第4話:属性未設定(null)の恩恵と、こっそり始める魔法訓練
廃材置き場の奥底に眠る『没オブジェクトの女神像』による、世界のシステムリンクの証明と絶対的な魔力拡張の成功。
あの日から、俺の生活には一つの「日課」が加わった。
毎日、夕暮れ時になると母マリアの目を盗み、平民区の西端にある廃材置き場へと足を運ぶ。そして、誰も見向きもしない苔生す石の塊にそっと触れ、システムからの『魔力器官の強制拡張』を受けるのだ。
最初の数日は、魔力器官が押し広げられる激痛にのたうち回った。しかし、一週間も続けると身体がその負荷に適応し始め、痛みは「みぞおちの奥が熱くなる」程度の感覚へと変わっていった。
そうして一ヶ月が経過した頃には、俺の内にある「魔力の器」は、すでにお猪口から水たまり、そして広大な「湖」と呼べるほどのサイズにまで広がっていた。
だが、圧倒的な魔力容量を得たことで、俺は一つの深刻な問題に直面することになる。
それは「出力のコントロール不足による暴発の危機」だった。
ある日の午後、自室のベッドで昼寝から目覚めた時のことだ。
寝ぼけ眼で大きく伸びをし、不用意にふぁっくしょん! とくしゃみをした瞬間だった。
俺の指先から、バチィッ! という鋭い音と共に青白い静電気が弾け飛び、目の前にあった木箱の机の角を黒焦げにしてしまったのだ。
「……うわっ、あぶねえ!?」
薄く煙を上げる机の角を見て、俺は一気に血の気が引いた。
もしあのまま魔力が暴発して、机ではなく家全体に引火していたら? あるいは、俺自身の身体が内側から破裂していたら?
魔力の器が巨大化し、そこに並々ならぬ魔力が溜まっている状態というのは、いわば「超高水圧の貯水槽」を無防備に抱え込んでいるようなものだ。
少しでも気を抜いて蛇口(出力)を開けすぎれば、強すぎる水圧で蛇口ごと吹き飛び、周囲を巻き込んで大惨事を引き起こしてしまう。
「魔力量が多いだけじゃ駄目だ。これをミリ単位で制御できる『魔力操作の技術』がないと、ただの歩く爆弾だぞ……」
ゲームの中であれば、コントローラーのボタンを押すだけで、システムが勝手に最適化された魔法を放ってくれた。
しかし現実の肉体でそれを扱うには、膨大な魔力を細い糸のように絞り出し、術式として編み上げるための精密なコントロールが必要不可欠だった。
翌日の夕方、俺は日課の女神像タッチを終えた後、廃材置き場の空きスペースに座り込んで目を閉じた。
まずは、己の魔力を指先に集める基礎訓練からだ。
湖のように波打つ体内の魔力の中から、ほんの一滴だけをすくい上げるイメージ。それをゆっくりと右手のひとさし指の先端へと誘導する。
熱を帯びたエネルギーが血管を通って移動していく感覚は、なんともむず痒い。
「よし、集まった。……次に考えるべきは、俺の『属性』だな」
目を開き、微かに淡い光を放ち始めた指先を見つめる。
この世界『ルミナス・ナイツ』における魔法は、火、水、風、土の基本四属性をベースとしている。それに加え、ヒロインが持つ希少な「光」と、魔物や一部の攻略対象が抱える「闇」、そして失われた「古代魔法」が存在する。
魔法の属性は生まれつきの血統に強く依存しており、大抵の人間は一つの属性しか持たない。貴族などの優れた血統であれば二つの属性を併せ持つ者もいるが、それ以上は歴史上でも稀だ。
平民である俺の両親は、魔法をほとんど使えない。母マリアが水仕事の際にほんの少しだけ水を冷たくできる程度で、父トマスは完全に無属性だ。(もっとも、トマスは重い鍋を片手で振るうなど、無意識に身体強化を使っている節はあるが)
となれば、俺の属性は微弱な「水」か、あるいは「土」あたりだろう。
「まあ、属性なんて何でもいい。圧倒的な魔力量で押し潰せば、相性なんて関係ないしな」
俺は指先に集めた魔力に「火」のイメージを与えてみた。
平民の身分でいきなり火魔法が使えれば、暖炉の火起こしが楽になるだろうという、三歳児らしい安直な理由だ。
マッチの火を思い浮かべ、魔力を変換する。
――ボッ。
「おわっ!?」
指先から、綺麗なオレンジ色をしたピンポン玉サイズの火の玉が浮かび上がった。
肌を焼く熱気を感じる、正真正銘、本物の炎だ。
俺は慌てて火を消し、目を丸くした。
「……えっ? 俺、火属性の適性あるの? 両親は使えないのに?」
突然変異だろうか。いや、待てよ。
俺は少し首を傾げ、今度は「水」をイメージして魔力を練り上げた。
すると指先からポタポタと水滴が溢れ出し、空中に綺麗な球体を保った小さな水球が形成された。
「……は?」
続けて「風」をイメージすれば、手のひらの上で小さなつむじ風が舞い上がり、「土」をイメージすれば、足元の地面がボコッと隆起して小さな土くれの塊を作り出した。
