第5話 この船、いくらする?
アストライアが第六中継施設へ接近すると、巨大な接続アームがゆっくりと伸びてきた。
カリストから送られてきた誘導情報に従い、アイリスが船体位置を細かく調整していく。
「俺、何もしなくていい?」
『現在は必要ありません』
「楽でいいんだけど、艦長感ないな」
『必要であれば手動接舷へ切り替えます』
「いや、今日はいいです」
初戦闘を終えた直後に、初めての接舷まで挑戦する気にはなれなかった。
正面画面には、中継施設の外壁が大きく映っている。近づいてみると、遠目では分からなかった傷や補修跡も多い。船が出入りするたびに使う場所なのだろう。係留設備の周囲では、小型作業機が忙しそうに動いていた。
『接続まで十五秒』
「ぶつからないよね?」
『通常手順です』
「そういうのまだ全部怖いんだよ」
わずかな振動。
続いて、船体のどこかで低い固定音が響く。
『接舷完了。外部気圧を確認。接続区画への移動が可能です』
「ついに外か」
ユウは立ち上がったところで、一度止まった。
「……俺、何持っていけばいい?」
『質問の意味が不明です』
「財布とか身分証とか」
『該当物品は確認できません』
「ですよね」
財布なし、身分証なし、船籍なし、登録番号なし。
よく考えれば、完全に怪しい。
「これ、下手したら捕まらない?」
『可能性を否定できません』
「もうちょっと安心させてほしいな」
『虚偽情報の提供を希望しますか?』
「それも嫌だ」
仕方がない。
ユウは何も持たずに艦橋を出た。
*
アストライアの接続口を抜けると、そこには小さな検査区画があった。
金属製の通路。黄色と黒の注意表示。
壁に埋め込まれた監視装置。
そして、その奥に人がいた。
初めて見る、この世界の人間だった。
三人。
全員、人間に見える。
その事実だけで、ユウは思っていた以上に安心した。
一人は警備服らしき濃紺の制服。もう二人は作業着姿で、腰には工具や小型端末を下げている。
警備服の男は四十代くらい。短い茶髪で、がっしりした体格だった。
「アストライアの船長か?」
「たぶん」
「たぶん?」
「今日なったので」
「……カリストから聞いてる。とりあえず来い」
怪訝そうな顔をされた。
当然だと思う。
男は自分をガレンと名乗った。第六中継管理局の警備主任らしい。
ユウは簡単な身体検査と所持品確認を受ける。
当然ながら所持品はゼロ。
「武器は?」
「持ってません」
「端末は?」
「ないです」
「個人認証タグは?」
「それもないです」
「……本当に何もないな」
「自分でも困ってます」
ガレンが頭を掻く。
その横で、作業着の一人が携帯端末をユウへ向けていた。
「生体照合、該当なし」
「犯罪者登録も?」
「なし。居住登録も、雇用登録も、傭兵登録も何も出ません」
「完全な未登録者か」
「そんな分類あるんです?」
「あることはある。辺境育ちとか、違法居住区出身とか。ただ船持ちでこれは珍しい」
また怪しまれた。
ただ、敵意は感じない。
不審ではあるが、即座に拘束するほどではないという雰囲気だった。
「名前は?」
「ユウです」
「姓は?」
「……ありますけど、こっちで意味あります?」
「記録上必要だ」
「じゃあ、ユウで登録できません?」
「できなくはないが」
ガレンは少し考えたあと、端末へ何か入力した。
「仮登録でユウ。出身地は?」
「日本」
「ニホン?」
「国の名前です」
「星系は?」
「地球」
「チキュウ?」
「星の名前」
「座標は?」
「分かりません」
ガレンの手が止まる。
「……お前、自分の故郷の座標も分からないのか?」
「はい」
「どうやってここまで来た?」
「それが分かったら俺も知りたいです」
ガレンが深く息を吐く。
「カリストの連中が話盛ってると思ったんだがな」
「俺もそう思いたいです」
「だろうな」
少しだけ、相手の態度が柔らかくなった。
*
検査が終わると、次はアストライアの確認だった。
これにはユウも立ち会う。
もちろん、船内の好きな場所を勝手に見せるつもりはない。アイリスには事前に、封鎖区画と重要情報へのアクセスを制限するよう頼んである。
もっとも、ユウ自身が何が重要なのか把握していないという問題はある。
「外装だけでも変なんだよな」
作業着の男が、アストライアの接続部を見ながら呟いた。
年齢は三十代後半くらい。工具の扱いを見る限り、整備担当らしい。
