第3話:世界のリンク検証と『無限の魔力増幅器』
高熱から完全に回復した翌日の朝。
俺は、前世の記憶――シナリオライターとしての知識を総動員して導き出した「検証」を行うため、朝から母親のマリアへ熱烈なアピールを開始していた。
「お母さん! 俺、すっかり元気になったよ! お外で遊んできてもいい?」
木製の小さな丸椅子からピョンと飛び降り、両手を広げて全身で健康をアピールする。三歳児の短い手足ではなんとも滑稽なポーズだったが、マリアは洗濯物を干す手を止めて、困ったように微笑んだ。
「うーん……熱はすっかり下がったみたいだけど、まだ病み上がりでしょう? 遠くに行っちゃ駄目よ。迷子になったら大変だから」
「大丈夫! お家のすぐ近くで遊んでるから!」
「本当に? じゃあ、お母さんの声が届く範囲にいるのよ。何かあったらすぐに大きな声で呼ぶこと。約束できる?」
「うん、約束する!」
無邪気な子供の笑顔を全開にして頷くと、マリアは「いい子ね」と俺の頬を優しく撫でてくれた。親の愛情を利用するようで少しだけ良心が痛んだが、俺たち家族の未来――ひいては命を守るためには、一刻も早くこの世界が「どういう法則で動いているのか」を確かめなければならないのだ。
ドアを開けて外に出ると、そこには前世の記憶にある「中世ヨーロッパ風」の街並みが広がっていた。
俺たちが住んでいるのは、王都の端に位置する平民区だ。石畳の道はところどころひび割れており、両脇には木組みと漆喰で作られた二階建ての家が身を寄せ合うように立ち並んでいる。
どこからか焼き立てのライ麦パンの香ばしい匂いが漂い、遠くからは馬車の車輪が石畳を叩くリズミカルな音と、商人たちの活気ある声が聞こえてくる。
「……すげえな、本当に生きている世界なんだ」
俺は思わず感嘆の息を漏らした。
ゲーム『ルミナス・ナイツ』の世界観は、俺が企画書に書き起こし、デザイナーが何百枚ものラフを描いて作り上げたものだ。だが、モニター越しに見ていたテクスチャの塊とはわけが違う。
肌を撫でる風の冷たさ、路地裏の少しカビ臭い湿った空気、すれ違う人々の服のシワや、それぞれの生活の息遣い。すべてが圧倒的なリアリティを持って俺の五感を刺激してくる。
NPCとしてしか認識していなかった街の住人たちも、今は確かな意思を持って生活しているのがわかる。だが、そんな感動の一方で、俺の目はシナリオライターとしての「粗」を的確に捉えていた。
(あ、あの酒場の看板。納期ギリギリになって、俺がフリー素材の画像を加工して適当にテクスチャを貼り付けたやつだ。木目が変なところでループしてる……うわ、現実でもそのまま反映されてるのかよ)
(そこの角の八百屋の親父、ゲーム内だとヒロインに『今日はキャベツが安いよ!』って話しかけてくるモブじゃん。俺が深夜三時に眠気眼で書いた汎用テキストなんだけど……現実でも本当にキャベツ売ってんな)
プレイヤーは気にも留めないような背景の細部。そこには、かつての開発チームの血と汗と涙(と徹夜の疲労)が詰まっている。
もし、こんな細かい手抜きの部分まで現実化しているのだとすれば、俺がこれから探しに行く「あのボツ設定」も、そのまま残っている可能性が極めて高い。
* * *
マリアの声が届く範囲をそっと抜け出した俺は、三歳児の短い足を必死に動かし、平民区の西端を目指して歩いていた。
大人なら十分もかからない距離だが、幼児の身体では大冒険だ。少し歩いただけで息が上がり、心臓がトクトクと早鐘を打つ。
(くそっ、ステータスが低いってレベルじゃないぞ、これ。体力がスライム以下だ……)
内心で悪態をつきながらも、俺は記憶の中のマップデータと目の前の景色を照らし合わせて進んでいく。
やがて、高いレンガの壁に囲まれた薄暗い一角が見えてきた。
周囲には鼻をつくようなカビと腐葉土の匂いが漂い、壊れた荷馬車や割れた樽、崩れた建築資材などが山のように積まれている。王都の住人たちが見向きもしない、文字通りのゴミ捨て場――廃材置き場だ。
「……着いた。俺の記憶が正しければ、この奥のはずだ」
崩れそうな木箱の隙間を抜け、廃材の山を乗り越えて奥へと進む。
前世の俺たち開発陣は、ゲーム制作の終盤、深刻な問題に直面していた。
『――おい、この序盤の教会に行くイベント、テンポ悪いから丸ごとカットで!』
『えっ!? でも、あそこで女神像から祝福を受けないと、ヒロインの初期魔力が低すぎて最初の戦闘がクリアできなくなりますよ?』
『じゃあ、ヒロインの初期ステータスを最初から上げといてよ。あ、イベント用の女神像のオブジェクトは、マップ班が今さら削除するとバグるかもって言ってるから、適当にグラフィックを劣化させて街のゴミ捨て場にでも隠しといて! 調べられないように判定だけ消せばいいから!』
ディレクターの無茶苦茶な指示のせいで、俺が一生懸命書いた「女神との神秘的な対話テキスト」はすべてゴミ箱行きとなった。
だが、問題はそこからだ。
テキストやイベントの進行フラグは削除されたが、女神像のオブジェクトに紐付けられていた『触れると魔力の上限値がアップする』というステータス上昇の内部処理だけは、消し忘れられてそのまま製品版に残ってしまったのだ。
