第10話:ほしいものは私のもの【理子side】
ありえない。絶対になにかの間違いだ。
給湯室でコーヒーを淹れながら、私は苛立ち紛れにスティックシュガーをゴミ箱に投げ捨てた。
佐伯先輩が、久我山社長と結婚……?
それを聞いた時、私の時が止まった。
あの地味で、面白みもなくて、私の引き立て役にぴったりだった佐伯先輩が?
ハイスペックでイケメンでお金も持っていて将来安泰どころか結婚したら幸せ確定のあの久我山社長と?
釣り合うわけがない。
社長はきっと、なにか弱みを握られたに違いない。
だってあんな売れ残りの三十路前の女を選ぶなんて、普通に考えておかしいもの。
「はぁ……イライラする」
ため息をつきながらスマホを見る。
画面には、私の彼氏――卓也先輩からのメッセージが表示されていた。
『今日の夕飯なに?俺、ハンバーグがいいな』
それを見た瞬間、さらに気分が萎えた。
「私は、家政婦じゃないつーの!!!」
私が佐伯先輩から奪ってやった、卓也先輩。
営業部でエースで仕事も出来て、将来有望株確定だった。
略奪した時は、最高の優越感だった。
先輩が大事にしていたものを私が手に入れた。
……でも。
(正直……この男、ハズレだったかも)
付き合ってみて分かったことだが、卓也先輩は驚くほど中身がない男だった。
仕事は言われたことしかできないし、(今までは佐伯先輩に資料の作成などを任せて仕事をとってきていたらしい)家に帰れば「疲れたー」と言ってソファに寝転がり、スマホゲームばかりしている。
家事なんて一切しない。
「紬はやってくれたよ?」
なんて、元カノの名前を出して私に世話を焼かせようとする始末。
顔だって、冷静に見れば中の下。
社長のあの研ぎ澄まされたビジュアルと比べてしまうと、月とスッポン……いや、月とダンゴムシくらいの差がある。
「クッソ……いらない男、つかまされた」
私は唇を噛んだ。
こんなのおかしい……。
これじゃあ佐伯先輩にこの粗大ゴミを私に押し付けて、自分だけさっさと玉の輿に乗ったみたいじゃない!
そう思ったら、悔しくて悔しくてたまらなくなった。
このままじゃ終われない。
私が負け組の男の世話をして、あの地味な先輩が勝ち組の妻として社長に溺愛されるなんて、そんなシナリオは認めない。
(……奪ってやる。絶対に……)
私は鏡に映る自分を見る。
ハリのある肌、流行りのメイク、少し短めのスカートから伸びる脚。
先輩が行けたんなら、絶対に私もいけるはずだ。
今まで社長に手出すのはもう少し先に……とか思ってたけれど、関係ない。
(早くあの女から取り返さなきゃ)
そしたらハイスペックが私の手の中のもの。
久我山社長と結婚なんかできたら、一生働かなくてもいいし贅沢し放題。
最高の生活。
それに、佐伯先輩のもっともっと悔しそうな顔が見られるだろう。
社長に捨てられた惨めな女として一生会社で生き恥さらしていればいいのよ。
社長夫人の座は私のものよ。
「ふふっ……待っててね、久我山社長♡」
後日──。
私はデスクの下に隠しておいた可愛らしいラッピング袋を取り出した。
中身は昨日、夜にせかせかと焼いた手作りクッキー。
しかもハート型。
佐伯先輩みたいな地味な女は、こういうかわいらしいことはしないだろうし、これをあげて「お忙しそうだから心配してるんですぅ」なんて言えばきっと社長もイチコロだ。
年上って以外とかわいい女に弱いのよね。
私は社長室のあるフロアへと向かった。
ちょうど、会議室から出てきた社長の姿が見える。
今日も完璧なスーツ姿。
背も高く色気があって、カッコいい……っ。
「あ、社長~!お疲れ様ですぅ!」
私は小走りで駆け寄り、彼の行く手を遮るように前に出た。
上目遣いで、うるんだ瞳で見つめる。
これが私の必勝パターン。
「あのぉ、これ……よかったらどうぞ。私が焼いたんですぅ」
私はピンクのリボンがかかったクッキーを差し出した。
「社長、最近お忙しそうだから……糖分補給が必要かなって」
そうやって心配するフリをする。
「若い私の方が気が利くし、家庭的で可愛いですよ」というアピール。
さあ、どう?
