第五章 北の木は急がない
ベルナから荷が届く日には、リーベルの広場に人が集まるようになった。初めは食料を買う人だけだった。やがて鍛冶屋が修理の見本を置き、宿が温かい汁物を売り始めた。雨が降ると皆が軒下へ逃げたので、市場に屋根をつけようという話になった。
必要な木材の量を聞き、カイルは黙った。大工は地図の北門付近を指した。
「近いのは、ここの森だ」
エレナは隣にいた。地図の自分の家に指を置き、その指をどけなかった。
町長は額を押さえた。
「まだ決めてはいない」
その声には疲れがあった。
町を豊かにすれば、森を守れる。そう考えて始めたことが、森へ斧を連れてきた。
カイルは地図へ手を置いた。泉の印を指で覆い、そこから北へ指を動かした。紙の端を越えて、机の上を進む。
「……ノルドか」
町長が言った。
大工は渋い顔をした。
「あそこは木を出さねえぞ」
「じゃあ、理由を聞いてくる」
「行くのはいい」
大工は、地図の下から市場の図面を引き出した。
「だが、屋根は今月中だと、もう店の連中に言ったぞ」
言ったのはカイルだった。森以外のどこから木を買うかも決めず、先に約束していた。
「……俺から、話してくる」
北へ向かう前に、カイルは泉へ立ち寄った。宿の主人にもらったパンを、エレナが石の上へ置いた。その隣には、白い小さな花がある。
「エレナ。少し時間をくれ」
「また、あと?」
カイルは言葉を失った。エレナは石の上のパンを見ていた。
「おみせ、ふえた。くるまも。おうち、まだ、きる?」
「ここの木を切らずに、屋根を作りたい。その相談に行く」
「できる?」
「まだ、分からない」
そう言うと、少女はようやく彼を見た。
「エレナも、きく」
カイルはうなずいた。今度は先に、何日で戻るつもりかを話した。
ノルドでは、歓迎されなかった。追い返されもしなかった。宿は部屋を貸してくれたし、食堂は料理を出した。ただ、木材の話になると会話が終わった。
「売れる木は、ない」
材木置き場には、乾いた板が何列も並んでいた。カイルはその板を見たが、指ささなかった。ベルナで、売れ残った金具を抱えて立った記憶が、彼を少しだけ慎重にしていた。
「じゃあ、何に使う木なのか教えてくれないか」
番をしていた老人は、眉を上げた。
「買わないのにか」
「買えないんだろ」
老人は鼻で笑い、立ち上がった。
案内された山には、伐る木と残す木の印があった。苗木の育つ斜面があり、休ませている区画があった。一本の木が板になり、家の梁になり、その家が建て替えられるまでに、次の木が育つ。
「お前、あれが柱になる頃には、何歳だ」
老人が細い若木を指した。
「……爺さんかな」
「そうだ。今ある板が余って見えるのは、お前が今日の目で見てるからだ」
カイルは黙って山を見た。
エレナは老人のそばへ降りた。
「エレナのもりも、き、きったら、かわく?」
「どの木を、どれだけ伐るかによる。見てもいねえ森のことは言えん」
「みて」
少女が差し出した小瓶を、老人は受け取らなかった。
「水だけ見ても分からん。土と根と、雨のあとを見に行くんだ」
「じゃあ、きて」
カイルは木材の値段ばかり考えていた。エレナは、老人が返事をするまで待っていた。
「こっちの植え付けが終わってからだ。道案内は、お前がしろよ」
「する」
工房は、もっと驚く場所だった。小さな木片が寸法ごとに仕分けられていた。薄い板を重ねて丈夫にするもの、木を曲げるもの、湿気に耐えさせるもの。削り屑さえ、使い道があった。
カイルは数日、木片を運ぶ仕事を手伝った。ある日、若い職人が彼の握る金具を見た。
「それ、どこのだ」
「リーベル。車に使ってた予備だよ」
「……少し見せてくれ」
翌朝には、別の職人が寄ってきた。三日後、カイルはリーベルへ手紙を書いた。木材の値段ではなく、金具の寸法と、工房へ来てほしい日付を書いた。
到着したロウグは、最初の半日で三度怒鳴った。ノルドの職人も四度怒鳴り返した。夕方には、同じ木片を覗き込みながら酒を飲んでいた。
「外に何もねえって決めつけてたな、俺たち」
若い職人が言った。
老人は答えず、杯を置いた。翌日、売ってもよい板の量が、机の上に出された。
少なかった。市場の計画は縮めなければならなかった。カイルは紙を受け取った。
「これで始める」
「よそなら、もっと出せと食い下がる」
「あんたらが守ってる木を買いに来たんだ。守り方まで変えろってのは、おかしいだろ」
老人はカイルを長く見た。
「泉の森があるんだったな、お前の町には」
「ああ」
「だったら、分かるか」
市場の屋根を半分にすれば、約束した売り場のいくつかは雨に濡れる。リーベルへ戻ったあと、カイルは店を一軒ずつ回った。全員に分かってもらえたわけではない。靴屋の夫婦は、雨のかからない西の屋内市へ移ると決めた。借りていた場所に、引っ越しの荷が積まれた。
「森は大事なんだろう。うちの革も、濡らせないんだよ」
カイルは荷を縛るのを手伝った。来年こそは、と言いかけ、やめた。
靴屋を見送った夜、宿でヴィオラが湯を差し出した。
「よく我慢したわね。市場を小さくすると決めたとき」
「悔しかったぜ」
「知っているわ」
「でも、ノルドの森を無理に切ってもらって、エレナの森だけ守った顔はできねえよ」
ヴィオラは湯の向こうで微笑んだ。
「ええ。それを言える人と来られて、よかった」
カイルは杯を両手で持った。顔が熱くなったのは、湯気のせいにした。
最初の材木を運んだ車は、三号車と呼ばれるようになった。長い板を安定して載せられるよう、ノルドとリーベルの職人が一緒に作った車だ。最後の板を受け取りに行った帰り、泉の森の脇を通った。
カイルは引き手を離れ、森へ向かって片手を上げた。エレナは隣で、同じように手を振った。
荷車は木を積んでいた。
森には、斧の音がしなかった。