しかも、デバッグ(テストプレイ)の際に何度も効果を検証するため、この女神像は「一度きり」ではなく「毎日午前零時にフラグがリセットされ、何度でも効果を発揮する」という開発者用のテスト仕様に変更されたまま放置されていた。
当然、ゲーム本編ではガラクタのグラフィックに差し替えられ、決定ボタンを押しても「調べる」ことができないため、プレイヤーがこのバグの恩恵を受けることは絶対にない。
だが、ここは現実世界だ。
コントローラーの「決定ボタン」の判定など関係ない。直接そこへ行き、物理的に手で触れさえすれば、システムは『オブジェクトへの接触』と認識し、ステータス上昇の処理を実行するはずなのだ。
「……あった」
薄暗い行き止まりの壁際。そこに、それはひっそりと転がっていた。
一見すると、ただの薄汚れた石の塊だ。苔生し、あちこちが欠け、元の形すらわからない。だが、シナリオライターである俺には、それがかつて美しい翼を持った「女神像」であったことがすぐにわかった。ディレクターの指示で無惨にテクスチャを汚され、ただのガラクタに偽装された、あの没オブジェクトだ。
「まさか、自分が書いたボツ設定に救われる日が来るなんてな」
俺は自嘲気味に笑いながら、その薄汚れた石の塊の前にひざまずいた。
周囲に誰もいないことを確認し、ゆっくりと右手を伸ばす。
もし、触れても何も起きなかったら。それはこの世界がゲームの法則で動いていないことを意味し、俺はただの無力な三歳児として十二年後の死を待つことになる。
「頼む……生きていてくれ……!」
祈るような気持ちで、手のひらを前へと押し出す。
苔の生えた冷たい石の表面に、小さな手のひらが触れた。
――その瞬間だった。
『対象の接触を確認。これより、女神の祝福(魔力器官の拡張プロセス)を実行します』
頭の中に、無機質だがどこか神聖な響きを持った声が響き渡った。
次の瞬間、俺の身体の中心――みぞおちの奥底にある「魔力の器」に向かって、石の塊から膨大な熱量が流れ込んできたのだ。
「ぐっ、あ……ッ!?」
思わず声が漏れそうになり、反対の手で口を強く押さえる。
痛い。熱い。内臓を直接バーナーで炙られているような、あるいは小さな風船の中に無理やり消防ホースで水を流し込まれているような、破裂寸前の感覚。
ゲームでは「ポロロン♪」という軽快な効果音とともに画面上の数字が上がるだけだったが、現実の肉体で強制的に魔力器官を押し広げられると、とんでもない負荷がかかるらしい。
激しい拡張の感覚は数十秒ほど続いたが、やがてスッと嘘のように潮が引いていった。
「はあ、はあ、はあ……っ」
滝のような冷や汗を流しながら、俺はその場に仰向けに倒れ込んだ。
荒い息を整えながら、自分の身体の内側に意識を向ける。
「……すげえ。本当に、器がデカくなってる」
思わず、震える声が漏れた。
先ほどまで「お猪口」程度しか無かった俺の魔力の器が、確かな広がりを持っていた。水たまりが、小さな池になったような感覚だ。その池の底には、今まで感じたこともないような濃密で温かいエネルギー――魔力が、とうとうと湧き出しているのがわかる。
「成功だ……。没オブジェクトの内部処理は、完璧に生きてる!」
俺は薄暗い空を見上げながら、ニヤリと笑った。
この瞬間、俺の中で一つの確信が絶対的なものとなった。この世界は、ただゲームに似ているだけの異世界ではない。俺たち開発陣が組んだプログラムや放置した『バグ』に至るまで、そのすべてが現実の物理法則として完全に適用されている、『ルミナス・ナイツ』そのものの世界なのだ。
一回の接触で増える魔力量は、ヒロインの初期値を少し上回る程度だ。これだけでも平民の子供としては異常な数値だが、SSRの才能を持つ王太子たちと渡り合うには、まだ圧倒的に足りない。
だが、この女神像の最大のバグは「一日一回、毎日リセットされて何度でも使える」という点だ。
今日から十二年間。毎日欠かさず、この廃材置き場に通い続けたらどうなるか?
一年間で三百六十五回。十二年で――約四千回以上。
開発陣が想定した上限値すらぶち破り、システムがオーバーフローを起こすほどの、桁外れの魔力タンクが完成するはずだ。
「ヒロインだの、王太子だの、生まれつきの天才だの……知ったことか」
俺は震える右手を持ち上げ、力強く拳を握りしめた。
彼らが生まれつき持っている才能が「巨大な湖」だというのなら。俺は毎日バグを利用して器を拡張し続け、すべてを呑み込む「海」を作ってやる。
十二年後、俺たち家族を理不尽な死に追いやる奴らがどんな権力を振りかざそうとも、俺は圧倒的なモブの暴力でそれをへし折る。
そして、いずれ出会うことになる悲劇の悪役令嬢セリアの運命も、俺がこの手で救い出してみせる。
「ふふっ……待ってろよ、理不尽な世界。生みの親が直々に、バグまみれのクソゲーを修正してやる」
三歳の小さな身体に、神をも殺す可能性を秘めた魔力の種を宿し。
転生したシナリオライター・ルークの、孤独で壮大な「隠れてのステータス底上げ」の日々が、幕を開けたのだった。




