第47話 新しい船医
交易拠点ラグナでの護衛任務を終えた翌朝、アストライアの貨物搬入口には、見慣れない女性が立っていた。
肩まで伸びた栗色の髪を後ろで束ね、片手に旅行鞄、もう片方には医療用のケースを持っている。昨日、船団の負傷者を治療した医療技術者、エリナ・フォードだった。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「おはよう! 荷物、それだけ?」
「はい。まだ見学ですから」
「そっか。じゃあ、案内するね」
ユウが歩き出すと、エリナはアストライアの船体を見上げた。
「……思っていたより大きいんですね」
「九十五メートルくらいあるからね」
「でも、船団の護衛艦では一番小さかったですよね?」
「そうなんだよ。いつかもっと大きい船も欲しいんだけど」
エリナは少し笑った。
「艦長さんは、ずいぶん船が好きなんですね」
「最初はそうでもなかったんだけどね。乗ってるうちに欲が出てきてさ」
艦内へ入ると、セラとリアが待っていた。
「セラ・ヴァイスだ。よろしく頼む」
「リア・フェルナー! この船の整備を担当してるよ!」
「エリナ・フォードです。よろしくお願いします」
リアは早速、エリナの医療ケースへ視線を向けた。
「それ、何が入ってるの?」
「携帯診断装置と、緊急処置用の器具です」
「見てもいい?」
「もちろんですけど、医療用なので勝手に操作しないでくださいね」
「分かってる!」
ユウとセラは顔を見合わせた。
「……本当に分かってると思う?」
「後で私からも言っておく」
*
最初に案内したのは、アストライアの医療区画だった。
艦内の生活区画に隣接した小さな部屋で、簡易診察台が二基、壁面には医療用品の収納庫が設置されている。古代文明の設備ではあるが、長期間使用されておらず、一部はまだ修理されていなかった。
エリナは部屋へ入るなり、表情を変えた。
「……これ、古い医療設備ですよね?」
「そうみたい。使えるものはあるって聞いてるけど」
「確認してもいいですか?」
「もちろん」
彼女は携帯端末を取り出し、診察台の操作盤へ接続した。
「自動診断機能、生命維持補助、薬剤投与管理……かなり多機能ですね。ただ、医療データベースが古いみたいです」
『艦内医療設備は、現在の医療規格との互換性が限定的です』
アイリスの声が響いた。
「……今の、AIですか?」
「うん。アイリスっていうんだ」
『初めまして、エリナ・フォードさん。アストライア統合管理AIのアイリスです』
「初めまして。よろしくお願いします」
エリナは少し考えてから尋ねた。
「アイリスさん、診断装置の自己検査結果を見せてもらえますか?」
『表示します』
壁面モニターに設備の状態が表示された。
エリナは数分かけて内容を確認すると、小さく頷いた。
「基本的な診断はできそうですね。でも、自動投薬機能は使用しない方がいいです。薬剤の規格と安全基準を現代のものに合わせる必要があります」
「なるほど」
「あと、滅菌設備も点検したいです。外見がきれいでも、医療器具は別ですから」
ユウは感心したように頷いた。
「やっぱり専門の人が見ると違うなあ」
「医療事故が起きてからでは遅いですから」
エリナはそう言って、診察台の状態を記録し始めた。
*
次に向かったのは、HM-417だった。
中継施設を経由して古代航路を通過すると、エリナは窓の外を見て言葉を失った。
「……え?」
目の前には、巨大なガス惑星と、その周囲を回る衛星が広がっている。
「い、今、何が起きたんですか?」
「ちょっと特殊な航路を通ったんだ」
「特殊って……さっきまでラグナの近くにいましたよね?」
「途中でノード・セブン方面に戻って、中継施設を通ってきたんだよ」
「それは分かりますけど、星図上では何光年も離れて……」
エリナは端末を確認し、もう一度窓の外を見た。
「……すごい技術ですね」
ユウは少し笑った。
「俺も最初はびっくりしたよ。今でも十分すごいと思ってるけど」
アストライアが第三衛星へ接近すると、岩盤の一部がゆっくりと開き、巨大なドックの入り口が姿を現した。
