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第2話 壊れかけの航路艦

 アストライアの全体図を見たユウは、しばらく黙り込んだ。

 船体のあちこちが黄色や赤で染まっている。表示の意味を完全に理解できているわけではないが、少なくとも「絶好調」ではないことだけは嫌でも分かった。


「これ、どのくらいまずい?」

『表現の基準によります』

「じゃあ、普通に飛べる?」

『限定的には可能です』

「長距離は?」

『推奨しません』

「戦える?」

『限定的には可能です』

「帰れる?」

『現在地および帰還先が不明です』

「うん。だいぶまずいね」

『概ね正しい認識です』


 アイリスの返答はどこまでも冷静だった。

 ユウは艦長席に座ったまま、表示されている船体図を眺める。船首は細く、中央部がわずかに膨らみ、後部へ向かって複数の推進器らしき構造が並んでいる。見た目だけなら軍艦にも見えるが、アイリスはこの船を《長距離独立行動型・航路開拓観測艦》と呼んだ。

 つまり、戦うためだけの船ではないらしい。


「まず、大きさは?」

『全長九十四・八メートル。最大幅二十二・一メートル』

「思ったより小さいな」

『比較対象が不明です』

「ゲームだと戦艦ってもっとデカいじゃん」

『当艦は戦艦ではありません』

「そうでした」


 そこは妙にきっぱり否定された。

 ユウは少し姿勢を崩し、次の質問を考える。


「乗員は?」

『標準乗員十二名』

「十二人?」

『はい』

「今いるのは?」

『生体反応一』

「俺だけじゃん」

『はい』

「他は?」

『確認できません』

「……死体とかは?」

『艦内に登録された遺体反応はありません』

「それはちょっと安心した」


 少なくとも、どこかの区画を開けたら昔の乗員が転がっている、という展開は今のところなさそうだった。

 ただし、だからといって安心できる材料が増えたわけではない。標準十二人で運用する船に、自分一人しかいないのだから。


「一人でも動かせるの?」

『統合管理AIによる補助があれば、最低限の運用は可能です』

「最低限、ね」

『戦闘、整備、応急処置、長期航行の同時実施は推奨しません』

「人手不足すぎる」


 とはいえ、アイリスがいるだけまだマシなのだろう。

 ユウは船体図を見ながら、使える区画と使えない区画を順番に確認していく。居住区、艦橋、簡易医療区画、貨物区画、機関部の一部は使用可能。倉庫や補助管理室の一部も開く。

 一方で、船体中央から後部にかけて複数の区画が封鎖されていた。


「ここ、なんで赤いの?」

『構造損傷および気密不良』

「入ったら?」

『死亡する可能性があります』

「じゃあ入らない」


 即決だった。


     *


 ユウは艦橋だけで全部聞くより、自分の目で見た方が早いと判断した。

 アイリスに案内を頼み、まずは生活に必要そうな区画から確認していく。

 居住区には、先ほど目覚めた部屋を含めていくつか個室があった。どの部屋も簡素だが、寝台と収納、最低限の洗面設備がある。長期間乗る前提の船だからか、狭いなりに生活できるようには作られているらしい。


