第15話 看板を貸しただけなのに、請求書が来ました(商号・名板貸し)
クライン商会への返答文を出し終え、私は薄桃色の便箋を裏返した。
優しい言葉。
名前を出さない支援。
帳簿上は、朱書き付き灰色。
最近、色が増えすぎている気がする。
私の人生は、いつからロッテの補助簿で彩色されるようになったのだろう。
「ロッテ」
「はい」
「私、そろそろ普通の白い紙が見たいわ」
「承知しました」
「本当に?」
「はい。次は白い紙です」
ロッテはそう言って、机の上へ一通の確認書を置いた。
白い紙だった。
確かに、私の希望どおりである。
ただし、表題はまったく優しくなかった。
アルマーシュ商会商号使用許諾確認書
私は目を閉じた。
「ロッテ」
「はい」
「白ければよいというものではないわ」
「紙の色については、ご希望に沿いました」
「内容が沿っていないのよ」
お願いの受け取り方が、どこか致命的に間違っている。
間違っているのだけれど、紙が白いことだけは事実なので、強く責めにくい。
こういうところが、この子は強い。
ノアが静かに確認書を開いた。
「王都東市秋季販売会に関する書類でございます」
「また販売会?」
「はい。協力商人であるダール商会より、販売区画の名称について申出がございました」
「名称」
その程度なら、さほど難しい話には聞こえない。
店を出す。
名前をつける。
それだけのことだ。
昔から取引のある商人なのだから、少しくらい名前を貸してもよいのではないか。
そこまで考えたところで、ロッテの補助簿に赤い線が入った。
「まだ何も言っていないわ」
「お顔が『名前くらい貸してもよいでしょう』でした」
「顔に出ていたの?」
「はい」
「最近、私の顔は帳簿に読まれすぎているわ」
口にしなくても赤字になる。
沈黙しても赤字になる。
そのうち寝顔まで記帳されるのではないだろうか。
寝室には入れないよう、今のうちに言っておこう。
レオンハルト殿下が確認書へ視線を落とした。
「ダール商会か」
「ご存じですの?」
「王都東市で雑貨と織物を扱っている。近年は資金繰りが荒い」
「殿下は、商人の資金繰りまでご存じなのですか」
「王都で名のある商会なら、噂は入る」
「噂」
また、その言葉だった。
殿下は噂を軽く扱わない。
むしろ私より早く、噂がどこへ走り、何と結びつき、誰を傷つけるのかを見ている。
だから余計に、何を考えているのか分からない。
見えているものが多い人ほど、中身を見せないのはなぜなのだろう。
不親切である。
ロッテが確認書を読み上げた。
王都東市秋季販売会において、ダール商会が運営する販売区画につき、「アルマーシュ商会東市臨時販売所」の名称を使用することを希望する。
同区画では、アルマーシュ商会が品質を確認した商品に加え、ダール商会が独自に仕入れた関連商品も販売する予定である。
私はしばらく紙を見つめた。
読める。
文字は読める。
意味も、一つずつなら分かる。
けれど、並べると急に危ない。
「ロッテ」
「はい」
「もう一度、最初から読んでもらえる?」
「名称は、アルマーシュ商会東市臨時販売所です」
「運営するのは?」
「ダール商会です」
「売る品は?」
「当商会が確認した品と、ダール商会が独自に仕入れた品です」
「つまり」
私は確認書を指で押さえた。
「アルマーシュ商会の販売所を名乗りながら、私たちが確認していない品まで売るの?」
「はい」
ロッテの補助簿に青い線が入った。
「今のは?」
「問題点を正確に把握されました」
「青字?」
「はい。かなり青いです」
「青さにも段階があるのね」
「商会再建中ですので」
再建中の商会では、色彩感覚まで実務的になるらしい。
ノアが別紙を広げた。
「販売予定品目はこちらでございます」
織物。
香油。
小物。
染色布。
香料袋。
薬草入り美容油。
アルマーシュ商会が品質を確認した品には、小さな印がついている。
