第29話 鍵保持者
『鍵保持者は、どこにいる』
艦内回線から流れた声に、ユウはしばらく何も言えなかった。
「……俺に聞いてる?」
『対象は不明です』
アイリスの返答も普段よりわずかに遅い。
「声の発信元は?」
『中枢区画内部です』
「中にいる二人のどっちか?」
『判定できません。侵入者の音声とは一致しません』
つまり、閉じ込めた侵入者とは別の声だった。
「セラ、聞こえた?」
『聞いた。今はそっちより船へ戻れ』
「そうだね」
ドックを分断した隔壁の向こうにはセラ。ユウとノエルは反対側に取り残されている。
「別ルートある?」
『迂回路を表示します』
端末に経路が出る。通常なら五分ほど。今は区画封鎖の影響で遠回りになる。
「ノエル、行ける?」
「行けます」
「じゃあ走る」
ユウたちは通路を引き返した。
*
セラは先にアストライアへ到着していた。
「リア!」
「こっち!」
エアロックを抜けると、リアが通路の奥から顔を出す。手にはユウと同じ小型パルス拳銃。構えはまだ危なっかしいが、少なくとも銃口をセラへ向けてはいない。
「怪我は?」
「なし。侵入者二人は押さえてる」
「三人目は?」
「中枢区画に入って閉じ込められた」
セラが監視映像を見る。船体中央部。これまで存在すら分からなかった区画の前で、扉は完全に閉じている。
「開けられるか?」
『現在、外部操作を受け付けません』
「侵入者の状態は?」
『生命反応あり。移動は確認できません』
「もう一つの生命反応は?」
『……継続しています』
リアがセラを見る。
「やっぱり誰かいるの?」
『位置特定精度が低く、中枢区画深部としか判定できません』
「最初の船内スキャンではユウしかいなかったんだよね」
『はい』
「じゃあ何で今になって?」
『不明です』
リアが嫌そうな顔をする。
「この船、本当に何隠してるんだろ」
セラは中枢区画の表示を見ながら聞く。
「さっきの声は?」
『以後、発信なし』
「鍵保持者とは何だ?」
『該当情報なし』
「アイリス自身も知らない?」
『はい』
セラは少し考えた。
「ユウが戻るまで触るな」
「私もそのつもり」
「特にお前は」
「何その言い方」
「さっき未知の外骨格を敵へぶつけただろ」
「あれは必要だったから!」
「結果としては正しい。だから次もやると思ってる」
「……否定できない」
*
ユウとノエルがアストライアへ戻ったのは、それから七分後だった。
「セラ!」
「遅い」
「封鎖されてたんだからしょうがないでしょ」
ノエルは船内へ入るなり息を整えている。
「私は……居住区へ?」
「いや」
セラが止めた。
「お前も来い」
「俺も?」
「ロウの船でアストライアに関する依頼を見ていた。何か分かるかもしれない」
「分かりました」
四人で中枢区画へ向かう。
途中、拘束された侵入者二人を確認した。二人とも生きている。一人は外骨格に押さえつけられ、もう一人は局所重力を上げられた区画で身動きを封じられていた。
「これリアがやったの?」
「半分アイリス」
「半分?」
「私は指示しただけ」
『概ね正しいです』
「二人とも怖いな」
そこへ、天井の搬送アームに吊られた一番装備が戻ってくる。
胸部装甲には複数の弾痕。
「俺の装備……」
「守ってくれたよ」
「まだ着てないのに傷だらけになってる」
「直すから」
「そういう問題かな」
セラが外骨格を見る。
「それより、これを遠隔で使えたことの方が重要だ」
「自由には動かせないよ。搬送アームで運んだだけ」
「それでも十分だ」
ユウも頷く。
「今度ちゃんと直そう」
「任せて」
リアの返事だけは妙に元気だった。
*
中枢区画前。
切断装置を当てられていた跡が残っている。しかし壁そのものに大きな損傷はない。
「ここが扉?」
「今はね」
リアが答える。
「さっきまで本当に壁だった」
「アイリスの船内図にも?」