エリナは再び言葉を失った。
「……これが、基地?」
「うん。HM-417っていう古い整備施設」
「古いって……規模が……」
ユウは少し得意げに笑った。
「結構広いでしょ?」
「結構どころじゃありません!」
*
ドックに着艦すると、ハンナとダリオ、そして四脚型端末のガルムが出迎えた。
『新規訪問者を確認。エリナ・フォード。入域許可を照合しました』
「……これは?」
「ガルム。基地の管理AIだよ」
『初めまして。施設管理および防衛を担当しています』
「よ、よろしくお願いします」
エリナはガルムをしばらく見つめていた。
「……動物型の医療ロボットではないんですね」
『違います』
「ですよね」
ハンナが一歩前へ出た。
「エリナさん、ようこそ。医療区画の案内は私が担当します。設備の状態については、ガルムさんから説明してもらいますね」
「ありがとうございます」
ユウたちは居住区の奥にある医療区画へ向かった。
現在使用している居住区には六十四人分の生活設備があり、その一角に診療室と処置室が設置されていた。ただし、医療設備はほとんど使用されておらず、診察台以外の機器には停止表示が点灯している。
「ここが医療区画です」
ハンナが扉を開いた。
エリナは室内を見回し、ゆっくりと歩き始めた。
「……広いですね」
アストライアの医療区画とは比較にならないほど大きい。診察室が二つ、処置室が一つ、さらに隔離室らしき区画まで存在している。
『当区画はかつて、施設勤務者の一般診療および緊急処置に使用されていました。現在の稼働率は三一パーセントです』
ガルムが説明する。
「生命維持装置は?」
『二基中一基が稼働可能』
「画像診断装置は?」
『主機能停止。修復可能性あり』
「手術設備は?」
『一部機能停止。復旧には部品交換が必要です』
エリナは一つずつ確認していった。
やがて、部屋の中央にある大型診察台の前で立ち止まる。
「……これ、かなり高度な設備ですね」
ユウが覗き込んだ。
「そうなの?」
「はい。少なくとも私が以前働いていた辺境医療船より、ずっと充実しています。今は動かない機能が多いですけど、修理できれば本格的な診療施設になります」
リアの目が輝いた。
「じゃあ、直そうよ!」
「簡単に言いますね……」
「得意なんだ、修理!」
エリナは少し笑った。
「頼もしいですね。ただ、医療機器は動けばいいというものではありません。精度確認と安全試験が必要です」
「そっか。じゃあ、エリナが確認してくれたら直せる?」
「私で分かる範囲なら、協力できますよ」
ユウは二人のやり取りを見ながら頷いた。
「よし。じゃあ、まずは何が必要か整理しよう」
*
医療区画の見学が終わる頃、エリナはすっかり仕事の顔になっていた。
「ユウさん、少しお願いしてもいいですか?」
「何?」
「この基地の医療設備について、復旧優先順位を作らせてください」
ユウは驚いた。
「え、いいの? まだ見学なのに」
「見てしまうと、気になるんです。今のままでは、いざというときに困りますから」
ハンナが端末を差し出した。
「では、必要な設備と優先順位を記入してください。費用は後でまとめて確認します」
「ありがとうございます」
エリナは迷いなく入力を始めた。
最優先は救急処置設備、滅菌設備、現代規格の医薬品保管庫。次に画像診断装置、簡易手術設備、隔離室の機能回復。高度な治療装置は、基礎設備が整ってから検討する。
「……意外と現実的だね」
ユウが呟いた。
「全部欲しいですけど、予算には限りがありますから」
「そこを分かってくれる人、助かる!」
ハンナが深く頷いた。
「私も同感です」
リアが少し不満そうな顔をした。
「二人とも、こっち見ないでよ」
*
その日の夕方、予想外の出来事が起きた。
YD-09の調査を進めていた作業チームから、緊急通信が入ったのだ。
『こちらダリオ! 作業員が一人負傷した! 医療担当はいるか!』
ユウはすぐに通信を開いた。
「ダリオ! どうした!」
『資材搬送用の固定具が破損して、作業員が転倒した。左脚を挟まれてる。意識はあるが、かなり痛がってる!』