きっと嬉しそうに笑って「ありがとう」と言ってくれるに違いない。
私は自信満々の笑顔で、社長が手を取ってくれるのを待った。
しかし……。
「……いらない」
「え……?」
私が固まっていると、久我山社長は私を冷たく見下ろし言い放った。
それはゴミを見るような目だった。
「そんなことをするよりもやるべきことがあるんじゃないのか」
「や、やるべきことって……?」
私がクッキーを持ったまま呆けていると、社長は淡々と続けた。
「キミの勤務態度について、報告が上がってきているぞ」
「えっ……」
「頻繁な離席。給湯室での長時間の私語。それに、業務中のスマートフォン使用によるミスの多発。それだけじゃない。仕事を他人に押し付けているようだな」
社長の口から次々と飛び出す言葉に、私はさぁっと血の気が引いていくのを感じた。
な、なんで……そんなことまで知って……。
「あ、いや、ちが……ちゃんとやってはいるんですけど」
必死に上目遣いで言い訳をするけれど、社長の瞳には軽蔑の色しか浮かんでいない。
「こんなものを作ってご機嫌取りをしている暇があるなら、自分のミスを減らす努力をしろ」
「……っ!」
「次、目に余るようなら相応の処分を考える。そのつもりで仕事に励むように」
そう言い放つと、彼は私の横をカツカツと足音を立てて通り過ぎていった。
残されたのは、甘ったるいクッキーを握りしめたまま、恥ずかしさで顔を真っ赤にした私だけ。
廊下の向こうから、様子を伺っていた社員たちがクスクスと笑っている。
「この間、日下部さんと付き合ったって言ってなかったっけ?」
「うまくいってないってウワサだよ?」
「社長に目付けたの?やばー!」
「聞いた?相応の処分だって」
「自業自得よねぇ、仕事もしないで男漁りばっかりしてるから」
ヒソヒソという嘲笑が、針のように突き刺さる。
私はいたたまれなくなり、逃げるようにその場を走り去った。
「クッソ……!」
化粧室の個室に飛び込み、鍵をかけるなり私はドアを思い切り蹴り飛ばした。
「なによあいつ!何様のつもり!?」
恥ずかしさと怒りで、はらわたが煮えくり返りそうだった。
あんなみんなの前で恥かかせなくたっていいじゃない。
勤務態度?ミス?そんなの、可愛げがあれば許されるのが普通でしょ?
それなのに、あの社長は……!
「絶対、あの女のせいだわ……」
あいつが社長に私の悪口を吹き込んだに決まってる。
「卑怯よ……陰でコソコソ告げ口なんて」
それから私は少し仕事をして、怒りが収まらないまま退社した。
家路につく。
鍵を開け、ヒールを乱暴に脱ぎ捨てて部屋に入ると、そこにはジャージ姿でソファに寝転がり、テレビを見ている卓也の姿があった。
もう帰ってんのかよ。
こいつ、本当……残業しないな。
こっちだってほぼ定時に上がってるつーのに、いつだってこの男はここにいる。
聞くところによると、営業から直帰の時に早く終わらせて家に帰っているのだという。
さぼっていて、最近では部下からの評価も落としているとウワサされていた。
そんな相手の婚約者だなんて恥ずかしくて仕方ない。
私にはもっといい男が隣にいるべきなのよ。
こいつのせいですべてがうまくいかなくなった。
「お、おかえり理子!帰ってきたならごはん作ってよ」
「……ただいま」
私はドサッと鞄をテーブルに置いた。
誰がごはんなんか作るか。
中から、リボンの潰れたクッキーの袋を取り出し、テーブルの上に投げ出す。
するとそれに卓也先輩が目を付けた。
「ん?なにこれ、食ってもいい?」
卓也先輩がのそのそと起き上がり、それに手を伸ばした。
「……勝手にして」
どうせ捨てるつもりだったんだ。
あんたは残飯処理係よ。
私がメイクを落とそうと洗面所へ向かいかけた時、背後からバリボリと咀嚼音が聞こえてきた。
汚い男……。
つくづくこの男と一緒にいるのが嫌になる。
そんなことを思っていると、卓也先輩が呑気な声を上げた。
「うーん、ちょっと甘味が足りないな」
「……は?」
「いや、なんか粉っぽいっていうか。こういうのってもっと甘く作らないとうまくないんだよな~いつものコンビニのやつの方が美味くない?」
横になって食べながら偉そうに評価する男。
私の中で、なにかが切れる音がした。
「ふざけんじゃないわよッ!!」
「えっ!?」
私はテーブルの上にあった空き箱を鷲掴みにし、卓也先輩に向かって力任せに投げつけた。
角が彼の額にゴツンと当たる。
「痛っ!なにすんだよ!」
「文句あるなら食うな!人がせっかく作ったのに!」
「だ、だって感想言っただけじゃん……」
「それうざいって言ってんのよ!あんたなに様なわけ?!」
「なんだよその言い方!ヒステリック女!」
卓也先輩が不満げに眉を寄せる。
その情けない顔を見ていると、イライラしてきた。
悔しい……。
なんで私が稼ぎも悪い、なんのとりえもない男の世話をしなきゃいけないの。
これじゃあまるで、私がババを引いたみたいじゃない。
「もう知らない!別れてやる!」
私はカバンを持ってそのまま玄関から出ていった。
ドアをバタンと閉め、走り去る。
この男じゃダメだ……。
絶対に社長を手に入れる。
大丈夫。私なら大丈夫。
色目使いが通用しないのなら、もっと他にやれることがある。
そうよ。
先輩の悪評を流せばいいの。
そうすれば、先輩と社長はうまくいかなくなる。
「見てなさい……絶対に私のものにしてやるから……」




