第5話:重たい仕事
それからさらに1週間がたち、私たちの両親にも挨拶を終えた。
案の定父も母も大喜びして蓮を出迎えた。
騒がしくて恥ずかしかったけど、蓮も嬉しそうな顔をしてたな……。
1年後離婚するから軽い感じでって思ってたけど、パーティ始まっちゃったし……。
でもまぁそれは説明をすればいいか。
それから翌日出社の日。
「じゃあ先に行くな」
「うん、行ってらっしゃい」
蓮はいつも私より早くに出社する。
だいたい一時間くらい時間をずらして私も会社に向かっていた。
今日も蓮の家から出社。
なんか家が会社から近くなって快適っていうのもあるんだけど、それ以上にこの生活に馴染んでしまっている。
だって普通に過ごしやすいんだけど!?
同棲ってこんないいものなの?って思ってしまうくらい……。
家に帰って蓮は遅く帰ってくるときもあるけど、今日あった話とかをして、時々会社の悩み相談をしたり、お酒を一緒に飲みながらテレビを見て一緒に笑ったりとか……毎日幸せだと思ってしまうんですけど!
人と暮らしてストレスためるんじゃない?とか思ったら、ノーストレス!むしろ最高。
いいのか……こんな楽しく結婚しちゃって……。
なーんて思っていると、会社に着いた途端に現実は容赦なく襲いかかってくる。
「あ、佐伯さーん!ちょうどよかったぁ」
デスクに着くや否や、甘ったるい声が降ってきた。
理子ちゃんだ。
彼女は抱えていた分厚いファイルの束を、ドサッと私のデスクに置いた。
「これ、先週分の営業データなんですけどぉ、まだ入力終わってなくって。佐伯さん、今日お願いできませんか?」
なにかと私に仕事を押し付けてくる理子ちゃん。
ここ最近拍車がかかっている気がする。
「……これ、理子ちゃんの担当だよね?」
「そうなんですけどぉ、私これからプロジェクトの会議があってぇ、毎日忙しいんです」
毎日定時に帰ってるよね!?
さすがにずっと甘やかすわけにはいかない。
「理子ちゃん、自分の仕事は責任持ってやってほしい」
私が少し強めに言うと、理子ちゃんの目が一瞬で潤んだ。
「先輩……ひどいです……。私、精一杯やってるのに……」
ちょっ、なぜ急に泣き出す!?
フロア中の視線が一気に私たちに突き刺さる。
まずい、と思った時にはもう遅かった。
「最近すごく冷たいですよね。仕事も教えてくれないし……卓也さんと付き合いだしてから、佐伯さん私に冷たい気がして……」
はぁ?!
そんなつもりは当然ない。
しっかり理子ちゃんの仕事のチェックもしているし、この間も押し付けられた仕事を私が片付けたばかりだ。
「えっ、日下部さんと付き合ってからって……もしかして」
「佐伯さん、日下部さんのこと狙ってたから……?」
周囲から聞こえてくる心ないひそひそ話。
こっちが悪者になってるんですけど!
ここで反論したら、「図星だから必死になってる」とか言われるのがオチだ。
「……わかった。私がやるから」
「えっ、本当ですかぁ?ありがとうございますぅ!」
けっきょくこうなってしまった……。
そして彼女はさっきまでの涙はどこへ行ったのか、満面の笑みでファイルを押し付け戻っていった。
私は大きなため息をついた。
机に積み上がった理不尽な仕事の山。
悔しい……。
(誰が仕事に私情を挟むかっての!)
ようやく理子ちゃんから押し付けられた山のような入力を終え、一息ついたところだった。
「紬、ちょっといい」
入口で卓也が手招きしていた。
なんの用……?
しかし周りの目もあり無視するわけにもいかず、私は重い足取りで彼の方へ向かった。
彼は人気のない会議室の廊下まで私を連れてきた。
「……なに?」
「紬にお願いがあって呼んだんだ」
私は不審な目を卓也に向けた。
「これ、紬にやってほしくて」
卓也が差し出したのは、明日の役員会議で使う重要なプロジェクトの資料だった。
「なに言ってるの?」
「前までやってくれてただろう?やっぱりさ、理子はこういうのできないしお前に頼
もうと思って……」
ありえない。
私にあんなことしたクセによく頼めるよね。
「私は……!困ってるっていうから手を貸すつもりでやってただけ!」
付き合っていた時、卓也が悩んでいたことがあった。
こうしたらいいんじゃない?ってアドバイスをしたら、どんどんそれが大きくなっていって、しまいには彼に資料作成を頼まれるようになってしまった。
付き合っている時は「紬がいるから俺も頑張れてる」って笑う卓也が好きで、ダメだと分かっていながらもやってしまったんだ。
「もうしないから」
「そんな冷たいこと言うなって。別れても同期だろ?お前、仕事は出来るからさお願いしたいだけだって。頼むよ!」
「絶対に嫌」
「あっ、分かった!じゃあ交換条件!俺も他の男紹介するからさ!」
「……っ」
信じられない。
浮気した男が元カノに男を紹介?
