という現実があります。
もっとも、男子生徒の方もそんな事は百も承知で、将来の働き口を得るためにあの手この手で彼女達にすり寄るみたいです。
中には純粋な好意から近付く者もいるでしょうが、そういう男子生徒はどちらかというと例外に入るのではないでしょうか。
その後も数名の女子生徒と挨拶を交わし、私はローゼマリーお嬢様の部屋と続きの部屋、自分達使用人に割り当てられた部屋へと戻りました。
お嬢様は食事に行かれており、部屋にはいらっしゃいません。
この時間のお嬢様のお世話は私の同僚の二人のメイドが行っています。
つまり今は私の休憩時間という訳です。
私は皺がよらないように上着を脱いでハンガーに掛けると、自分のベッドに横になりました。
私はこの数日の事を思い出します。
入学式を終えられた翌々日。お嬢様は突然気鬱になってふさぎ込まれました。
真面目なお嬢様が、その日は体調を崩された事になさり一日部屋に引きこもられたのです。
メッテルニヒ伯爵家に連なる多くの生徒がお嬢様を心配してお見舞いに来られました。
しかし、お嬢様はどなたにも会われることはありませんでした。
その日の夜、部屋に夕食をお持ちした時、お嬢様は私にご自身のお心うちを打ち明けて下さいました。
・・・その内容は、正直今でも信じ難いものでした。
今から五年後、卒業を翌日に控えた夜。パーティー会場でお嬢様は全てを失ってしまい、さらには事故で命まで落とされるのだと言うのです。
あまりに荒唐無稽なその内容に、失礼ながら私はお嬢様の話を全く信じられませんでした。
しかし、お嬢様は頑なにご自身の破滅の未来を信じて疑われておられない様子でした。
なんでもお嬢様には、今後五年分、卒業までの学生生活の記憶がちゃんとあるのだそうです。
流石に実技が伴う魔法の行使は出来ないご様子でしたが、座学に関しては五年間で習う講義の内容を全てご存じでした。
それらの話を伺ううちに、私の気持ちも徐々にお嬢様のお話を信じる方へと傾き始めました。
おそらく私の態度からその雰囲気を察したのでしょう。
お嬢様は言葉を切ると、私に尋ねられたのでした。
「ねえゼルマ。私はどうすれば良いと思う?」
お嬢様の二つ年上の私は、あえて不敬を恐れずに言うのであれば、お嬢様にとっては姉のような存在です。
もちろん日頃は主と使用人の分を超えるような事は決してありません。
しかし、本当に困った時や、誰かに弱音を吐きたい時は、いつもお嬢様は屋敷の誰よりも前に私に相談なされました。
「正直に申し上げて・・・どう判断すれば良いか分かりかねます」
「・・・そう。そうよね。私も今日一日ずっと考えていたけど、どうすれば良いのか見当も付かなかったもの」
「いえ、判断は出来ませんが、どうすれば良いかは決まっています」
「えっ?」
私はじっとお嬢様を見つめます。
見た目は少し気が強そうにも見えますが、その心根は大層お優しい真面目なお方です。
なぜこのような方が、一夜にして全てを失うような酷い目に会われなければならないのでしょうか?
「お嬢様はお幸せになられるべきお方です。そのような未来は全力で回避致しましょう。私も微力ながら全力でお手伝いします」
ハッと胸を突かれたような表情になるお嬢様。
しばらく声も出せないご様子でしたが、やがてその長いまつ毛に大粒の涙が溜まります。
「私は・・・幸せになって良いのでしょうか?」
「お嬢様が幸せになられずに、どなたに幸せになる資格がございましょうか」
やがてポロポロと涙を流しながら嗚咽を漏らすお嬢様。
今日一日、ずっと繰り返しご自身の未来を思い返していらしたのでしょう。
それはどんなにお辛い事だったでしょうか。
私は「もしこの身が使用人でなければ、この方に胸を貸して差し上げられたものを」と無念に思いながらも、涙を流すお嬢様を黙って見つめる事しか出来ませんでした。
翌日からお嬢様のご自身の未来を変えるための活動が始まりました。
私も宣言通り全力でサポート致しました。
私達が真っ先にやったのは、一時的にメッテルニヒ伯爵家に連なる者達との関係を切る事です。
今後の様子を見ながらになりますが、もし必要であれば、学園にいる間は彼女達とは疎遠にする必要が出てくるかもしれません。
お嬢様は「あの方達はまだ何もしていないのにそこまでしなくとも」と、気が進まないご様子でしたが、ここは私の意見を通させて頂きました。
いずれ裏切ると分かっている者をお嬢様の近くに置くわけにはまいりません。
いつどこで足を引っ張られるか分かったものではないのですから。
私は父に「お嬢様は学生の間だけでも伯爵家令嬢の立場から離れて羽を伸ばしたいと思われている」と、嘘の連絡を入れました。
若い貴族の子息が、学園に通う間だけでも自由にしたい、と思う事は珍しくないと聞きます。おそらく父の性格からしてもお嬢様のお気持ちに理解を示すことでしょう。
これで父から彼女達の実家の方に上手く話が伝われば当面は問題無いはずです。
メッテルニヒ伯爵領で長年代官を勤めた父の機嫌を損ねてまで、お嬢様に取り入ろうとする家はないでしょうから。
お嬢様は、とにかく思い付いた事は全て試す、といった勢いで、様々な行動をなされました。
正直、そのほとんどは奇抜すぎて、事情を知っている私から見ても「これはどうだろうか?」と思えるものばかりでした。
それというのも、お嬢様は大層聡いお方なのですが、生真面目すぎるというか、思い込みが強いというのか、少し・・・え~と、誤解をおそれずに言えば、いわゆる”天然”なお方なのです。あ、言っちゃった。
いえ、そこは私がフォローすれば良いのです。
そのために父は私に、「学園に通う間のお嬢様の執事をするように」、と任されたのですから。
それにしてもお嬢様は未来をお知りになられてから、若干性格が変わったようにも思います。
以前はもう少し険のある態度や、気難しい部分がお有りになられていた気がします。
今は以前よりおっとりとした性格が目立つようになられました。
これが良い変化なのかどうか、私ごときには判断が付きかねますが、良くなっていて欲しいという気持ちに嘘偽りはございません。
お嬢様を知る学園の多くの人達は、お嬢様がどうかしてしまったと思った事でしょう。
それほどお嬢様は急なお変わりようでした。
しかし、事情を説明すればさらに奇異の目で見られる事になるのは分かりきっています。
この学園には、他学年とはいえメッテルニヒ伯爵家以外の伯爵家の令嬢も通っておられます。
これ以上お嬢様にとって良くない風聞が広まり、他家に付け込まれかねない行動は慎むべきでしょう。
こうして、この短い期間にお嬢様はどんどん孤立していってしまいました。
もっとも、どの道順当にいけばお嬢様は卒業前には全てを失ってしまうのです。
こんな状況でも五年後より悪い訳ではないのですから、お嬢様のされている事は間違っているとは言えないでしょう。
とはいえ、いくらお嬢様が伯爵家のご令嬢とはいえ、学園で使用人の私や貴族の子女であるお嬢様がやれることには自ずと限度があります。
私達はすぐに行き詰まってしまいました。
この良くない流れを変えたは、あの日のお嬢様のとある思い付きでした。
・・・正直、これもいつものようにあまり褒められたアイデアでは無かったのですが、結果としてこの思い付きが我々の閉塞感を打ち破ることになるのです。