『未登録領域としてのみ存在していました』
ユウが近づく。
その瞬間。
《接近者確認》
「出た」
壁面に文字が浮かぶ。
《生体照合》
《艦長権限確認》
さらに一行。
《鍵保持者――暫定一致》
ユウが固まる。
「暫定?」
セラがすぐに反応する。
「アイリス、記録」
『保存しています』
《接続資格確認中》
《認証階層不足》
《中枢区画第一層のみ開放》
「階層不足って俺艦長なんだけど」
『私にも説明できません』
低い音がする。
中枢区画の扉が開いた。
「……開いたね」
「入る前に確認する」
セラがユウの肩を掴む。
「お前一人で先に行くな」
「分かってる」
「本当に?」
「今日はもう二回言われた」
「なら覚えろ」
まず小型点検ドローンを入れる。
映像が届く。
狭い通路。
暗い。
壁面の材質は、アストライアの他区画とは少し違う。継ぎ目が極端に少なく、設備らしいものも見当たらない。
「侵入者は?」
『前方十五メートル』
ドローンが進む。
男が床に倒れていた。
「死んでる?」
『生命反応あり。意識なし』
「何された?」
『外傷は確認できません』
「じゃあ回収する?」
「その前に二つ目の生命反応だ」
セラが画面を見る。
「位置は?」
『さらに奥』
ドローンが進む。
十五メートル。
二十メートル。
そこで映像が乱れた。
「何?」
『通信強度低下』
さらに進む。
通路の先に、もう一枚の扉がある。
その前まで到達した瞬間。
映像が消えた。
「ドローン壊れた?」
『通信途絶。機体反応は維持』
「遮断された?」
『可能性があります』
ユウが中を見る。
「行くしかないか」
「まず侵入者だけ回収する」
セラの判断に、ユウも頷いた。
*
ユウとセラが中へ入る。
リアとノエルは入口側。
いつでも扉の外へ退避できる位置に残す。
「空気は?」
『正常』
「重力も?」
『正常です』
「銃は?」
「持っておけ。ただし勝手に撃つな」
「了解」
倒れている侵入者へ近づく。
ヘルメットを外す。
三十代くらいの男だった。
「生きてる」
「拘束する」
セラが男の武器を外す。高出力の携行兵器。それとは別に、腰から小さな端末が出てきた。
「これ何?」
「侵入用端末だろう」
ノエルが入口側から声を上げる。
「見せてもらえますか?」
ユウが端末を持ち上げる。
「これ?」
「外装だけですけど……マルクが持ってたものと同じ系列です」
「じゃあアストライアを調べてた側?」
「たぶん」
セラが男を拘束する。
「こいつは後で話を聞く」
問題は、その先だった。
「二つ目の生命反応、まだある?」
『はい』
「位置」
『前方扉の向こう』
「人?」
『判定不能』
ユウは扉を見る。
近づく。
《接近者確認》
また文字が浮かぶ。
《鍵保持者》
今度は暫定の文字がない。
「……さっきより進んだ?」
セラがユウの前へ出ようとする。
《警告》
二人が止まる。
《非認証者同行》
《第二層開放不可》
「俺だけ?」
「そう読めるな」
セラの顔が険しくなる。
「入るな」
「でも二つ目の生命反応がある」
「それが罠じゃない保証は?」
「ない」
「なら戻る」
ユウは少し迷った。
その時。
扉の向こうから音がした。
声。
『――鍵保持者』
さっきと同じ声。
近い。
ユウの背中に冷たいものが走る。
「誰?」
返事が来る。
『接続を確認』
「何の接続?」
『航路復帰条件を確認』
ユウの表情が変わる。
その言葉には覚えがあった。
目覚めたばかりの頃。
アストライアの誰も見ていない場所で表示されていた、意味不明な記録。
ただしユウ自身は、そのことを知らない。
「アイリス、何言ってるか分かる?」
『いいえ』
『AIRI-S』
アイリスの名が呼ばれる。
『状態報告を要求』
アイリスは数秒沈黙した。
『私はAIRI-Sです。あなたは何者ですか』
『照合』
静寂。
『個体継続性――確認』
