第14話:王都のお茶会と、傲慢なる王太子への『洗礼』
グレイソン執務長とゴードン商会による横領・暗殺未遂事件から、数日が経過した。
屋敷から腐敗の元凶が消え去ったことで、ローズグレイ伯爵邸の空気は信じられないほど清浄になり、使用人たちの表情も明るくなった。
俺たち一家の十二年後の処刑エンド(家族全滅ルート)は、これにて完全に消滅。
俺はシナリオライターとしての「神の視点」と、バグ技で得た「規格外の魔力」という二つのチートを使いこなし、見事に最悪のバッドエンドをへし折ったのだ。
そして今日、俺とセリアは王都の中心部にある豪奢な侯爵邸を訪れていた。
王立貴族学園に入学する前の、八歳から十歳前後の貴族の子供たちが集まる「プレ社交界」――通称『お茶会』に参加するためだ。
「るぅく……わたし、ちゃんとご挨拶できるかしら。ドレス、おかしくない?」
「全然おかしくないよ。今日のセリアは、世界で一番可愛いお姫様だ」
侯爵邸の控室。緊張で落ち着かない様子のセリアに、俺は笑顔で答えた。
今日のセリアは、淡い水色を基調とした上質なシルクのドレスを身に纏い、銀色の髪を美しく結い上げている。瘴気が抜け落ち、純粋に育った彼女の美貌は、八歳にしてすでに完成された芸術品のようだった。
俺の方はといえば、伯爵が特注で仕立ててくれた質の良い漆黒の従者服を着ている。平民の子供とは思えないほどビシッとしているが、あくまで主役はセリアだ。
「ふふっ、るぅくがそう言ってくれるなら、自信が湧いてきたわ!」
「うん。いつも通り、笑顔でお話しすれば大丈夫。俺もすぐ後ろにいるからね」
会場となる庭園へと足を踏み入れると、すでに数十人の着飾った貴族の子供たちが、いくつかのグループに分かれて歓談していた。
ゲーム本編におけるこのお茶会は、セリアが他の令嬢のドレスにお茶をぶちまけ、「こんな安物のドレスを着てくるあなたが悪いのよ!」と暴言を吐く最悪のヘイト稼ぎイベントの舞台だ。
(だが、今のセリアがそんな真似をするはずがない。むしろ、ここでセリアの評判を『完璧で心優しい天使』として盤石なものにしてやる)
「ごきげんよう、皆様。セリア・フォン・ローズグレイと申しますわ。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
セリアが優雅なカーテシー(淑女の礼)を披露すると、周囲の子供たちから感嘆の吐息が漏れた。
美しい容姿と、洗練された所作。そして何より、彼女の纏う清らかな「風の魔力」の波動が、周囲の空気をふんわりと心地よくさせているのだ。
「まぁ、ローズグレイ伯爵家のお嬢様。とても可愛らしいドレスですわね」
「ありがとうございます。皆様のドレスも、お花畑のように素敵ですわ」
あっという間に、セリアの周りには同年代の令嬢たちが集まり、和やかな輪が出来上がった。
俺は一歩下がった位置から、その様子を満足げに見守る。
「そうだわ。皆様に、私からささやかな贈り物がございますの。……ルーク」
「はい、お嬢様」
セリアの合図を受け、俺は控室に預けていた大きな銀の保冷箱を魔法で密かに浮かせながら運んできた。
蓋を開けると、そこには色とりどりの果物が宝石のように飾られた、父トマス特製の『フルーツタルト』が並んでいる。俺が前世の記憶を頼りにレシピを教え、トマスが完璧に再現した一品だ。
「わぁ……! これ、お菓子ですの? まるで宝石箱みたい!」
「私の家の料理人と、私の大切な従者が作ってくれたフルーツタルトですわ。とても甘くて美味しいので、皆様もぜひ召し上がってみてください」
メイドたちがタルトを切り分け、令嬢たちに配る。
一口食べた瞬間、令嬢たちの瞳がパァッと見開かれた。
「おいしい……! こんなに滑らかで甘いお菓子、初めて食べましたわ!」
「果物の酸味と、下の甘い生地が絶妙ですのね!」
「うふふ、喜んでいただけて嬉しいですわ」
(よしよし、掴みはバッチリだ)
フルーツタルトの絶大な威力と、セリア自身の愛らしい笑顔により、彼女は瞬く間に「我儘な悪役令嬢」どころか、「優しくて素敵なお菓子を知っているカリスマ令嬢」としての立ち位置を確立しつつあった。
