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第11話:根本解決の『概念結界』と、天使の誕生

俺がセリアの『特別従者見習い』として正式に屋敷に迎え入れられてから、数ヶ月の月日が流れた。


俺の毎日は、控えめに言っても超絶充実していた。

 午前中はセリアと一緒に屋敷の家庭教師から勉強を教わり、午後は庭園で遊びや魔法の訓練。そして夕方にはこっそりと抜け出して廃材置き場の『没オブジェクト(女神像)』で魔力の底上げを行う。


セリアの精神状態は、あの暴走事件が嘘だったかのように安定していた。

 ただ一つ、彼女には大きな「壁」が残っていた。


「……っ」


よく晴れた青空の下、庭園での魔法の授業中。

 初老の魔法教師に促され、指先に風の魔力を集めようとしたセリアの小さな肩が、ビクッと大きく跳ねた。


「お嬢様、大丈夫ですよ。ゆっくり、深呼吸をして……目の前の落ち葉を、ふわりと浮かせる程度のイメージです」


教師が優しく声をかけるが、セリアの両手は小刻みに震えている。

 彼女の脳裏に焼き付いているのは、瘴気によって暴走し、メイドたちを傷つけてしまった時のトラウマだ。「また自分の魔法で誰かを怪我させてしまうかもしれない」という恐怖心が、彼女の手をすくませていた。


――ビュウゥゥゥッ!!


「ひゃあっ!?」


恐怖心からの力みと、五歳児の規格外の魔力容量が悪い方向に噛み合い、指先から放たれた風は鋭い突風となって庭園の木々を激しく揺らした。

 教師の被っていた帽子が遠くへ吹き飛び、セリアは顔を真っ青にしてしゃがみ込んでしまう。


「あ……っ、ご、ごめんなさい……! わたし、また……!」

「お嬢様、お気になさらず。魔力が強大すぎるゆえに、制御のコツを掴むまでは少し時間がかかるだけです」


教師は困ったように眉を下げた。このままでは、セリアは魔法を使うこと自体を拒絶してしまうかもしれない。

 今のセリアの風には、以前のようなドロドロとした瘴気の重さは全くない。ただ、巨大な魔力を細いホースに通す「蛇口の捻り方」を知らないだけなのだ。


(なら、俺が『補助輪』をつけてやればいい)


俺は「少し休憩にしましょう」と教師に提案して下がらせると、膝を抱えて涙ぐむセリアの前にしゃがみ込んだ。


「ねえ、セリア。俺と二人だけで、秘密の『魔法遊び』をしない?」

「まほうあそび……?」


不思議そうに見上げるセリアに、俺は自分の両手をパーにして差し出した。

 俺の手に自分の小さな手を合わせたセリアに、「目をつむって」と優しく語りかける。


「俺がね、風の精霊さんにお願いして、セリアの風が優しくなるようにお手伝いしてもらうから。怖がらないで、ほんの少しだけ魔力を出してみて。絶対に、俺が守るから」


セリアがこくりと頷き、魔力を放出しようとした瞬間。

 俺は自身の『風』と『水』の複合魔法を無詠唱で発動させ、セリアの放つ風を外側から薄い膜のようにすっぽりと包み込んだ。

 暴れようとする彼女の風の圧力を、俺の圧倒的なコントロール技術でミリ単位で相殺し、清らかで柔らかい「そよ風」の波長へと強制的に変換していく。俺の隠密魔法による『全自動・魔法補正サポート』だ。


「セリア、目を開けてみて」


恐る恐る目を開いたセリアは、「あっ」と声を漏らした。

 俺とセリアの合わせた手のひらの間から、淡い翡翠色の光を帯びた、温かくて優しい風がフワリと吹き抜けたのだ。

 その風は刃のように何かを切り裂くことはなく、ただ芝生の上に落ちていた数枚の薔薇の花びらを、まるで妖精が踊るようにクルクルと空高く舞い上がらせた。


「わぁ……きれい……!」

「これが、セリアの本当の風だよ。誰も怪我なんかしない。みんなを笑顔にする風だ」


俺が微笑むと、セリアは嬉しそうに何度も頷いた。

 その後、俺のサポートの割合を少しずつ減らしていくことで、セリアは本来の天才的なセンスを発揮し、たった一時間で自力で綺麗な風を吹かせることに成功した。


「るぅく、見て! わたし、できたわ! こわくない風、できたの!」


花びらが舞う中で、満面の笑みで飛びついてきたセリアを抱き止めながら、俺は彼女の才能を絶対に潰させないと改めて誓ったのだった。


* * *


セリアの笑顔を取り戻すことはできた。

 だが、根本的な問題はまだ何一つ解決していない。


その日の深夜。俺はあてがわれた自室のベッドの上で、胡座をかいて腕を組んでいた。

 セリアが心身ともに健康を取り戻したのは、俺が数日おきに、彼女の体内に溜まりかけた『瘴気』を『完全浄化クレンジング』しているからに過ぎない。


五歳にして規格外の風魔法の才能を持つセリアの身体は、言わば「強力すぎる換気扇」だ。

 領地に蔓延る瘴気を無意識に吸い寄せ続けてしまう彼女の体質が変わらない限り、俺が浄化をやめれば数ヶ月後には再び瘴気が許容量を超え、あの痛ましく恐ろしい暴走状態へと戻ってしまうだろう。

