第9話:結婚発表
(いよいよ今日か……)
今日は全社員が出席する定例総会の朝。
私はかつてないほどの緊張に包まれていた。
今日この場で、久我山社長の結婚が公表されることになっている。
うう……緊張でうまく息ができない。
私は、カチカチに固まったまま大会議室の入り口付近に控えていた。
近くにいてほしいと蓮に言われていて、私は前に出れるような場所でスタンバイしている。
そして壇上の社長が、今期の業績と来期の事業計画についての報告を終えると、一度言葉を切った。
会場の空気がわずかに緩みかけた、その時。
「最後に、私事ではあるが報告がある」
(……き、きた)
心臓がドクドクと音を立て、指先が冷たくなっていく。
「私、久我山蓮は先日入籍をした」
「えっ」
「社長が結婚!?」
どよめきが起きる。
すると彼は静かに、けれど通る声で続けた。
「相手は、営業部佐伯紬さんだ」
その瞬間、数百人の視線が一斉に私へと突き刺さった。
ううう……お願い見ないで……。
肩を丸めてしまいそうになる。
その時、蓮が私を守るように一歩前に出て言った。
「身を固め、より一層の覚悟を持って経営に邁進する所存だ。皆も変わらぬ尽力を、よろしく頼む」
その堂々とした姿にざわめきかけた会場が再び静まり返った。
彼が頭を下げる。
私も慌てて、彼の隣で深々と頭を下げた。
お、おわった……?
社長の言葉で、総会はあっけなく終了した。
顔を上げると、蓮がわずかに私の方へ視線をうつす。
『……行くぞ』
声には出さず、目だけで合図を送ってきた。
会議室を出て、人気の少ない廊下まで来ると私は大きく息を吐いた。
「はぁ……緊張した……」
心臓がまだドクドク鳴ってる。
「荷が下りたな」
蓮は涼しい顔でそう言った。
彼はずっと堂々としていて、私を庇うように前に立ってくれていた。
あんな風に振る舞ってくれたから、私はただ頭を下げるだけで済んだんだ。
私が少しでも緊張しないように、彼なりにリードしてくれたのだろう。
「しばらくオフィスが騒がしくなるかもしれないが……あとは頼む」
「はい」
なにか思われているかもしれないけど、ここは私の力量が必要だ。
蓮はそれだけ言い残すと、役員室の方へと歩いていった。
だいぶ支えられてるな……。
そんなことを考えながら私も業務に戻ろうと歩き出した時。
「おい、紬!」
焦ったような声と共に、誰かが走ってきた。
振り返ると、そこには血相を変えた卓也がいた。
「あれはどういうことだよ!?」
卓也は私の目の前で立ち止まると、肩で息をしながら声をあらげた。
額には脂汗が滲んでいる。
「どういうことって……あのままの意味だけど」
「お前が社長と結婚したなんてウソだろ?だって俺と別れてまだそんなに経ってないじゃないか!お前、浮気してたのかよ」
「はぁ?なにを言ってるの?」
浮気してたのは自分のくせに……。
あまりの検討違いな発言に、私は呆れてため息をついた。
「浮気なんてするわけないでしょ」
「じゃあなんでだよ!あんな短期間で社長と結婚なんてありえないだろ!」
まぁ……それはそうなんだけど。
そんな事情を彼に話す義理はない。
私は一切不義理は働いていないのだから。
「とにかく、あなたと違って、私は不誠実なことはしないから」
「っ……」
図星を突かれたのか、卓也が言葉に詰まっているようだった。
そう、裏切ったのは彼の方だ。
それなのに被害者面して騒ぎ立てるなんて、自分勝手もいいところだ。
「もういいでしょ?これ以上一緒に話して変なウワサを立てられたくないし」
そう言うと、卓也は顔を真っ赤にして、さらに詰め寄ってきた。
「お前みたいな地味な女が、社長に相手にされるわけがない!お前……身体でも売ったんだろ?」
……最低。
どうしたらこんな最低な言葉がおもいつくんだろう。
失礼極まりない言葉に、頭の中でなにが切れる音がした。
「あーそう!なら勝手にそう思っていれば?」
この人、話が通じない。
そんな相手になにを話しても無駄だ。
勝手に思えばいい。
「邪魔しないで仕事に戻るから」
「おい、待てよ!まだ話は……」
喚く卓也を無視して、私はその場を後にした。
(はぁ……疲れた)
蓮との結婚を発表して、話しかけてくるのをやめてくると思ったのに全然逆だった。
廊下の角を曲がり、給湯室の近くまで来た時だった。
「……許せない」
地の底から響くような声が聞こえ、こちらをにらんでいる人物がいた。
ビクッとして足を止めると、目の前に理子ちゃんが立っていた。
「理子ちゃん……」
彼女はギリっと唇を噛み締め、鬼のような形相で私を睨みつけている。
「ありえない……絶対にウソよ」
なんのこと?
卓也と話していたことを見られた?
「ち、違うから。さっき話してたのは別に……」
「おかしい!おかしい、おかしい!先輩みたいな地味な人が社長なんか堕とせるわけないじゃない!」
てっきり卓也と話していたことを怒っているのかと思ったらそうではないらしい。
「あんたは私の下にいればいいのよ!幸せを奪われて惨めでかわいそうな女でいればいいの!」
理子ちゃんは肩で荒く息をしながらそう言った。
(ああ、そうか……)
私は理子ちゃんに嫌われていたんだろう。
おそらく卓也を取られたのも、ふたりが恋に落ちたからではない。
私から卓也を取るため。
彼女はずっと、私と比べて優越感に浸ることで自分を満たしていたんだ。
そう思うと、怒りよりも哀れみの方が湧いてきた。
「理子ちゃん、人生って人と比べるものじゃないんだよ」
仕事は競争してもいい。
誰かと比べて足りないところを補ったり闘争心を出してもいい。
でも自分の人生は誰かと比べちゃいけないの。