「シャワーある?」

『あります』

「動く?」

『温水供給は不安定です』

「水は?」

『循環設備は稼働中です』

「じゃあ勝ちだな」

『評価基準が不明です』

「宇宙で風呂入れるなら十分勝ちでしょ」

『了解しました』


 何を了解したのかは分からない。

 次に向かったのは簡易医療区画だった。

 小さなベッドが二つ。壁際には見たことのない機械が並び、天井には可動式のアームが収納されている。


「これ、治療できるの?」

『軽度外傷、骨折、感染症、一般的な急性疾患への対応が可能です』

「手術は?」

『限定的に』

「俺が?」

『医療支援システムが補助します』

「いや、そうじゃなくて」


 自分が患者になる場合は誰が操作するのか聞きたかったが、アイリスが自動でやってくれるらしい。

 その点では、かなり心強い。

 貨物区画は思っていたより広かった。

 ただし、中身はほとんどない。

 固定具や空の収納ケース、用途不明の機材が少し残っている程度で、食料や日用品が山積みという都合のいい展開にはならなかった。


「食料は?」

『現在備蓄量を確認します』


 少し間があり、壁面に数字が表示される。


『標準成人一名換算で約二十六日分』

「一か月ないのか」

『節約すれば三十四日程度まで延長可能です』

「節約って?」

『摂取量低下』

「普通に飯減らすだけじゃん」

『はい』

「それは最後の手段だな」


 水は循環利用できる。

 空気も生命維持設備が動いている。

 だが食料は増えない。

 これで「どこか人のいる場所を探す」という目標が、急に現実的な期限を持った。


「二十六日以内に人のいる場所を見つける」

『推奨します』

「それまでに船も止まりそう?」

『現状維持であれば、即座に航行不能となる可能性は低いです』

「現状維持なら?」

『主電源系統の劣化が進行しています』

「やっぱり時間制限あるじゃん」

『はい』


 ユウは小さくため息をついた。


     *


 最後に機関部を見たいと言ったところで、アイリスに止められた。


『現在、主機関区画への立ち入りは推奨しません』

「なんで?」

『高温部および不安定電力区画が存在します』

「見るだけでも?」

『艦長が死亡する可能性を上げる行動は推奨できません』

「……はい」


 正論だった。


 代わりに艦橋へ戻り、機関部の状態を画面で確認する。

 主電源。

 推進器。

 姿勢制御。

 冷却。

 船体維持。

 聞き慣れない項目が大量に並び、その多くに警告が付いていた。


「俺、機械詳しくないんだけど」

『把握しています』

「把握されてた」

『現時点で必要なのは専門的修理ではなく、使用可能機能の選別です』

「それならできそう」


 アイリスの説明を聞きながら、ユウは少しずつ状況を整理していった。

 アストライアは壊れている。

 ただし今すぐ爆発するわけではない。

 短距離なら飛べる。

 生命維持も動く。

 通信は弱いが完全に死んではいない。

 そして、最低限の武装も生きている。


「武装あるんだ」

『あります』

「何?」

『前方固定式高密度加速砲一基。旋回式パルスレーザー砲塔一基。近接防御レーザー三基』

「……強そう」

『比較対象が必要です』

「またそれか」


 ユウは少し笑った。


「その前方固定砲って撃てる?」

『現状では使用可能ですが、再充填と熱処理に制限があります』

「一発は撃てる?」

『はい』

「じゃあ最悪、何か来ても一応抵抗できるか」

『命中させられれば』

「そこは俺?」

『艦長ですので』

「初日から責任重くない?」


 返事はなかった。

 否定もしなかった。

 ユウは艦長席へ深く座り直し、正面の宇宙を見る。

 星しかない。通信もない。近くに文明の痕跡も見えない。


「アイリス。この辺に何かない?」

『長距離センサーを限定出力で使用します』

「電気大丈夫?」

『短時間であれば問題ありません』


 正面画面が切り替わり、周囲の空間が立体的な星図として表示される。

 いくつかの小惑星。遠くの恒星。薄い塵の帯。

 だが、人工物らしい反応は見つからない。


「何もないな」

『現在の探査範囲では』

「もっと広げられる?」

『可能ですが、電力消費が増加します』

「どのくらい?」

『現状の安全余力を超える可能性があります』

「じゃあやめとこう」


 初日に船を壊したら笑えない。

 ユウはしばらく考えたあと、別の方法を思いついた。


「通信は?」

『受信感度は低下していますが、広域受信は可能です』

「じゃあ、何か流れてないか拾えない?」

『実行します』


 今度は少し時間がかかった。

 数十秒。一分。二分。

 ユウが「やっぱり何もないか」と思い始めたところで、アイリスの声が変わった。


『微弱な人工信号を検出しました』


 ユウは即座に身体を起こした。


「本当?」

『はい』

「場所は?」

『現在位置から推定約〇・〇八光日』

「近いの?」

『通常航行速度では数時間から十数時間程度です』

「行ける?」

『現在の推進能力でも到達可能と判断します』

「どんな信号?」

『解析します』


 雑音混じりの音声が流れる。

 意味は分からない。

 いや。

 少しすると、またあの不思議な感覚が来た。

 知らない言葉なのに、意味が頭へ入ってくる。


《……交通管制……》

《……第六中継……》

《……接近艦は識別信号を……》


 ユウは思わず笑った。


「人いるじゃん」

『人工通信である可能性は極めて高いです』

「じゃあ行こう」

『航路設定を開始します』

「ちょっと待って」

『はい』

「そこ、危なくない?」

『不明です』

「ですよね」


 勢いで飛び込みたい気持ちはある。

 だが、自分はこの世界の常識を何も知らない。

 相手が普通の民間施設なのか、軍事拠点なのか、宙賊の巣なのかも分からない。


「遠くから確認しながら行ける?」

『可能です』

「じゃあそれで。いきなり突っ込むのはなし」

『了解しました』


 ユウは少し考えてから、もう一つ確認する。


「この船って、見た目でヤバい船だってバレたりする?」

『質問の意図が不明です』

「古代船っぽいとか、珍しいとか」

『比較対象となる現代艦船情報が不足しています』

「そこも分からないのか」

『はい』


 不安材料は多い。

 それでも食料は有限。

 船は壊れかけで現在地も分からない。

 ここに留まり続ける選択肢はない。


「じゃあ行こう。人のいるところへ」

『了解しました、艦長』


 アストライアの後部で、眠っていた推進器がゆっくりと光を取り戻す。

 艦内に低い振動が伝わり、正面の星々がわずかに動き始めた。

 その瞬間。

 艦首付近の封鎖された記録領域で、ユウには見えない表示が一つだけ点灯した。


《Y-01》

《覚醒確認》

《航路復帰条件――未達》


 表示は数秒で消えた。

 ユウは何も知らないまま、最初の人工信号へ向かう。

 この宇宙で最初に会う相手が、味方なのか。

 それとも、もっと面倒な何かなのかも知らずに。

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