 それに、セリアの身体を『浄化装置』代わりにし続けること自体が間違っている。


「必要なのは、事後処理じゃない。セリアの身体に瘴気が入ってくること自体を完全にシャットアウトする、『根本的なパッチ(修正プログラム)』の適用だ」


俺は思考を深海へと沈め、自分の内にある膨大な「魔力の海」と向き合った。

 俺の肉体は、属性パラメータが未設定(null)のままである恩恵により、全属性を通す『空白の器』だ。そして、全属性を束ね合わせることで発動する、この世界における失われた最強の魔法体系――『古代魔法』の適性をも持っている。


古代魔法の「基礎的な概念(全属性の複合による事象の書き換え)」であれば、今の俺の力技と超精密コントロールで擬似的に再現できるはずだ。

 俺は両手のひらを胸の前で合わせ、少しずつ隙間を開けた。そこに、五つの異なる属性の魔力を呼び出す。


土の魔力で『器(フィルターの枠)』を作る。

 風の魔力で『循環(瘴気の吸引と排出の流れ)』を作る。

 水の魔力で『冷却(精神への負荷軽減)』を付与する。

 火の魔力で『燃焼(瘴気の毒素の無力化)』を付与する。

 最後に、光の魔力で『浄化(無害化された魔力への変換)』をプログラミングする。


目指すのは、セリアの魔力器官の入り口に常時展開させる『全自動・瘴気浄化フィルター』だ。彼女の体内に瘴気が入ろうとした瞬間、このフィルターが自動で毒素を弾き、浄化し、無害な魔力だけを通すシステム。


「ぐっ……くそ、五属性の並列処理は、さすがに脳みそが焼けそうだ……!」


少しでもバランスが崩れれば手の中で魔力が暴発し、部屋ごと吹き飛んでしまう絶望的な難易度。

 だが、俺の脳裏には、初めて会った日に嵐の中で泣いていたセリアの姿が焼き付いている。あんな顔は、もう二度とさせない。

 俺が書いた理不尽な裏設定(呪い)は、俺自身の神の権限デバッグで完全に書き換える!


「収束しろ……! 俺が描いた仕様書イメージ通りに動けぇっ!!」


パキィィィンッ!!


脳内でガラスが割れるような甲高い音が響き、手の中に集まっていた五色の光が、一瞬の閃光と共に一つの『無色透明な光の球』へと変わった。

 熱も、冷気も、重さも感じない。ただそこに在るだけで、周囲の空気が清浄に保たれるような、神聖で絶対的な概念の結晶。


「……完成、だ。全属性複合・擬似古代魔法……『概念結界イージス・フィルター』」


これをセリアの魂の器に直接刻み込めば、ローズグレイ家の『瘴気の防波堤』という呪われた裏設定は、完全に打ち砕かれる。


* * *


翌日の午後。俺はセリアと共に、屋敷の裏手にある小さな森の木陰でピクニックシートを広げていた。


「ねえ、セリア。俺が風の精霊さんにお願いして、セリアの風を優しくしたの、覚えてる?」

「うんっ! るぅくのおかげで、わたし、まほうこわくなくなったもの」

「今日はね、もっとすごいおまじないをしてあげる。もう二度と、セリアのお腹の中が黒くて冷たいものでいっぱいにならないようにする、特別なお守りだよ。……目を閉じて」


セリアが素直に両目をギュッと閉じたのを確認し、俺は昨夜死に物狂いで編み上げた『概念結界』を右手のひらに呼び出した。

 そして、その右手をセリアの白くて滑らかな額にそっと当てる。

 透明な光の球が波紋のように広がり、彼女の肌を透過して、身体の奥深くにある『魂の器』へと静かに溶け込んでいった。


「わぁ……なんか、あったかい……」


フィルターが定着していくにつれ、彼女の身体から無意識に漏れ出していた魔力の波動が、驚くほど澄み切った清らかなものへと変わっていくのが分かった。これでもう、どれだけ領地の瘴気が押し寄せようと、フィルターが全てを浄化し、彼女の力(無害な魔力)へと変換してくれる。


「よし、おしまい。目を開けていいよ」


ゆっくりと目を開けたセリアは、自分の両手を見つめ、それから自分の胸に手を当てた。


「るぅく……なんだか、からだがすっごく軽いの。いつも、すこーしだけ頭の奥がチクチクしてたのも、ぜんぶなくなっちゃった」

「うん。それが、特別なお守りの力だよ。これからセリアがどれだけ魔法を使っても、どれだけ悪い空気が外にあっても、セリアを痛くすることはない。全部、綺麗なお花みたいな空気に変わるんだ」