「個体?」
リアが入口から聞いている。
『人格偏差――許容』
『艦長との接続――確認』
ユウが眉をひそめる。
「ちょっと待って。何を確認してるの?」
返答はない。
代わりに。
《第二層緊急記録》
《破損》
《航路情報――消失》
《帰還座標――消失》
《基幹接続――未確立》
次々と表示される。
ユウにはほとんど意味が分からない。
最後に一つ。
《鍵保持者、生存確認》
セラがユウを見る。
「お前のことだな」
「そうっぽいね」
「心当たりは?」
「ゼロ」
声が再び流れる。
『質問』
「何?」
『現行年月を回答せよ』
ユウはアイリスを見る。
「答えていい?」
『危険性は低いと推定します』
現在使われている標準暦を答える。
しばらく反応がない。
『……』
「どうした?」
『経過時間算出不能』
『基準暦との照合失敗』
ユウたちは顔を見合わせる。
声が続く。
『外部航路網への接続を要求』
「それは無理じゃない?」
『要求先――消失』
また沈黙。
今度は長かった。
そして。
『状況を再定義』
《孤立状態》
《航路復帰不能》
《鍵保持者保護を最優先へ変更》
「保護?」
セラが嫌そうな顔をする。
「余計なこと始めるぞ」
その予感は当たった。
『艦内保安権限を再構成します』
「待って!」
『艦長保護基準を旧規定へ復帰』
「アイリス止めて!」
『停止を試行――』
船全体へ警告音が走った。
《保安モード変更》
《外部接続制限》
《武装者識別開始》
「リア!」
『こっちは大丈夫!』
「セラの銃は?」
『認証乗員装備として除外』
「ノエルは?」
『非武装。除外』
「拘束してる侵入者は?」
答えが出る。
《敵性対象 三》
外で拘束している二人。
目の前にいる一人。
「それだけ?」
『現時点では』
ユウは少し安心する。
だが声は続いた。
『鍵保持者への脅威を確認』
《脅威情報照合》
《外部対象検索》
「外部?」
セラの顔が変わる。
「何を検索してる?」
数秒後。
『該当情報を確認』
画面に、見覚えのある文字が表示された。
《ORPHEUS》
ユウの目が止まる。
「オルフェウス?」
ノエルが息を呑んだ。
それはアストライアを損傷させずに確保し、中枢区画へ侵入するなと指示していた謎の名前。
『対象識別』
《旧記録との一致――部分》
「旧記録?」
『危険度判定を更新』
《ORPHEUS》
《接触回避を推奨》
《交戦非推奨》
《航路情報の開示禁止》
セラが画面を睨む。
「こいつはオルフェウスを知ってる」
「アイリスは?」
『私の記録には存在しません』
「こっちのシステムだけ覚えてる?」
『そのようです』
ユウは第二層の扉を見る。
「中に何がある?」
今度はすぐに返事が来た。
『回答権限なし』
「じゃあ、あなたは誰?」
沈黙。
数秒後。
『本区画は』
『アストライア中枢航路制御補助層』
ユウたちは誰も口を開かなかった。
『私は』
一瞬、音声が乱れる。
『――管理機能の残骸です』
そして同時に。
アイリスが外部センサーの警報を上げた。
『艦長。緊急』
「何?」
『ヘリオス外縁へ複数船舶が出現』
「何隻?」
『六』
セラが即座に戻る。
「所属は?」
『識別信号なし』
「こっちに来てる?」
『はい』
「距離は?」
『高速接近中』
ユウは画面を見る。
六隻。
そのうち一隻は、他の五隻より明らかに大きい。
『外部通信を受信』
「誰から?」
『発信元不明』
通信には音声がなかった。
短い文字列だけ。
《ASTRAIA》
《応答確認済》
《回収段階へ移行》
ユウの顔から、完全に笑みが消えた。
「……今までの連中と違うな」
セラも同じ画面を見ていた。
「ああ」
六隻は迷わずヘリオスへ向かっている。
証拠を奪うためではない。
セラを殺すためでもない。
今度の標的は最初から一つだった。
アストライアそのものだった。