印のある品はよい。
問題は、印のない品まで同じ販売区画で扱う予定になっていることだった。
「薬草入り美容油」
私は品目名を読み上げた。
「これは、当商会が確認した品ではないわね」
「はい。ダール商会の独自仕入れです」
「それを、アルマーシュ商会東市臨時販売所で売る」
「その提案です」
私は書類を置いた。
「それでは、推薦品が混ざるのではないわ」
一拍置く。
「店そのものが、混ざっているではなくて?」
ロッテが、もう一本青い線を引いた。
「大変よい整理です」
レオンハルト殿下が短く言った。
「客は、看板の下にある品を、一つずつ仕入先まで調べない」
私は殿下を見る。
「調べない?」
「看板を見て棚を見る。棚を見て品を買う」
殿下は確認書を指先で軽く叩いた。
「そこで問題が起きたとき、客が覚えているのは、ダールの仕入先ではない。看板に書かれたアルマーシュだ」
私は少し黙った。
アルマーシュ商会東市臨時販売所。
その名を見た者は、アルマーシュ商会が出した店だと思うだろう。
実際に品を仕入れたのが誰か。
販売員を雇ったのが誰か。
値札をつけたのが誰か。
棚の奥で、誰が帳簿をつけているのか。
そんなことまで客は見ない。
見るのは、看板に掲げられた名前だ。
考えてみれば当然だった。
私だって夜会で菓子を口にするとき、砂糖を運んだ者の名まで確認しない。
美味しければ菓子職人を褒め、腹を壊せば屋敷を恨む。
人とは、だいたいそういうものだ。
「名前は、私のいない場所でも歩くのね」
私が言うと、ロッテが青字を引いた。
「はい」
「その店に私がいなくても、アルマーシュの名が客を呼ぶ。そこで何かあれば、責任も名前を追ってくる」
「その可能性があります」
名前だけ先に出かけて、責任を連れて帰ってくる。
たいへん行儀の悪い散歩である。
ロッテは別の紙を取り出した。
「本日の項目は、商号と名板貸しです」
「商号」
「商人が営業上、自己を表示するために使用する名称です。アルマーシュ商会という名も、商号として扱います」
「営業上の看板ね」
「はい」
「名板貸しは?」
「自己の商号を使用して、他人が営業することを許す行為です」
「今回なら、ダール商会にアルマーシュの名で店を出させる」
「はい」
ロッテは一拍置いた。
「その表示を見た相手が、名義を貸した商人自身の営業だと誤認して取引した場合、名義を貸した側も、その取引から生じた債務について責任を負うことがあります」
私はゆっくり息を吐いた。
「つまり、ダール商会が売った品でも、お客様がアルマーシュの店だと思って買えば。こちらまで、無関係ではいられない」
「はい」
「名前だけ貸して、責任だけ帰ってくるのね」
「大変簡潔な整理です」
ロッテの補助簿に、青い線が増えた。
簡潔に言えば言うほど、内容はひどい。
「また、信じた人を守る話なのね」
「はい」
「看板を信じて来た人がいる。なら、誰が店を営んでいるのか分からない表示をしてはいけない」
「そのとおりです」
ノアが柔らかく微笑んだ。
「お嬢様、理解が進んでおられます」
「ノア」
「はい」
「今、普通に褒めた?」
「はい。お嬢様が望まれましたので」
「ありがとう。でも、その次には書類を出すのでしょう?」
「もちろんでございます」
「優しい顔で逃がさないわね」
「お嬢様にご負担なく、名板貸しの危険をご確認いただくためでございます」
「その言い回し、だいぶ強引になってきたわ」
ノアは答えず、販売予定品目一覧を私の前へ滑らせた。
答えないということは、否定できないらしい。
この家の者は、ときどき沈黙を非常に上手に使う。
私が使うと赤字なのに。
「では、どうするべき?」
私が尋ねると、ロッテが品目一覧を指した。
「まず、販売区画全体にアルマーシュ商会の商号を使用させるかどうかです」
「許可しないわ」
自分でも驚くほど、言葉はすぐに出た。
「アルマーシュ商会東市臨時販売所という名称は使わせない」
