第13話:処刑フラグの粉砕と、生みの親による初めての『断罪』
翌朝のローズグレイ伯爵邸。
いつもなら穏やかな朝日が差し込む執務室には、氷のように冷たく張り詰めた空気が漂っていた。
「……グレイソン執務長。今、なんと報告した? もう一度言ってみろ」
重厚なマホガニーの机の向こうで、アルバート・フォン・ローズグレイ伯爵が地を這うような低い声で尋ねる。
その目の前には、屋敷の財政を任されている筆頭家臣のグレイソンが、薄ら笑いを浮かべながら一冊の帳簿を差し出していた。
「ですから伯爵様。我が家の料理人であるトマスが、日々の食材の買い出し予算を偽り、裏のゴードン商会と結託して長年にわたり横領を働いていたのです。その額、金貨数百枚にも上ります」
「なっ……!? グ、グレイソン様! 一体何を仰るのですか! 私は誓って、そのような不正など……っ!」
執務室の絨毯の上に平伏させられている父トマスが、顔を真っ青にして必死に無実を訴える。
だが、グレイソンは鼻で笑い、冷酷な視線でトマスを見下ろした。
「言い逃れは見苦しいぞ、トマス。ここに、お前がゴードン商会から裏金を受け取っていたことを示す偽造帳簿がある。さらには、厨房の見習いコックが、お前が不審な荷物を受け取っているのを見たという証言も取れているのだ」
「そ、そんな馬鹿な……っ! 旦那様、信じてください! 私は本当に何も知りません!」
額を床に擦りつけて懇願する父の姿を見て、俺――ルークは、執務室の壁際で静かに怒りの炎を燃やしていた。
本来のゲームシナリオ通りだ。
伯爵を過労で倒れさせた後にゆっくりと行うはずだった横領計画が、俺の介入によって狂った。焦ったグレイソンは、無理やり「トマスの横領」をでっち上げ、彼をスケープゴートにして自分たちの罪を隠蔽しようと早急に動き出したのだ。
「トマスが、我が家の金を……? 馬鹿な。彼は長年忠実に働き、セリアのことも心から案じてくれていた男だ。そんな真似をするはずがない」
伯爵はギリッと奥歯を噛み締め、グレイソンを睨みつけた。
だが、グレイソンは余裕の笑みを崩さない。
「人の心は分からないものです、旦那様。彼は平民。目の前に大金が積まれれば、いとも容易く裏切るのでしょう。……このままでは、ローズグレイ家の名誉に関わります。直ちにトマスを地下牢へ投獄し、厳しい拷問にかけてでも全てを吐かせるべきかと」
拷問。そして、その過程での『口封じのための不審死』。
それが、十二年後に俺たち家族を襲うはずだった処刑エンドの引き金だ。
(……ああ、やっぱり。俺が書いた設定通りの、絵に描いたような三流の悪党だな)
俺は壁際からゆっくりと歩み出た。
五歳の子供が、この重苦しい空気の中で前に出るなど、本来なら許されない行為だ。だが、今の俺は伯爵から認められた「セリアの特別従者」。誰も俺の行動を止めることはできない。
「グレイソン様。一つお聞きしてもいいですか?」
「あ? なんだ、ルーク。子供は口を挟むな。お前の父親は、我が家を裏切った大罪人だぞ」
忌々しそうに見下ろしてくるグレイソンに対し、俺はあどけない五歳児の笑顔を浮かべて小首を傾げた。
「でも、その帳簿、おかしいですよ?」
「……何?」
「だって、数字の辻褄が全然合ってないもん。ゴードン商会からの納品数と、屋敷の消費量の差額で金貨数百枚を誤魔化そうと思ったら、厨房の倉庫が三つくらい満杯になっちゃいます。そんなに食材を隠し持っていたら、誰でもすぐに気づくはずですよね?」
俺が現代知識の「複式簿記」の観点からあっさりと偽造帳簿の矛盾を指摘すると、グレイソンの顔がピクッと引き攣った。
伯爵も「……確かに、ルークの言う通りだ」と帳簿を睨み直す。
「ち、知った風な口を利くな! 子供のお前には分からない巧妙な手口を使っていたのだ! それに、証言者もいる!」