よくそんなことを言える。
「いらない。間に合ってるから」
「強がらなくていいって。どうせ相手いなくて困ってるんだろう?まぁ?俺よりはちょっとだらしないけど、いいやつならいるからさ~」
なんで私はこんな男が好きだったんだろう。
……本当、愚かな自分を憎みたい。
「とりあえずこれ……!やってくれよ」
卓也が無理やり資料を押し付けくる。
「本当にやめて!」
私が声を荒げたその時。
「――なにをしている」
凛とした、よく通る声が空気を切り裂いた。
──ドキ。
心臓が跳ねる。
恐る恐る振り返ると、そこには不機嫌そうに眉を寄せた蓮……いや久我山社長が立っていた。
「しゃ、社長……!?お、お疲れ様です!」
卓也が慌てて姿勢を正し、へこへこ頭を下げる。
しかし、社長は冷ややかな視線を卓也に向けた。
「最近妙なウワサを聞くことが多い。資料を誰かに頼んで自分ではやらない人間がいるらしい」
卓也は顔を引きつらせながら、持っていた分厚い資料をそそくさと背中に隠した。
隠せてないし……。
そんな浅はかな行動などお見通しなのだろう。
蓮は鋭い視線で卓也を射抜いた。
「今まではどうだったか知らないが、そういうのはプレゼンを聞けばすぐに分かる。……逃げられると思うなよ」
「っ……!そ、そうですよね!お、俺もそう思います!俺は頑張ってやってるんで、次のプレゼンはぜひ見ていただけると嬉しいです!失礼します!」
卓也は裏返った声で叫ぶと、逃げるように自分のデスクへ走っていった。
ふふっ……。
これでもう卓也は自分の力でやるしかできなくなった。
これでしばらくは大人しくなるだろう。
(……でもすごいな。あの一言で撃退しちゃうなんて)
私が呆然とその場に立ち尽くしていると、くるりと踵を返した蓮と目が合った。
(あ……)
仕事モードの蓮。
だけど、そこには優しさが混じっていて……。
――ポン。
すれ違いざま、彼は私の頭を軽く叩いた。
「無理するなよ」
ぼそりと聞こえた言葉。
顔を上げると、彼はもうなにごともなかったかのように社長室へと歩き出していた。
(……なに今の)
今は会社の社長で、私はただの部下だってわかっているのに……。
心臓がぎゅうっと握りしめられたような感覚だった。
(もう……)
分かってる。
あれはただ社員を守ろうとしただけの行動だって。
それなのに……なんでこんなにドキドキしちゃうの。
相手はあの久我山蓮よ。
私……しっかりしろ。
もしかして結婚したらフィルターかかってよく見えちゃうとかある?
絶対そう。
落ち着け私……。
私たちは利害が一致した契約結婚。
1年後には離婚するのだから、ときめきとかいらないのよ。
私は自分に言い聞かせるように頬をパシパシと叩いた。
ようやく仕事が終わり、私は会社を出た。
今の時刻は19時。
理子ちゃんに押し付けられた仕事があり、時間がかかってしまったけれど、卓也の分の仕事をしていた時はもっと遅くなっていたからマシだ。
っていうか、今日……助けてくれたのよね。
(お礼、したいな)
負担になるから食事は作らなくていいと言われていた。
でも、作ったら食べてくれるかな……?
まぁいらないって言われたら自分で食べるからいっか!