これなら、学園に入学しても孤立することはない。俺の計画は完璧に進行している。
そう確信し、俺が胸を撫で下ろした――その時だった。
「……随分と騒がしいな。ただの甘味に、そこまではしたなく声を上げるものか?」
庭園の入り口から、冷ややかで高圧的な少年の声が響き渡った。
その声を聞いた瞬間、周囲の貴族の子供たちが一斉に青ざめ、道を開けるようにサッと左右に割れた。
現れたのは、豪奢な金糸の刺繍が施された純白の軍服風の衣装を身に纏った、一人の少年だ。
燃えるような真紅の髪と、自信に満ち溢れた黄金の瞳。八歳という年齢には不釣り合いなほどの、強烈で圧倒的な『火』の魔力を全身から立ち昇らせている。
(……来たか。第一攻略対象、王太子レオン)
俺の目は、スッと細められた。
レオン・ヴィクトリアス。この王国の第一王子にして、次期国王と目される天才。
ゲーム本編では、光のヒロインであるアリスに心酔し、彼女の言うことを鵜呑みにしてセリアを徹底的に貶める役割を担うキャラクターだ。
「殿下、ご機嫌麗しゅう存じます」
「王太子殿下、本日はお越しいただき光栄の極みにございます」
子供たちはおろか、周囲に控えていた大人たち(護衛やメイド)までもが、深く頭を下げる。
だが、レオンはそんな挨拶を気にも留めず、傲慢な足取りで真っ直ぐにセリアのグループへと歩み寄ってきた。
「ふん。ローズグレイ伯爵家の令嬢か。……瘴気の吹き溜まりの領地で育ったと聞いていたが、案外普通なのだな」
レオンの言葉には、明らかな侮蔑の色が混じっていた。
貴族社会において、ローズグレイ家が「瘴気の防波堤」であることは公然の秘密に近い。だが、それを面と向かって揶揄するのは、最大の侮辱に等しい。
セリアの肩がビクッと跳ね、薔薇色の瞳がわずかに揺れた。
「……王太子殿下。私の領地は、お父様や領民たちが力を合わせて守っている美しい土地です。瘴気の吹き溜まりなどと、そのような言い方は……」
「口答えをするな。事実を言ったまでだ」
レオンが鼻で笑うと、彼の周囲の空気がチリッと焼け焦げるような熱を持った。
無意識に漏れ出している火の魔力が、威圧感となって周囲の令嬢たちを震え上がらせている。
(こいつ……相変わらずのテンプレ通りの傲慢キャラだな)
俺は内心でため息をついた。
レオンの設定は、「王族としての強大な火魔法の才能ゆえに、幼い頃から周囲にちやほやされ、自尊心が肥大化しきった天才肌」。
他者を見下し、自分の力こそが絶対だと信じて疑わない。だからこそ、ゲーム本編でヒロインの「光魔法(魅了)」にあっさりと絆され、狂信的な信者と化してしまうのだ。
「それに、お前……その背後に控えているガキはなんだ? 身なりは整えているが、魔力の質が下賤すぎる。平民だな?」
レオンの黄金の瞳が、俺を射抜いた。
俺は一歩も引かず、恭しく一礼する。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。私はルーク。セリアお嬢様の特別従者を務めさせていただいております」
「特別従者だと? ふざけるな。王族や高位貴族が集まる神聖なお茶会に、泥まみれの平民を同席させるなど、ローズグレイ家は常識というものを知らんのか」
レオンの言葉は刃のように鋭く、周囲の貴族たちも「確かに……」とヒソヒソと囁き始めた。
身分制度が絶対のこの世界において、レオンの指摘は正論でもある。
だが、セリアは違った。
怯えていたはずの彼女が、グッと顔を上げ、俺を庇うように一歩前に出たのだ。
「……殿下。ルークは泥まみれなどではありません。私の、一番大切で、一番優秀な従者です。彼を侮辱することは、私自身を侮辱するのと同じことですわ」
凜とした声が、静まり返った庭園に響く。
五歳の頃、自分の魔法を恐れて泣いていた少女はもういない。彼女は今、伯爵令嬢としての誇りと、俺への信頼を胸に、王太子という絶対的権力者に真っ向から立ち向かっている。
(セリア……お前、最高にかっこいいよ)