「ああ、その見習いコックなら、昨日の朝に俺が捕まえましたよ」
「は……?」
俺はポケットから、小さな透明の小瓶を取り出し、伯爵の机の上にコトンと置いた。
「昨日の朝、その見習いコックがお父さんの目を盗んで、伯爵様の朝食のスープにこれを入れようとしていたんです。……匂いを嗅げばわかりますが、これ、暗殺用の遅効性の毒薬『青蛇の涙』ですよね」
その言葉に、執務室の空気が完全に凍りついた。
伯爵の顔色がサッと変わり、トマスは信じられないものを見るように目を見開く。
「な、何を馬鹿な……! そんな子供の作り話……!」
「作り話じゃありませんよ。その見習いコックは、今、屋敷の地下牢で騎士団長さんたちに尋問されてます。グレイソン様に命令されて、トマスに濡れ衣を着せ、伯爵様を毒殺しようとしたって、全部泣きながら自白してましたよ」
俺が昨日の日中、隠密魔法を使って気絶させた見習いコックをこっそり騎士団に引き渡しておいた結果だ。
グレイソンの顔から、サァッと血の気が引いていく。
「き、貴様……っ! でっち上げだ! 平民のガキが、私を陥れようとして……!」
「でっち上げなのは、そっちの偽造帳簿でしょ」
俺は自分の服の中に隠していた、分厚い革張りの本をドンッと机の上に置いた。
昨夜、ゴードン商会の隠し金庫から回収した、本物の裏帳簿だ。
「本物の裏帳簿は、こっちですよね? グレイソン様」
「なっ……!?」
その帳簿を見た瞬間、グレイソンの目が零れ落ちんばかりに見開かれた。
それもそのはずだ。それは彼とゴードンしか在り処を知らない、絶対に表に出るはずのない決定的な証拠なのだから。
「伯爵様。それが、グレイソン様とゴードン商会が長年にわたって領地の税をちょろまかしていた本物の裏帳簿です。グレイソン様の直筆のサインと、商会の印がバッチリ押してあります。ついでに、トマスに罪を被せて伯爵様を毒殺する計画書も挟んでおきました」
伯爵が震える手で裏帳簿を開く。
そこに記された莫大な横領の記録と、自分の命を狙う明確な計画書を見た伯爵の顔には、静かな、しかし火山が噴火する直前のような圧倒的な怒りが湧き上がっていた。
「グレイソン……貴様ァッ!!」
「ひぃっ!?」
伯爵の怒号が部屋を揺らす。
完全に言い逃れができなくなったグレイソンは、パニックに陥り、後ずさりをした。
「ち、違う! これは何かの陰謀だ! ゴードンめ、裏切ったな……っ! そうだ、ゴードンを呼べ! あいつを問い詰めれば……!」
「あ、ゴードン商会長なら、昨日の夜に俺が捕まえてきましたよ」
「……はい?」
俺の言葉に、グレイソンだけでなく、伯爵とトマスも完全に思考が停止したように固まった。
俺は事も無げに、窓の外の中庭を指差した。
「今朝、屋敷の正門の前に、ゴードン商会長と、うちのお父さんを殺そうとした暗殺者三人を簀巻きにして転がしておきました。たぶん今頃、騎士団の人たちが回収してるんじゃないかな」
「は、ははは……」
グレイソンの口から、壊れたような乾いた笑いが漏れた。
五歳の子供が、王都の裏社会を牛耳る商会長とプロの暗殺者を捕まえて簀巻きにしたなど、常識で考えれば到底信じられない。だが、目の前に叩きつけられた絶対的な証拠(裏帳簿)と小瓶が、それが事実であることを冷酷に突きつけているのだ。
「ふ、ふざけるなァァァッ!!」
追い詰められたグレイソンは、完全に正気を失った。
彼は懐から鋭い短剣を抜き放ち、血走った目で俺に突進してきた。
「全部お前のせいだ、この小賢しい平民のガキが! 死ねぇっ!!」
「ルークッ!!」
トマスと伯爵が悲鳴を上げ、手を伸ばす。
だが、彼らが動くよりも早く。
俺はポケットに手を入れたまま、ほんのわずかに右足のつま先で床を叩いた。
――ドゴォォォォンッ!!