ロッテの補助簿に青い線が入る。
ノアもうなずいた。
「適切かと存じます」
「でも、ダール商会との協力自体を断る必要はないのでしょう?」
「はい。商号使用と、個別商品の品質確認表示は分けて考えられます」
ロッテが言った。
「当商会が実際に確認した商品に限り、『アルマーシュ商会確認済み』などの表示を認める方法はございます」
「販売区画全体ではなく、商品ごとに?」
「はい」
「それなら、確認していない品までアルマーシュのものには見えない」
「表示方法が適切であれば」
レオンハルト殿下が言った。
「内側で分けるだけでは足りない」
「殿下?」
「客から見て分かるように分けろ」
私は品目一覧を見る。
確認済みの織物。
未確認の美容油。
帳簿の上で別の商品でも、同じ棚へ置き、その上に大きくアルマーシュの名を掲げれば、客には一つに見える。
帳簿は棚を見ない。
客も帳簿を見ない。
間にいる私たちが、両方を見るしかない。
「棚を分ける」
私は言った。
「札も分ける。広告文も分ける」
「そうだ」
「当商会が確認した品には、商品ごとに表示する。未確認の品には、アルマーシュの名を出さない」
「そうしろ」
「販売区画そのものは、ダール商会の名で出す」
「それなら、誰が営業しているか分かる」
ロッテが補助簿に青い線を引いた。
「外形上の区分として、大変よい整理です」
「ロッテは内訳を見る」
「はい」
「殿下は、客から見える形を見る」
殿下が私を見る。
「両方必要だ」
短い言葉だった。
けれど、それはそうなのだろう。
帳簿の中で分かれていても、売り場で混ざれば意味がない。
契約書の中で範囲を決めても、看板が全部を覆ってしまえば、客には届かない。
商いは、決めるだけでは足りない。
見えるようにしなければならない。
面倒である。
だが、面倒だからと省けば、もっと面倒になる。
最近こればかり学んでいる。
「確認することを整理します」
私はペンを取った。
「一つ。販売区画の正式名称」
「二つ。実際の運営主体」
「三つ。アルマーシュ商会が品質を確認した品目」
「四つ。個別商品に使用する表示文言」
「五つ。表示を付ける位置と大きさ」
「細かいですが、重要です」
「六つ。未確認商品との棚の区分」
「七つ。広告文案」
「重要です」
「八つ。過去にアルマーシュ商会の名を使用したことがあるか」
「九つ。許諾した商品と表示以外には、商号を使わせない」
ロッテが大きく青い線を引いた。
「大変よいです」
ノアが新しい紙を用意する。
「お嬢様。返答文案を整えます」
「お願い」
私は書き始めた。
ダール商会 御中
王都東市秋季販売会における、当商会の商号および品質確認表示の使用希望について、確認いたしました。
当商会は、貴商会が運営する販売区画について、「アルマーシュ商会東市臨時販売所」その他、当商会が販売主体であると認識され得る商号表示の使用を許諾いたしません。
当商会が個別に品質を確認した商品について、確認済みである旨の表示を希望される場合には、対象品目、表示文言、広告文案、表示位置および販売棚の配置をご提示ください。
許諾した表示は、当該商品のみに付し、未確認の商品または販売区画全体について、当商会の関与が及ぶと認識される方法では使用しないようお願いいたします。
また、販売区画の運営主体がダール商会であることを、来場者から明確に認識できる形で表示してください。
書き終え、私は文面を読み返した。
「いいと思うわ」
ロッテがうなずく。
「青字です」
ノアも静かに微笑んだ。
「販売主体、商号使用、個別表示が明確に分けられております」
レオンハルト殿下が文面へ目を通した。
「悪くない」
「殿下」
「何だ」
「褒め言葉の形を覚えるお気持ちは?」
「今のは評価だ」
「もう少し柔らかくできませんの?」
「できる」
私は殿下を見る。
「できるのですか」