「変?」
「ああ。メーカー刻印がない」
「普通あるんです?」
「普通はな。船体番号、造船所、建造年、規格認証。どれかは残ってる」
男は外板を軽く叩いた。
「それに、この素材も妙だ」
「何が?」
「分からんから妙なんだよ」
横にいた若い技術員が笑う。
「主任が分からないって珍しいですね」
「黙って測れ」
どうやら作業着の男が主任らしい。
名前はオルソン。中継施設の整備主任だという。
外部スキャナー。
材質検査。
構造照合。
ひと通り確認していくうちに、オルソンの顔がだんだん真剣になっていった。
「……おい」
「はい?」
「本当にどこで拾った?」
「目が覚めたら中にいました」
「まだそれ言うか」
「本当なんですって」
オルソンはユウではなく、アストライアを見る。
「照合結果が一件も出ない」
「そんなに変?」
「既知メーカーだけじゃない。主要艦体規格にも一致しない。古い船なら普通は逆に型式が残るんだが、それもない」
ユウは少し不安になる。
「違法改造船とか?」
「それなら元になった船が分かる」
オルソンは端末に表示された船体構造を拡大した。
アストライアの外殻。
内部骨格。
電力経路。
ただし深部はアイリスが遮蔽しているため、見えているのは外周だけだ。
「設計思想そのものが違う」
「そんなレベル?」
「ああ」
オルソンはしばらく画面を見ていた。
そして、何か思いついたように別のデータベースを開く。
「まさかな……」
「何です?」
「待て」
検索。
比較。
さらに検索。
若い技術員も横から覗き込む。
「主任、それって」
「似てるだけかもしれん」
ユウには画面の意味が分からない。
ただ、そこに表示されたのは、かなり古そうな船体の断面図だった。
「何の船です?」
「船じゃない。遺跡から見つかった構造材の記録だ」
ユウは一瞬、意味を理解できなかった。
「遺跡?」
「ああ。旧文明遺物」
初めて聞く言葉だった。
「旧文明?」
「知らないのか?」
「知らないです」
「……お前、本当にどこから来たんだ」
それはこちらが聞きたい。
オルソンはもう一度アストライアを見る。
「断定はできん。だが、船体の一部構造が旧文明系の遺物と似てる」
「旧文明って、どれくらい昔?」
「物による。今の文明圏ができるより前だ」
「そんな古い?」
ユウはアストライアの船体へ視線を向けた。
確かに古そうではある。
壊れているし。
ただ、自分が想像していた「古い船」と、相手の言っているものはどうやら意味が違う。
「でもこれ、普通に動いてますけど」
「だから困ってるんだよ」
オルソンは額を押さえた。
「旧文明系の遺物は珍しくない。施設の基礎に使われてるものもあるし、解析済みの技術だってある。だが、ほぼ原形のまま動いてる船なんて俺は見たことがない」
「……珍しいんですね」
「珍しいで済めばいいがな」
嫌な言い方だった。
「高い?」
「そこか?」
オルソンが初めて呆れた顔をした。
「いや、だって俺、金ないんですよ」
「知らん」
「この船しか持ってないっぽいし」
「だからって売る気か?」
「売りませんよ」
そこは即答だった。
アストライアが何なのか分からない。
だが、目覚めてからここまで、自分を生かしてくれたのはこの船とアイリスだ。
少なくとも金がないから手放す、という選択肢は今のところなかった。
「なら余計なことは言うな」
「え?」
「旧文明系かもしれないなんて、そこらで喋るなってことだ。面倒なのが寄ってくる」
その言葉で、ユウも少し真面目になる。
「盗まれる?」
「盗む奴もいる。買い叩こうとする奴もいる。政府や企業が調査名目で寄ってくることもある」
「……嫌だな」
「だろ」
オルソンは端末を閉じた。
「俺の記録には『型式不明船』とだけ書いておく。今日の戦闘で施設を守った礼だと思え」
「助かります」
「ただし、その船の整備は別問題だ」
「直せない?」
「少なくともここじゃ無理だ」
予想していた答えではある。
それでも少し落ち込む。
「応急処置くらいなら?」
「外装と一般規格で代用できる部分ならできる。だが中枢は触らん。何が起きるか分からん」
「じゃあ今すぐ壊れるのだけ止めたい」
「診断して見積もり出してやる」
そこでユウは重要なことを思い出した。
「見積もりって、金かかります?」
「当然」
「俺、金ないです」
「……本当に何も持ってないんだったな」