私は買い物に行ってからマンションに帰宅した。
今日は簡単な和食でも作ろうかな。
肉じゃが、焼き魚、だし巻き卵、お味噌汁。
これくらいあるといいか……。
40分ほどで作り終えると、ちょうど玄関の開く音がした。
「ただいま」
「おかえりなさい」
リビングに入ってきた蓮は、テーブルに並んだ料理を見て目を丸くした。
「紬が作ったのか」
「うん。……まぁそんなに上手じゃないんだけど。食事まだだったらどうかなって」
「ちょうどお腹がすいてた。すごくうまそうだ」
良かった……。
蓮はジャケットを脱ぐのも忘れて嬉しそうにテーブルに近づいた。
着替えて手を洗ってくると、早速二人で食卓を囲む。
「いただきます」
蓮は丁寧に手を合わせると、味噌汁を一口飲みほうっと息をついた。
「……うまい」
「ほ、本当?」
「ああ。沁みるな」
しみじみと言う彼を見て、胸が温かくなる。
「外食続きだったから、こういうのが一番うれしい」
「よかったぁ……」
ちょっと頑張って作った肉じゃがも「美味しい、おいしい」といいながらパクパクと箸を進める彼を見て、嬉しくなってしまった。
こんな風に手料理を作って喜んでもらえたことなんてなかったな……。
卓也に作った時だって。
『俺の味付けの好みじゃないけど、まぁいいんじゃない?』とか 『もうちょい塩分強い方がいいんだよな~まぁやっぱ外食最高って感じ?』とか、そう言われるたびに、料理をするのが億劫になっていたけれど。
(……作るのって、いいかも)
空っぽになったお茶碗を見て、私は素直にそう思えた。
「ごちそうさま。おいしかったよ。ありがとう。片付けはやるから置いといてくれ」
「いいよ、疲れてるでしょ?」
「いいから」
蓮は強制的に私をソファに座らせて自分は洗い物をした。
なんか逆に気を使わせてしまったかな?
そして洗い物が終わると、温かいお茶を入れてくれる。
あー幸せ……。
飲みながら私は切り出した。
「そういえば……今日助けてくれてありがとう」
「ああ。それはいいが……大丈夫なのか?」
「まぁ……なんとかするよ」
一旦蓮がけん制してくれたわけだし……しばらくは人目があるところでは私に押し付けてこないだろう。
まぁ……人目のないところで言ってくるかもしれないけどね。
言葉を濁すと、蓮は眉間に皺を寄せてため息をついた。
「お前は昔からお人よしだからな」
昔から……?
「そうかな?」
「そうだ。頼まれたら断れないし、損な役回りばかり引き受ける。正直、昔から他人にいいように使われるんじゃないかって心配だった」
真剣なトーンで言われて、私はキョトンとした。
「えっ、そんなことあったっけ?」
「……自覚無しか」
蓮は頭が痛いと言わんばかりに額を押さえた。
たしかに色々頼まれることは多いなと思ってたけど……もしかしてけっこう使われてた?
「っていうか、蓮ってそんなに私のこと見てたの?」
「ぶっ……!」
飲んでいたお茶にむせそうになり、蓮が慌てて口元を拭う。
その耳が、ほんのりと赤くなっている気がした。
「た、たまたまに決まってるだろ!」
「たまたま?」
「そうだ! お前がどうしようもなくて、見てて危なっかしいから放っておけなかったんだ!」
「どうしようもないってなによ!」
口を尖らせて反論したけれど、蓮の反応を見てこっちまでドキドキしてしまう。
なに顔赤らめてるのよ……。
っていうか高校時代の私のこと……私自身も忘れているような些細なことまで覚えてるなんて。
って、そんなの自意識過剰か。
「ってかさ、蓮ってよく私のことウザいって思わなかったよね」
「ウザい?」
「だって勝負だ!って毎回挑んできたり、なにかと突っかかてきたりするのは冷静に
考えるとけっこう迷惑だったというか……」
「別に」
蓮は短く答えると、手を組みながら言った。
「俺の周りは、あの当時から家柄目当てですり寄ってくる奴ばかりだった。だから……お前みたいに、純粋な敵対心を向けてくるのが新鮮だったんだ」
そっか……。
蓮って高校生の頃からそんな悩みを持っていたんだ。
高校生の頃、なんでも持ってる蓮にはなんの悩みもないんだろうと思ってた。
でも持っているものが多い人には、多いなりの苦しみだってあるよね。
「お前は昔から、まっすぐで諦めが悪い。そういうところがいいと思ってる」
彼は懐かしむように目を細めた。
その横顔が、記憶の中にある高校時代の彼と重なる。
前にもこの横顔を見つめていた瞬間があった気がする。
ぼーっと見つめていたあの時が……。
「も、もっと褒めてくれたもいいんだよ?」
急に恥ずかしくなった私は茶化すように言う。
「テストの点数も俺に負けまくっても勝負を挑んできてたから、大した度胸だと思ったよ」
「……そ、それ、褒めてないよね?」
「どうだろうな」
絶対褒めてない!
あの頃、ワーワー騒いでいた私たちが今は夫として隣にいる。
人生ってなにが起きるか分からない。
でもこんな人生があってもいいのかなって、蓮のおかげで思えた──。