俺は心の底から感動し、同時に、この愛すべき天使を理不尽に傷つけようとする王太子への「静かなる怒り」のゲージが振り切れるのを感じた。
「ほう……? 平民のガキ一人のために、この私に逆らうというのか」
レオンの目が、危険な色を帯びた。
彼の右手に、ボワッと赤い炎が立ち上る。
もちろん、公の場で魔法を使って攻撃するつもりはないだろう。だが、「少し脅して平伏させてやる」という程度の、悪質な威嚇であることは明らかだった。
「身の程を知れ、ローズグレイ。平民は平民らしく、地面に這いつくばっているのがお似合いだ。その小僧もろとも、私の『火』の前にひれ伏すがいい……っ!」
レオンの右手の炎が、一気に膨れ上がる。
周囲の熱量が急激に上がり、令嬢たちが「きゃあっ!」と悲鳴を上げて後ずさる。炎は威嚇の域を超え、レオンの感情の高ぶりに呼応して暴走しかけていた。
(……やれやれ。天才だか何だか知らないが、魔力のコントロールが全くできてないじゃないか)
俺は、セリアの肩にそっと手を置き、「大丈夫だよ」と微笑みかけた。
そして、ゆっくりとセリアの前に進み出る。
「おい、平民。恐怖で足がすくんだか? 命が惜しければ、今すぐ土下座して……」
「殿下」
俺は、燃え盛る炎を前にしても、微塵も表情を変えなかった。
ただ、俺の内側に広がる「底知れない魔力の海」から、ほんの一滴の『水』と『風』を練り上げる。
「少し、暑すぎますよ。……お茶会の雰囲気が、台無しになってしまいます」
俺がスッと右手をかざした瞬間。
レオンの手の中で猛り狂っていた炎が、まるで蝋燭の火を息で吹き消すように、プツンッ! と音を立てて完全に消滅した。
「……は?」
レオンが、間抜けな声を漏らした。
彼は信じられないというように、自分の右手と俺を交互に見る。
周囲の大人たちも、何が起きたのか理解できず、庭園は水を打ったような静寂に包まれた。
(魔力同士の相殺と、酸素の強制遮断。……五歳のセリアにやった『魔法補正サポート』の応用だ。今回は『完全な無力化』だけどな)
「な、なんだと……? 私の火が……消えた? いや、そんなはずはない! 平民のガキごときが、私の魔法に干渉できるわけがない!」
激昂したレオンは、今度は両手に魔力を集めようとした。
だが、俺はそれを許さない。
俺は一歩踏み出し、レオンの耳元に顔を近づけた。そして、俺の全属性を秘めた圧倒的な魔力の『プレッシャー』を、彼一人にだけ、ほんの一瞬だけぶつけながら囁いた。
「王太子殿下。火遊びはほどほどになさった方がよろしいですよ。……もし火が消えて『真っ暗』になってしまったら、殿下は夜も眠れなくなってしまうのではありませんか?」
「……っ!!?」
その言葉を聞いた瞬間、レオンの顔からサァッと血の気が引き、瞳孔が極限まで収縮した。
彼の両手に集まりかけていた魔力が、恐怖によって霧散していく。
(図星だな)
俺の口角が、ほんのわずかに吊り上がる。
レオン・ヴィクトリアス、八歳。
彼の傲慢な態度の裏に隠された、ゲーム開発者しか知らない最大の弱点(裏設定)。
それは、幼い頃に暗殺者に暗い地下室に閉じ込められたことが原因の、極度の『暗所恐怖症』だ。
彼は夜寝る時でさえ、部屋中のロウソクを灯したままにしておかなければパニックを起こしてしまう。その恥ずかしい秘密は、王族の中でもごく一部の人間しか知らない絶対の機密事項である。
「な、なぜ……お前が、それを……っ」
レオンはガチガチと歯の根を鳴らし、後ずさりをした。
目の前の平民の少年が、底知れない化け物に見えたのだろう。俺が放った一瞬の魔力の圧と、絶対に知られるはずのない弱点を突かれたことによる精神的ダメージ。
傲慢な天才王太子に『こいつには絶対に敵わない』というトラウマを植え付けるには、十分すぎる洗礼だった。
「それでは、殿下。私共はこれで失礼いたします。……セリアお嬢様、あちらで新しい紅茶をいただきましょうか」
「ええ、ルーク。……皆様、また後ほどお話ししましょうね」
セリアが優雅にカーテシーを行い、俺たちは顔面蒼白で立ち尽くすレオンを置き去りにして、その場を後にした。




