第四章 空の荷車
二号車がベルナへ着いたとき、カイルは荷台に寝転がりたいほど疲れていた。それでも町の匂いを嗅いだ途端、起き上がった。
焼けた麦。干し草。煮込む肉。白い布に包まれたチーズが店先へ並び、荷車のそばを、乳桶を抱えた子供が走り抜けていく。
「ここにしばらく住んでもいいな」
「着いて最初の感想が、それ?」
「ヴィオラもそう思うだろ」
彼女は香草の山を見て、答えを保留した。
最初の商売は、ひどく簡単に見えた。リーベルの箱と釘を売る。ベルナの食べ物を買う。同じ荷車で往復すれば、空荷で道を走らずに済む。持ってきた金具はすぐ売れた。チーズも安く分けてもらえた。
カイルは宿で指を折り、帰ってからの儲けを計算した。ヴィオラは隣で、その数字から宿代と食費を引いた。次に箱の代金。帰り道で車が壊れたときの修理代。数字は薄くなった。
「うん。まあ、最初だしな」
帰り着いたチーズの一つは、箱の底で潰れていた。
よく売れた金具は、ベルナではひと月に一度あれば足りる品だった。そんなことは知らず、次の出発の朝、カイルはエレナに、二日で戻ると約束した。二度目に持っていくと、店の主人は困った顔をした。
「欲しくないわけじゃねえ。先週のが、まだ残ってる」
カイルは包みを持ったまま立ち尽くした。
荷車が着くだけでは、商売は続かない。そのことを、荷台に残った金具が教えてくれた。
リーベルへ帰る予定の日、カイルはヴィオラへ言った。
「もう少し、ここにいよう」
「どのくらい?」
「一週間。足りなかったら、もう一週間」
「お金は」
「働く」
ヴィオラはしばらく黙ってから、自分の旅袋を椅子へ戻した。
「今度は、働いた分をきちんと受け取りなさいよ」
三人は、町はずれの宿から毎朝出かけた。カイルは荷を持ち、壊れた柵を支え、牛に引きずられた。エレナは牛を気に入り、牛はエレナを少しも気にしなかった。ヴィオラは農家と商人の言い争いに巻き込まれ、その日のうちに双方から相談を持ち込まれるようになった。
一週間では足りなかった。
二週間目に、カイルは農家の若い娘が卵の入った籠を抱え、修理屋を二軒も回るのを見た。ミラと名乗った娘は、留め金の折れた荷車を家に置いてきたと言った。
「父はもう、籠を持って長く歩けないの。うちの車は古いから、直すたびに違うところが壊れる」
新しい一台を買うため、売れた卵の代金を少しずつ分けていた。修理代が出るたび、その袋が軽くなるのだという。
三週間目には、同じ娘の卵が売れ残る日を知った。隣家の車に積める日と、市の開く日が合わないのだ。別の農家では空き箱がなくて、収穫を遅らせていた。その隣には、使わない箱が軒先で腐りかけていた。
夕方、カイルは紙を広げた。
「全部、あちこちにあるんだ」
ヴィオラは彼の書いた歪んだ家の絵を見た。
「何が?」
「車も、箱も、修理できる人も。でも困ると、毎回、町じゅう走り回らなきゃならない」
彼は家と家の間へ線を引いた。線が増えすぎて、絵が読めなくなる。
「一か所あればいい。荷物を持ってくる場所。箱を借りる場所。修理を頼める場所。次のリーベル行きがいつか、そこで分かる」
ヴィオラが紙を引き寄せ、裏返した。
「誰が留守番をするの?」
「俺が――」
言いかけて止まった。ヴィオラは待っていた。
宿の階下で、食器を片づける音がする。エレナが窓の外を指した。夕方なのに、まだ荷を抱えて歩いている人がいた。
「……俺たちが帰っても、困らないようにしなきゃ駄目だな」
「そうね」
翌日から、今度は人を探した。足を痛めて御者を辞めた男が、便の受付を引き受けた。箱の貸し出しはミラに頼んだ。娘はすぐにはうなずかなかった。
「その間、うちの卵は誰が売るの?」
カイルは、仕事を渡せば喜んでもらえると思っていたことに気づいた。
「受付の手間賃を、箱代と別に取ろう」
ヴィオラが紙へ金額を書いた。ミラはその数字を見て、首を振った。安すぎた。家へ帰って父親と相談し、翌日、別の額と、休みにする曜日を持ってきた。集積所の始まる日は、二日延びた。
リーベルの職人は、部品の注文がまとまるなら、定期的に来てもよいと言った。
集積所は、空いた納屋を借りて始まった。立派な看板はなかった。壁に炭で、次の出発日を書いた。
最初の日、カイルは扉の前で荷物を受け取ろうとした。
「そっちに立たないで。通れないから」
ミラに言われて、道をあけた。元御者の男は、カイルに聞かずに積み順を決めた。重いものが下へ入り、割れやすいものが箱の上へ載った。彼の積み方より、ずっと速かった。
ヴィオラが肘で脇腹をつついた。
「用がなくなったわね」
「そういう言い方するなよ」
それでも、嬉しかった。
リーベルへ帰る荷車には、売り物だけでなく修理を頼まれた農具が載っていた。帰りを待つ人の名前が、全部に結びつけてある。
道の途中、エレナが瓶から顔を出すように現れた。
「また、いく?」
「行くさ」
「いかなくても、いく?」
言葉が足りなかったが、今度は分かった。
「ああ。俺たちが行かなくても、この車は行く」
エレナは荷台へ手を添えた。初めて友達を送り出すような顔をしていた。
その夜は泉へ帰った。カイルが次の便の話を始めると、エレナは水面へ降りてしまった。いつもなら聞きたがる、牛の話にも出てこない。
「どうした?」
「ふつかで、かえるって、いった」
二度目のベルナ行きに出る朝、そう言った。仕事が見つかるたびに延び、三週間が過ぎていた。
「途中で、帰りたいって言ってくれれば――」
そこまで言い、自分が何を頼もうとしたかに気づいた。エレナは泉から外を見ていた。帰りたいと言えなかった六人も、こんなふうに待っていたのかもしれない。
「違うな。俺が聞くべきだった。ごめん」
「おうち、みたかった。なくなってないか」
ヴィオラが瓶を石の上へ置いた。
「今夜は、ここにいましょう」
エレナはうなずいた。だが、すぐには笑わなかった。カイルは次の便の紙をしまった。帰り道で話そうと思っていたことを、何も話さず、泉のそばで夜になるのを待った。