オルソンが遠い目をした。
*
検査区画を出たあと、ユウはガレンに連れられて中継施設の居住区へ入った。
初めて見る宇宙の街だった。
大規模なステーションではない。
通路は広くても数メートル程度で、その両側に小さな店、食堂、整備用品店、簡易宿泊所などが並んでいる。
作業服の人間。
荷物を運ぶ無人カート。
宇宙服らしき装備を抱えた船員。
端末を見ながら歩く人。
想像していたより、ずっと普通の生活がそこにあった。
「……すげえ」
「何がだ?」
「いや、宇宙に街あるなって」
「中継施設だから小さい方だぞ」
「これで?」
ユウがきょろきょろしていると、ガレンが怪訝そうな顔をする。
「本当に宇宙生活したことないのか?」
「ありません」
「なのに船は操れる」
「アイリスのおかげです」
「そのAIも一度確認したいな」
「壊したら嫌ですよ」
「誰も壊さん」
歩きながら、ガレンが今後の話をする。
仮の個人登録は中継施設でも発行可能。
ただし正式な居住資格や船舶登録を取得するなら、もっと大きなステーションへ行く必要がある。
アストライアについても、現状では「登録情報を喪失した船」として一時扱いにするらしい。
「じゃあ、ここから出るのはできる?」
「できる。ただし次の有人拠点で正式登録しろ」
「船も?」
「ああ。今みたいな未登録状態でうろついてたら、毎回止められるぞ」
「それは面倒だな」
さらに大きな問題。
「それで、補給なんだが」
「はい」
「食料、水、消耗品、応急修理。全部金がいる」
「ですよね」
当然である。
「さっき施設守った報酬とかないです?」
「図々しいな」
「切実なんです」
「正式な依頼じゃないから通常報酬は出ない。ただ、迎撃協力分の謝礼は管理局から申請できる」
「本当ですか?」
「大した額じゃないぞ」
「ゼロより全部大きいです」
ガレンが笑った。
「それとは別に、破損した敵船が落とした部品の回収権が一部認められるかもしれん」
「売れる?」
「物による」
「お金になる?」
「なる可能性はある」
「それ重要です」
「お前、急に元気になったな」
当たり前だった。
食料は二十六日。
船は要修理。
自分は無一文。
金は必要だ。
「仕事ってあります?」
「何の?」
「船でできる仕事」
「輸送、護衛、採掘補助、回収、調査、いくらでもある」
「戦う仕事も?」
「傭兵業か?」
「たぶんそれ」
ガレンは少しだけユウを見る。
「今日が初戦闘なんだろ?」
「はい」
「おすすめはしない」
「ですよね」
「ただ」
少し間。
「今日の動きだけ見るなら、素人にしては悪くなかった」
「ほとんどアイリスですけど」
「それでも撃つ判断したのはお前だろ」
ユウは少し黙る。
確かに。
怖かった。
今でも相手に人が乗っていたことを考えると、あまり気分はよくない。
それでも、自分や施設を守るために撃った。
「傭兵になるなら、もっと大きい拠点で登録が必要だ。この先ならノード・セブンが一番近い」
「ノード・セブン」
「交易ステーションだ。船の登録、傭兵登録、まともな修理屋。全部ある」
「どれくらい?」
「今の船なら半日もかからんだろ」
ユウは足を止めかけた。
「そこ行けば、この船直せる?」
「直せるかは知らん。ただ、ここより設備はずっといい」
「じゃあ次そこだな」
目標が一つ決まった。
アストライアを正式に登録する。
金を稼ぐ方法を探す。
そして修理する。
地球を探すにしても。
自分がここへ来た理由を調べるにしても。
まずは生活できなければ何も始まらない。
「ガレンさん」
「何だ?」
「この世界って、金稼ぐの大変です?」
「額による」
「宇宙船一隻直せるくらい」
「大変だ」
「やっぱり?」
「しかもお前の船、部品から特注になる可能性あるぞ」
「……いくらくらい?」
「診断してみないと分からん」
「怖いな」
そこでガレンが少し笑った。
「まあ、一つだけ確かなことがある」
「何です?」
「船を持ってる奴は、船で稼ぐのが一番早い」
ユウは少し考えてから頷いた。
「じゃあ、そうします」
どうして宇宙にいるのかは分からない。
アストライアが何なのかも分からない。
だが当面の問題だけは、かなり分かりやすくなってきた。
船を直すには金がいる。
金を得るには仕事がいる。
なら、まず働く。
世界が変わっても。
そこだけは日本にいた頃と大して変わらないらしかった。