「ぐっ、がぁぁぁぁっ!?」
見えない巨大な『風の鉄槌』が上空からグレイソンを叩き潰し、彼は大理石の床に這いつくばるようにして押し潰された。
短剣がカランと手からこぼれ落ちる。
「な……が、あ……っ……体が、動か、ない……っ!」
グレイソンは目玉をひん剥き、見えない圧力にギリギリと骨を軋ませながら呻き声を上げた。
俺は冷たい見下ろす視線を向けながら、ゆっくりと彼に近づいた。
「……言ったよな。数字の辻褄が合ってないって」
俺の放つ圧倒的で濃密な魔力のプレッシャーに当てられ、グレイソンはついに恐怖で失禁し、白目を剥いて完全に気絶した。
静寂が戻った執務室。
そこには、気絶したグレイソンと、呆然と固まる伯爵と父トマスの姿があった。
「る、ルーク……お前、今の魔法は……一体……?」
トマスが震える声で尋ねてくる。
俺はスッと魔力の圧を消し去り、いつもの五歳児の無邪気な笑顔に戻ってパタパタと両手を振った。
「えへへ、セリアお嬢様と一緒に魔法の練習をしてたら、なんだかすごい力が出ちゃったみたい! 火事場の馬鹿力ってやつかな?」
「火事場の馬鹿力で、大の大人を風圧で叩き潰せるわけがないだろうが……」
と伯爵がツッコミを入れたそうに顔を引き攣らせていたが、彼はすぐに表情を引き締め、深々とため息をついた。
「……ルーク。またしても、私は君に救われたようだな。君がいなければ、トマスは謂れのない罪で処刑され、私は毒殺され、セリアは天涯孤独になっていただろう」
伯爵は気絶したグレイソンを一瞥し、執務室の外に控えていた騎士たちを呼んで彼を連行させた。
「トマス。私の目が節穴だったせいで、お前に恐ろしい思いをさせてしまった。本当にすまなかった」
「だ、旦那様! 滅相もございません! 私は無事でしたし、何より旦那様がご無事で本当によかった……!」
トマスは涙ぐみながら伯爵に頭を下げる。
俺はその光景を見ながら、心の中で特大のガッツポーズを決めていた。
(……よっしゃぁぁぁぁぁっ!!)
ゲーム本編で設定されていた、俺の父と母が謂れのない罪で処刑され、俺自身も殺されるという『十二年後の処刑エンド(家族全滅ルート)』。
その最大の元凶であった悪徳家臣と裏商会を、俺の知識と魔法で完全に粉砕したのだ。
これで、俺たち家族の安全は100%保障された。
「ルーク」
伯爵が、俺の前にしゃがみ込み、その両肩をガシッと掴んだ。
「君は、我がローズグレイ家にとって、もはや単なる恩人ではない。君は我が家の守護神だ。……君さえよければ、将来、セリアの夫として迎え入れたいくらいだ」
「えっ!? いやいやいや、伯爵様、冗談が過ぎますよ!」
「ふははっ、冗談ではないぞ。セリアも絶対に喜ぶだろうからな」
本気とも冗談ともつかない伯爵の言葉に、俺は冷や汗を流しながら苦笑した。
平民の俺が貴族の当主になるなど、目立ちすぎて面倒なことこの上ない。俺はあくまで「モブ」として、裏からこの世界を平穏にコントロールしたいだけなのだから。
何はともあれ、これで足元の不安は完全に消え去った。
残る懸念は、ゲーム本編のメインキャラクターたち――特に、理不尽なシナリオ強制力を持つ『ヒロイン』と『王太子』の動向だ。
「そうだ、ルーク。来週に迫った王都での『お茶会』の件だが」
伯爵が立ち上がり、思い出したように口を開いた。
「主催の侯爵家から返事が来てな。君の特例での同席が許可された。セリアの特別従者として、堂々と参加してきなさい」
「はいっ! ありがとうございます!」
俺は元気よく返事をした。
王都の貴族の子供たちが集まるプレ社交界。
そこには、のちにセリアを断罪することになる第一攻略対象――傲慢なる『王太子レオン』も出席するはずだ。
(待ってろよ、王太子。セリアの評判を落とそうとしたり、生意気な態度を取ったりしたら……お前のトラウマ級の弱点を突いて、たっぷり『洗礼』を浴びせてやるからな)
処刑フラグを完全にへし折った生みの親の次なる標的は、シナリオの強制力を振りかざすメインキャラたちだ。
絶対的な平穏と、愛する天使の未来を守るため。
モブキャラ・ルークの痛快な暗躍劇は、いよいよ貴族社会の表舞台へと進出していくのだった。