「ほんとうに……? わたし、もう、こわいおもいしなくていいの……?」


五歳の子供なりに、完全に痛みが消え去る日が来るなんて信じられなかったのだろう。

 俺が力強く頷くと、セリアは俺の首に抱きつき、ぎゅっと強くしがみついてきた。


「るぅく……ありがとう。るぅくは、ほんとうにわたしの魔法使いね」

「だから、俺はただの料理人の息子だってば」


俺が苦笑いしながら背中をポンポンと叩くと、セリアは俺の腕から少しだけ身体を離し、背伸びをして、俺の頬に『チュッ』と小さく可愛らしいキスをした。


「……っ!?」

「ふふっ。るぅくのお顔、リンゴみたいにまっかっか!」


中身三十代の男である俺が完全にフリーズしていると、セリアは悪戯っぽく笑って俺の服の袖を引っ張った。


「これはね、わたしがずーっと、るぅくの側を離れないっていうおまじない! るぅくがわたしを守ってくれるなら、わたしも、るぅくが美味しいお菓子をいっぱいつくれるように、ずっと応援してあげる!」


後の『悪役令嬢』になるはずだったこの少女は、今や俺への絶対的な信頼と好意を隠そうともしない、無敵の天使へとクラスチェンジを果たしていた。


瘴気吸収という理不尽な裏設定の完全打破。

 これにより、セリアはもう誰かを傷つける残虐な悪役令嬢にはならない。このまま純粋に育てば、完璧な貴族の淑女へと成長していくはずだ。

 俺は、彼女の笑顔をこれからも全力で守り抜くと、心の中で静かに、だが強固に誓った。


* * *


だが。俺がセリアの運命を強引に書き換えたことによる「歪み」は、確実に屋敷の暗部に影を落とし始めていた。


その夜。

 俺は屋敷内の地理を完全に把握するため、隠密魔法で気配と足音を完全に消し、深夜の伯爵邸を探索していた。

 すると、屋敷の地下にある使われていないはずのワインセラーから、微かな話し声が漏れ聞こえてきたのだ。


「……どういうことだ、グレイソン執務長。話が違うではないか」


低く、ねっとりとした男の声。その声音には明らかな苛立ちが混じっていた。


「申し訳ありません、ゴードン商会長。ですが、これは私にとっても完全に想定外なのです」


答えたのは、ローズグレイ伯爵家の財政管理を任されている筆頭家臣、グレイソン執務長だった。

 俺は壁の影に溶け込みながら、息を殺して二人の密談に耳を傾けた。


「伯爵は領地の瘴気処理と令嬢の暴走で疲労困憊し、近いうちに必ず倒れる。その隙を突いて領地の税を二重帳簿で搾取し、私腹を肥やすという計画だったはずだ。それがなんだ! 最近の伯爵はすこぶる健康で、令嬢の暴走もピタリと収まっているではないか!」

「ええ……あの忌々しい料理人、トマスがしゃしゃり出てきてからです。あいつの息子が令嬢の遊び相手になってから、令嬢の機嫌が良くなり、伯爵まで活力を取り戻してしまった。このままでは、伯爵の目が光っていて我々の横領計画が進められません」


(……ビンゴだ)


暗闇の中で、俺の目が冷たく細められた。

 グレイソン執務長と、裏商会のゴードン。

 こいつらこそが、十二年後のゲーム本編開始時に横領の罪を全て俺の父トマスに擦り付け、俺たち一家を処刑エンドに追いやる張本人たちだ。


本来のシナリオでは、伯爵が過労で倒れた数年後に悠々と横領を始めるはずだった。

 だが、俺がセリアを救い、伯爵を元気にしてしまったことで、焦った彼らは計画を強引に前倒しせざるを得なくなったらしい。


「チッ……ならば、計画を変更するしかないな。目障りな料理人一家には、少し早いが消えてもらおう」

「トマスに横領の濡れ衣を着せて、口封じに暗殺者を差し向けますか?」

「ああ。そして、伯爵の食事には遅効性の毒を混ぜる。当主が倒れ、料理人が罪を被って死ねば、屋敷の混乱に乗じていくらでも金を引き出せるからな」

「くくっ……素晴らしいお考えです。では、手筈は数日以内に」


おぞましい密談を終え、二人がワインセラーの奥へ消えていく気配を察知しながら。

 俺は、指先からチリチリと漏れ出しそうになる規格外の魔力を、冷たい怒りと共に無理やり抑え込んだ。


「……ふざけんなよ」


俺の家族を殺すだと?

 優しくて不器用な父さんを。愛情深い母さんを。

 そして、あの天使のようなセリアの父親を、毒殺するだと?


――上等だ。

 お前らが俺の大切な人たちを理不尽に奪おうというのなら。

 俺は生みの親の知識チートとバグ魔法の全てを使って、お前らの存在を、その浅はかな計画ごと、根こそぎ物理的に消し飛ばしてやる。


深夜の地下室。

 五歳のモブキャラであるルークの瞳に、初めて「明確な殺意」を伴った冷酷な光が宿った瞬間だった。

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