エリナが即座に立ち上がった。
「負傷者の状態を詳しく教えてください。出血はありますか?」
『外傷はある。出血はそれほど多くないが、脚が腫れている』
「挟まれていた時間は?」
『二分ほどだ。もう救出している』
エリナは端末を操作しながら尋ねた。
「足先の感覚はありますか? 指は動かせますか?」
『確認する!』
ユウはすぐにセラを呼んだ。
「セラ、現場へ行こう!」
「了解。ペガサスを使う」
エリナも迷わず言った。
「私も行きます」
「もちろん!」
*
ペガサスは医療搬送用の装備を積み込み、YD-09へ向かった。
到着までの間、エリナは携帯診断装置と処置器具を準備していた。ユウはその様子を見ながら、少し緊張していた。
「大丈夫かな……」
エリナが顔を上げる。
「まだ状態を確認していないので、断言はできません。でも、早く処置できれば回復の可能性は高くなります」
「そっか」
「ユウさん、着いたら現場の安全確認をお願いします。私は負傷者の診察を優先します」
「了解!」
YD-09の搬入口近くに設けられた仮設作業区画では、負傷した作業員が簡易担架に横たわっていた。
エリナはすぐに駆け寄り、状態を確認した。
「聞こえますか? 医療担当のエリナです。これから脚を確認しますね」
負傷者は顔をしかめながら頷いた。
「……痛いです」
「分かりました。無理に動かさなくていいですよ」
携帯診断装置が左脚を走査し、画像が端末に表示される。
「脛骨の骨折が疑われます。足先の循環は保たれていますが、腫れが強いので注意が必要です。まず固定して、医療区画へ搬送しましょう」
エリナは手際よく脚を固定し、痛みの程度と呼吸状態を確認した。作業員へ声をかけながら処置を進める姿には、先ほどまでの柔らかな雰囲気とは違う、落ち着いた力強さがあった。
ユウはセラとともに搬送経路を確保し、ペガサスへの収容を手伝った。
「エリナさん、他に何か必要?」
「搬送中に揺れないよう、担架を固定してください。それと、医療区画へ連絡して診察台を準備してもらえますか?」
「了解!」
ユウはすぐにアイリスへ連絡した。
『了解しました。ガルムへ医療区画の準備を指示します』
*
HM-417へ戻ると、エリナは負傷者を医療区画へ搬送し、詳細な検査を行った。
古代医療装置のうち安全確認済みの画像診断機能を使用した結果、左脚の骨折が確認された。幸い血管の損傷は認められず、緊急手術が必要な状態ではなかった。
「骨折はありますが、今のところ重い合併症は確認できません。ただし、腫れが強いので経過を注意深く見る必要があります」
エリナは負傷者とダリオに説明し、固定と安静、継続的な観察を指示した。
「助かった……」
ダリオが大きく息を吐いた。
「現場では応急処置しかできなかったからな」
エリナは首を横に振った。
「救出後すぐに脚を固定してくださったのは良かったです。無理に動かしていたら、状態が悪化した可能性もありました」
ダリオは少し照れたように頭をかいた。
「そう言ってもらえると助かる」
ユウもようやく安心した。
「エリナさん、ありがとう。本当に助かったよ」
「いえ。これが私の仕事ですから」
エリナは微笑んだ。
「ただ、今回の件で一つ分かりました」
「何?」
「この基地、医療担当がいないと危険です」
ユウは苦笑した。
「……それ、俺も今すごく思った」
*
翌朝、エリナはユウへ一枚の資料を差し出した。
「医療区画の復旧計画と、必要な物資の一覧です」
ユウが端末を開くと、設備の優先順位、必要な医薬品、搬送用の備品、医療担当者の業務範囲まで整理されていた。
「……一晩で作ったの?」
「はい。昨日の事故を見て、早めに整えた方がいいと思ったので」
ユウは資料を読み進めた。
「すごいな。こういうの、俺じゃ全然分からないや」
「専門分野ですから」
エリナは少し緊張した様子で続けた。
「それで、ユウさん」
「うん?」
「昨日のお話、正式にお受けしたいと思います」
ユウは顔を上げた。
「本当!?」
「はい。この基地には設備もありますし、仲間を大切にしている人たちもいる。私が役に立てる場所だと思いました」