「できる」
「では、なぜ使わないの?」
「今は不要だ」
「本当に使わないのですね」
ロッテが補助簿に灰色の線を引いた。
「今のは?」
「殿下の褒め言葉未使用在庫です」
「在庫があるの?」
「本人申告では存在します」
「出荷予定は?」
「未定です」
在庫はある。
出荷はしない。
商人としては、あまりよい姿勢ではないと思う。
私は笑いそうになった。
殿下は、ほんの少しだけ目を細める。
笑ったのか。
不満なのか。
やはり、よく分からない。
先日は、私を切った。
今日、私の商会の看板がどこへ向かうのかを見ている。
冷たい。
けれど、無関心ではない。
そう思ってしまう自分が、少し嫌だった。
私は返答文の末尾へ署名を入れた。
名前は、ただの飾りではない。
商号は、誰がその店を営んでいるのかを示す看板だ。
その看板を貸せば、私のいない場所で、誰かがアルマーシュとして品を売る。
客は看板を信じる。
そして責任は、その名前を辿って帰ってくる。
名前だけ先に出かけて、責任を連れて帰ってくる。
やはり、行儀が悪い。
ならば、行き先を知らない看板を、軽々しく渡してはいけない。
ロッテの帳簿メモ
本日の項目
商号・名板貸し
――商法第十一条・第十四条
商号とは、商人が営業上、自分を表示するために使用する名称です。
今回なら、「アルマーシュ商会」が商号に当たります。
商法第十一条は、商人が氏名その他の名称を商号として使用できることを定めています。
名板貸しとは、自己の商号を使って、他人が営業または事業を行うことを許すことです。
その表示を見た相手が、アルマーシュ商会自身が営業している
と誤認して取引した場合、商号を貸したアルマーシュ商会も、実際に営業した者と連帯して、その取引による債務を弁済する責任を負うことがあります。
ここは商法第十四条です。
お嬢様向け整理
名前を貸すことは、信用を貸すことです。
たとえば、ダール商会が運営する区画を、
アルマーシュ商会東市臨時販売所
と表示すれば、客はアルマーシュ商会の店だと思う可能性があります。
そこでダール商会が独自に仕入れた品を販売しても、客から見れば、
アルマーシュ商会が売った品
に見えるかもしれません。
誰が仕入れたか。
誰が販売員を雇ったか。
誰が代金を受け取ったか。
客がそこまで確認するとは限りません。
名前だけ貸しても、責任まで無関係になるとは限りません。
「推薦」「確認済み」の表示
「アルマーシュ商会推薦品」「アルマーシュ商会確認済み」といった表示が、直ちにすべて名板貸しになるわけではありません。
問題となるのは、表示全体から見て、
誰が営業しているのか
誰が商品を販売しているのか
について誤認を招くかどうかです。
そのため、個別商品の表示を認める場合も、
対象となる品目
使用する文言
表示の位置と大きさ
広告への掲載方法
未確認商品との棚の区分
実際の販売主体
を明確にします。
帳簿の中で分けていても、売場で混ざって見えれば危険です。
ロッテ補助簿・本日の色分け
「名前を貸すだけでしょう?」というお顔
→ 赤字。発言前ですが、顔に出ています。
「アルマーシュ商会東市臨時販売所」
→ 朱書き。販売主体の誤認につながるおそれがあります。
薬草入り美容油
→ 赤字。当商会未確認品です。
「名前は、私のいない場所でも歩く」
→ 青字。信用も責任も連れて歩きます。
販売区画全体への商号使用を許可しない
→ 青字。大変よいご判断です。
確認済み商品だけを、棚と表示を分けて扱う
→ 青字。帳簿だけでなく、客から見える形も分けます。
殿下の褒め言葉未使用在庫
→ 灰色。在庫の存在は確認されましたが、出荷予定は未定です。
本日のまとめ
名前を貸すことは、信用を貸すことです。
看板は、貸した先でも責任を連れて歩きます。
誰が、
どこで、
何を売るために使うのか。
名前を渡す前に、確認してください。




