第3話 最初の船影
アストライアが人工信号へ向けて航行を始めてから、およそ三時間。
ユウは艦長席に座ったまま、正面に表示される星図とにらめっこしていた。
「今のところ何もなし?」
『大型人工物、推進反応、武器管制波はいずれも確認されていません』
「つまり安全?」
『安全であるとは判断していません』
「ですよね」
アイリスは相変わらず慎重だった。
ユウとしても、その方がありがたい。自分はこの世界の常識を何も知らない。人工信号を見つけたからといって、そこへ喜んで飛び込んで撃たれました、では笑い話にもならない。
航行速度も、アストライアが出せる範囲のかなり控えめな設定にしていた。推進系へ余計な負荷をかけないためでもあるが、目的地へ近づく前に周辺状況を確認する時間を取る意味もある。
「そういえばさ」
『はい』
「俺、操縦しなくていいの?」
『現在は自動航行中です』
「艦長ってもっとこう、操縦桿握ったりするもんじゃないの?」
『当艦に操縦桿はありません』
「ロマンがない」
『必要であれば手動操艦用インターフェースを表示できます』
「あるんだ」
『あります』
「じゃあ後でやってみたい」
『現在の航行中に試しますか?』
「いや、壊れかけの船で初見操作は怖いからやめとく」
そこまで無謀ではない。
ただ、船を動かすという感覚には少し興味があった。自分が本当にこの船の艦長として認証されたのなら、いつか必要になるかもしれない。
ユウは飲料パックのような容器を口へ運ぶ。
中身は水だった。
食事も一度試したが、保存食らしきものは見た目より普通だった。固形物とペースト状の副菜がセットになっていて、味は薄い。ただ、宇宙で突然目を覚ました直後に食べるものとしては十分すぎる。
「飯が普通で助かったな」
『栄養基準は満たしています』
「味の話」
『嗜好データがありません』
「これから覚えていけばいいよ」
『記録します』
「そこまで真面目に取らなくていいけど」
アイリスとの会話にも、少しずつ慣れてきた。
最初は無機質な管理AIとしか思っていなかったが、返答の仕方には微妙な癖がある。冗談を理解しているようで理解していなかったり、必要のないところで妙に正確だったりする。
人間ではない。
でも、完全に機械とだけ思うのも少し違う気がした。
*
さらに二時間ほど進んだところで、最初の変化があった。
『人工物反応を検出しました』
ユウはすぐに姿勢を正した。
「どこ?」
『進行方向。距離約四十二万キロメートル』
「見える?」
『光学観測を拡大します』
正面画面の一部が切り替わる。
最初は黒い点にしか見えなかったが、倍率が上がるにつれて輪郭が浮かび上がってきた。
人工物。
間違いない。
細長い中央構造の周囲に複数のモジュールが接続され、片側には大きな板状構造が広がっている。宇宙ステーションと呼ぶには小さく、船と呼ぶには形が複雑だった。
「これが第六中継?」
『信号源と位置が一致します』
「大きさは?」
『長軸約三百二十メートル』
「結構でかいな」
アストライアの三倍以上ある。
ただし、武装らしきものは今のところ見えない。
『追加反応を検出』
「何?」
『小型船舶三。中継施設周辺を航行しています』
画面に新しいマーカーが三つ表示される。
一隻は施設に接続中。残り二隻は少し離れた位置を移動している。
「普通に人いるじゃん」
『その可能性は高いです』
「通信できる?」
『距離を詰めれば可能です』
「こっちから何て言えばいいんだろ」
『接近船識別信号を送信することを推奨します』
「それって持ってる?」
『当艦の識別情報を送信できます』
「ちょっと待って」
ユウはそこで止めた。
「アストライアの識別そのまま送って大丈夫?」
『危険性を評価できません』
「だよね」
この船が、この時代でどう見られるのか分からない。
珍しい型なのか。
登録規格が違うのか。
そもそも船として普通に扱われるのか。
アイリス自身にも、比較できる現代艦船の情報がほとんどない。
「最低限だけ送れない?」
『船名、船体規模、非敵対接近意思のみであれば可能です』
「それでいこう。武装情報とか、必要なさそうな内部情報は出さない」
『了解しました』
少しして、アストライアから短い識別信号が送信された。
《接近艦》
《ASTRAIA》
《全長94.8m》
《非敵対》
《通信希望》
「これで通じる?」
『使用言語規格を相手側信号へ合わせています』
「便利だなあ」
『翻訳処理を含みます』
「俺が言葉分かるのもアイリスのおかげ?」
『不明です』
「そこは不明なんだ」
壁の文字も、通信の言葉も、自分にはなぜか理解できる。
アイリスが翻訳しているだけならまだ説明がつくが、最初に通路の表示を読めた時点では何も聞いていなかった。
今は後回しにしているが、かなり大きな謎ではある。
『返信を受信しました』
ユウの意識が戻る。
「来た?」
『音声通信です。接続します』
少しノイズが入り、その後、低い男性の声が艦橋に響いた。
『こちら第六中継管理局。接近中のアストライア、識別情報を確認した。所属と目的を申告せよ』
意味は自然に頭へ入った。
ユウは一瞬黙った。
「所属って何て言えばいい?」
『現状、所属組織は確認できません』
「正直に無所属でいい?」
『虚偽情報よりは推奨します』
「じゃあそれで」
通信を開く。