エリナは少し笑った。
「ただし、条件があります」
「何でも言って!」
「医療上の判断は、私に任せてください。艦長でも、患者の安全に関わることは譲れません」
「もちろん」
「それと、必要な医療設備の整備を進めてください。最初から全部とは言いませんけど、最低限の救急体制は必要です」
「了解!」
エリナは小さく頷いた。
「では、よろしくお願いします。艦長」
ユウは笑顔で手を差し出した。
「こちらこそ! これからよろしく、エリナ!」
二人はしっかりと握手を交わした。
*
その日の夕方、HM-417の会議室では、新しい仲間を迎えるための簡単な歓迎会が開かれた。
「エリナ、よろしくね!」
リアが笑顔で言った。
「こちらこそ。リアさん、医療機器の修理ではお世話になると思います」
「任せて! 絶対直すから!」
「安全確認も一緒にお願いしますね」
「……はい」
セラがそのやり取りを見て笑った。
「リアが珍しく押されているな」
ジェイドも頷いた。
「医療担当が入ると、船の安心感が違うな」
ダリオは飲み物を掲げた。
「今日の件では助かった。これからよろしく頼む!」
エリナは少し照れながら頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ユウは皆の顔を見回した。
セラ、リア、ジェイド、ハンナ、ダリオ、エリナ。そしてアイリスとガルム。いつの間にか、一人で始まった宇宙生活は随分と賑やかになっていた。
「いやあ、仲間が増えたなあ」
『現在の常勤および暫定所属人員は、艦長を含め七名です』
アイリスが報告する。
「まだ七人か」
『施設規模に対しては少人数です』
「でも、最初は俺一人だったしね」
ユウは少し笑った。
「これからもっと増やしていこう」
ハンナが静かに端末を操作した。
「では、次の人員募集計画も作成しておきます」
「え、もう?」
「はい。医療担当者が一人だけでは、基地とアストライアの両方を常時対応することはできませんから」
エリナも頷いた。
「そうですね。いずれは看護担当や救急対応ができる人も必要になると思います」
ユウは少し考えた。
「……仲間が増えると、また維持費が増えるんだよね?」
「はい」
ハンナが答える。
「当然ですね」
エリナも頷いた。
ユウは天井を見上げた。
「……やっぱり傭兵の仕事、頑張ろう」
全員が笑った。
だが、ユウは本気だった。
仲間が増えれば、守るものも増える。その分だけ、もっと強くならなければならない。もっと稼がなければならない。
そして、いつか大きな艦隊を率いて、この基地へ帰ってくる。
その未来が、少しずつ現実味を帯び始めていた。
*
歓迎会が終わったあと、エリナは医療区画へ戻り、負傷した作業員の状態を確認していた。
そこへ、ガルムが静かに入ってきた。
『エリナ・フォード。確認事項があります』
「何でしょう?」
『当施設の未復旧区画に、旧医療支援設備が存在する可能性があります』
「旧医療支援設備?」
『詳細記録は破損していますが、施設建設当時の配置図に、独立した医療支援区画が存在します』
エリナは端末に表示された図面を見つめた。
そこには現在使用している医療区画よりも、さらに大きな設備群が記されていた。
「……ここ、今はどうなっているんですか?」
『未調査です。電力供給も停止しています』
エリナはしばらく考えた。
「安全が確認できるなら、一度調べたいですね。今の医療設備だけでは、対応できる治療に限界がありますから」
『調査候補に登録します』
エリナは小さく頷いた。
「ありがとうございます、ガルムさん」
そして、もう一度図面を見つめた。
この基地には、まだ使われていない設備がたくさん眠っている。
もしそれらを復旧できれば、仲間たちを守るための医療体制も、今よりずっと充実させられるかもしれない。
エリナは静かに微笑んだ。
「……面白い職場になりそうですね」
『その評価には同意します』
ガルムの真面目な返答に、エリナは思わず笑った。
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