火、水、風、土。
基本となる四属性のすべてが、いとも簡単に、何の抵抗もなく発動してしまった。
天才と呼ばれるSSRの攻略対象たちでさえ、四属性すべてを網羅している者など一人もいない。そんな現象は、この世界の常識ではあり得ないのだ。
「なんで俺、全属性が使えるんだ……?」
シナリオライターとしての俺は、自分自身が作った設定の矛盾に激しく混乱した。
ルークというキャラクターに、そんな特別な血統や裏設定を仕込んだ記憶は一切ない。そもそも、ルークは「追加シナリオで家族もろとも処刑されるためだけに配置された、ただのモブ」なのだ。
そこまで考えた瞬間、俺の脳裏に電撃のような閃きが走った。
「――っ! そうか、モブだからだ!」
俺は思わず膝を叩いた。
ゲーム開発において、プレイアブルキャラクターや戦闘を行うNPCには、必ず「属性」のデータパラメータが個別に設定される。内部データ的には、火属性なら『Fire=1, Water=0, Wind=0, Earth=0』といった具合だ。
だが、戦闘に参加することのない、ただ背景として存在するだけのモブキャラクターに、わざわざ一つ一つ属性のパラメータを設定するプログラマーなどいない。手間がかかるし、データ容量の無駄だからだ。
つまり、ルークの属性パラメータは「未設定(null)」のまま放置されていたのだ。
そして、この世界がゲームのシステムをそのまま現実の物理法則として適用しているのだとしたら。
属性の制約がかけられていない俺の肉体は、システム側から『あらゆる属性の魔法を通してしまう、制限のない空白の器』として処理されていることになる。
結果として、俺は開発の手抜きによる「バグの恩恵」によって、『全属性適性』という神がかり的な才能を手に入れてしまったのだ。
「全属性適性……待てよ。裏設定で全属性を束ねられる条件って、たしか……」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
『ルミナス・ナイツ』の世界観において、基本四属性をすべて内包し、それを束ねることで初めて発動可能となる「失われた魔法体系」が存在する。
それは――『古代魔法』。
ゲーム終盤の凶悪な隠しダンジョンをクリアした者だけが手に入れられる、規格外の殲滅力と、空間や物理法則すらも捻じ曲げる万能性を持った最強の魔法。
全属性適性を持つということは、その古代魔法を扱うための前提条件をも、すでに満たしているということになる。
「……ふふっ、あっははははっ!」
薄暗い廃材置き場で、俺は声を押し殺して笑い転げた。
チートにも程がある。
これなら勝てる。ヒロインの強引なシナリオ改変も、王太子が振りかざす権力も、俺たち家族を陥れる悪徳家臣の陰謀も、すべて圧倒的な暴力で粉砕できる。いずれ行動範囲が広がれば、あの隠しダンジョンのデバッグ通路を抜けて『古代魔法書』を回収しに行くことも可能だろう。
「だが、そのためにはやっぱり『コントロール』だ。全属性が使えるなら、なおさら精密な操作技術が必要になる」
笑いを収めた俺は、決意を新たに両頬をパンッと叩いた。
いくら巨大な魔力と全属性の才能があっても、使えなければ意味がない。自爆して死ぬか、親にバレて気味悪がられるだけだ。
今日から俺は、女神像での魔力量の拡張と並行して、死に物狂いで「魔力操作」の特訓を開始する。
生活のすべてを魔法の修練の場にするのだ。
薪の火起こしに火魔法を。
部屋の掃除に微細な風魔法を。
水汲みの手伝いに水魔法を。
ただ魔法を使うのではない。親や周囲の人間に絶対にバレないよう、無詠唱かつ極限まで魔力光を抑え込んだ「隠密発動」の技術を磨き上げる。
膨大な魔力を、針の穴を通すような精密さで制御し、日常の動作の中に完全に溶け込ませる泥臭い特訓だ。
「十二年後の処刑エンドをぶっ壊す。そして……」
俺の脳裏に、いずれ出会うことになる一人の少女の姿が浮かぶ。
悲劇の悪役令嬢、セリア・フォン・ローズグレイ。
俺が書いた理不尽なシナリオのせいで、最後は誰からも愛されずに破滅していく孤独な女の子。
俺が手に入れたこの規格外の力は、自分と家族を守るためだけじゃない。
彼女の運命を捻じ曲げ、その心を救い出すための絶対的な切り札でもあるのだ。
「待ってろよ、理不尽な世界。生みの親が直々に、最高にハッピーなシナリオに書き換えてやるからな」
夕日に染まる空を見上げ、三歳の俺は静かに、しかし確かな闘志を燃やした。
そうして、己の才能に溺れることなく、ただひたすらに基礎を磨き上げる孤独な修練の日々が始まった。
来るべき、運命が動き出すその日に向けて。
季節は巡り、月日は静かに流れていくのだった。