「こちらアストライア。所属は……無所属。現在地を見失っていて、補給と情報提供を希望しています」
少し間。
ユウは自分の声が相手にどう聞こえているのか急に気になった。
『無所属? 登録番号は?』
「登録番号?」
『船舶登録番号だ』
「……ありません」
また間が空いた。
『ない?』
「はい」
『故障して表示できないのではなく?』
「たぶん、本当にありません」
通信の向こうで、誰かが小声で何か話している。
嫌な予感がする。
『アストライア。現在位置を維持しろ。こちらから確認船を出す』
「確認船?」
『動くなという意味だ』
「分かりました」
通信が切れる。
ユウはゆっくり背もたれへ沈んだ。
「……怪しまれたよね?」
『可能性は高いです』
「いきなり不審船扱いか」
『船舶登録番号を持たない船は、一般的ではないと推定できます』
「それ先に知りたかったな」
『比較情報がありませんでした』
「知ってた」
正論なので怒れない。
*
中継施設から、一隻の船が離れてきた。
全長は約四十メートル。アストライアの半分以下で、船体前部が幅広く、後ろへ向かって細くなる形をしている。
「武装ある?」
『小型レーザー砲二基。近接防御装備一基を確認』
「こっちに向けてる?」
『現在、射撃管制照準は確認されていません』
「じゃあまだ大丈夫」
確認船は慎重に距離を詰めてくる。
アストライア側は完全停止。
ユウは余計な操作をしないよう、手を膝に置いて待った。
『通信です』
「つないで」
『アストライア。こちら中継警備艇カリスト。外部照合を行う。推進器出力を最低に維持し、武器管制を停止しろ』
「アイリス、できる?」
『可能です』
「やって」
『武器管制を待機状態へ移行。推進器出力を最小へ』
「こちらアストライア。指示に従いました」
カリストがさらに近づく。
距離十キロ。
五キロ。
二キロ。
「近くない?」
『船舶検査としては異常と判断できません』
「比較情報ないのに?」
『相手機動から推定しています』
「なるほど」
カリストから複数の走査波が飛んでくる。
アストライアの船体図に、外部スキャンを示す表示が重なった。
『船体走査を受けています』
「隠せる?」
『一部情報は遮蔽可能です』
「相手の検査に必要ない内部情報だけ隠して」
『実行します』
数秒後。
通信が再び入る。
『……アストライア。確認したい』
「はい」
『その船、どこの造船所の船だ?』
ユウは少しだけ迷った。
「分かりません」
『分からない?』
「俺も目が覚めたらこの船にいたので」
『何?』
「いや、自分で言ってても意味分からないんですけど、本当です」
『冗談を言っているのか?』
「かなり本気です」
通信の向こうが静かになる。
『乗員数は?』
「一人です」
『一人?』
「はい」
『その船を?』
「AIの補助があります」
『……少し待て』
また保留された。
今度は明らかに長い。
「変なこと言った?」
『事実のみ回答しています』
「そうなんだけど」
ユウは嫌な汗を感じ始めた。
この世界で一人運用が異常なのか。
それとも、アストライアそのものが見慣れない船なのか。
まだ判断できない。
しばらくして、通信が戻る。
『アストライア。中継施設への接続を許可する。ただし、警備艇の誘導に従え。武器管制は停止状態を維持』
「了解しました」
『それと』
「はい?」
『余計なことはするな』
「しませんって」
通信が切れた。
ユウは小さく息を吐いた。
「入れてもらえるみたい」
『はい』
「とりあえず第一関門突破?」
『少なくとも即時排除はされませんでした』
「言い方が怖いな」
カリストが前へ出る。
アストライアはその後ろを低速で追う。
中継施設の形が、画面の中で徐々に大きくなっていく。
近くで見ると、思っていたより生活感のある場所だった。
船体接続用のアーム。
貨物コンテナ。
作業艇。
外壁へ取り付けられた広告らしき表示。
遠くには、船外作業をしているらしい人影まで見える。
「本当に文明圏なんだな」
『人工活動量から、そのように判断できます』
ユウは少しだけ安心した。
少なくとも人がいる。
話が通じる。
いきなり撃ってくる相手でもなかった。
それだけで十分大きい。
だが、中継施設まで残り数十キロになったところで、アイリスが新しい反応を拾った。
『警告。後方より高速接近反応』
「え?」
ユウが振り返るように画面を見る。
中継施設とは反対側。
小惑星帯の陰から、一隻の船が高速で現れた。
「また船?」
『はい。全長推定七十二メートル』
「中継の船?」
『識別信号なし』
カリストも気づいたらしい。
警備艇が急に針路を変える。
『アストライア、停止しろ!』
「何?」
『その場で止まれ! 不明船が接近中だ!』
同時に、中継施設から警報通信が流れ始める。
《警戒》
《未登録高速船接近》
《民間船は退避せよ》
ユウは正面画面に映る船影を見る。
細長い船体。
複数の武装反応。
そして、その進路はアストライア側へ向いていた。
「……こっち来てない?」
『はい』
「なんで?」
『不明です』
不明船の速度がさらに上がる。
カリストが迎撃位置へ入る。
次の瞬間、アイリスが静かに告げた。
『相手艦より射撃管制照準を確認』
「誰に?」
『当艦です』
ユウは数秒固まった。
「……初日なんだけど」
『はい』
どうやら。
この宇宙で初めて会う相手が全員まとも、という幸運までは用意されていなかったらしい。




