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第10話:専属の遊び相手(お付き)への大抜擢

翌朝。

 俺と父トマスは、ローズグレイ伯爵邸の最奥にある豪奢な両開きの扉――当主の執務室の前に立っていた。


「ルーク……いいか。伯爵様の前では絶対に失礼のないようにな。聞かれたことにだけ、元気よく答えるんだぞ」

「大丈夫だよ、お父さん。ちゃんとできるもん」


俺が胸を張って答えると、トマスは額に浮かんだ汗をハンカチで拭い、小さく息を吐いた。

 普段は豪快な父がここまでガチガチに緊張するのも無理はない。平民の料理人が当主から直々に呼び出しを受けるなど、普通に考えれば「重大なミスに対するお咎め」か「解雇通知」のどちらかだからだ。

 俺は昨日の伯爵からの『お許し』を知っているが、父は「なぜか急に執務室へ来いと言われた」状態なのだから、生きた心地がしないだろう。


「お入りください。旦那様がお待ちです」


執事長に促され、重厚な扉が開かれる。

 広々とした執務室の中央には、黒曜石のように磨き上げられたマホガニーの机があり、その向こう側で一人の男性が静かに微笑んでいた。

 当主、アルバート・フォン・ローズグレイ伯爵。

 俺が前世のゲームで設定した「威厳あるが不器用な父親」のビジュアルそのままの、銀糸が混じり始めた金髪と、理知的な碧眼を持つ初老の貴族だ。


「よく来てくれた、トマス。そしてルーク」


(……あれ? 伯爵、顔色がすごくいいな。目の下の隈も薄くなってる)

 俺の観察通り、昨日の疲れ切った表情とは打って変わり、今日の伯爵は憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。


「だ、旦那様。本日はどのようなご用件で……私か、あるいは息子のルークが、何か粗相をいたしましたでしょうか……っ」


トマスが震える声で尋ねながら平伏しようとすると、伯爵は「違う、そうではない」と立ち上がり、ゆっくりと机を回り込んで俺たちの前まで歩いてきた。

 そして――。


「トマス。そしてルーク。私の方こそ、君たち親子に深く謝罪と感謝をしなければならない」


貴族の当主である伯爵が、平民の料理人親子に向かって、深く頭を下げたのだ。


「だ、旦那様!? お顔をお上げください! 私共のような平民に、そのようなっ……!」

「よいのだ、トマス。これは、領主としてではなく、一人の父親としての礼だ」


恐縮してオロオロするトマスを宥め、伯爵は俺に向かって真っ直ぐに視線を下ろした。


「ルーク。昨日、君がセリアの部屋でかけてくれた言葉……扉の外で、密かに聞かせてもらっていた」

「えっ」


(うわぁぁぁぁぁっ! あの小っ恥ずかしいセリフ、全部聞かれてたのか!?)


俺は表面上はポカンとした五歳児の顔を保ちながら、内心で頭を抱えて悶絶した。

 精神年齢三十代の男が、五歳の幼女に向かって「世界で一番優しくていい子だよ、俺が保証する」などと甘い言葉を囁いていたのを、まさか実の父親に立ち聞きされていたとは。

 穴があったら入りたい。いや、俺が今ここで風魔法で穴を掘って埋まりたい。


だが、俺の冷や汗の理由はそれだけではなかった。


(ヤバい……。俺、セリアを慰めるために、ローズグレイ家の『瘴気の防波堤』っていう裏の役目についてベラベラ喋っちゃったぞ。あれって一族と側近だけのトップシークレットだろ? 機密漏洩で首が飛ぶか!?)


緊張で背筋が凍る俺に対し、伯爵は優しく微笑んだ。


「我が家の『裏の役目』について、五歳の君がなぜ知っていたのか……村の古老からお伽話として聞いたのか、それとも君が聡明だから気づいたのかは分からない。だが、詮索はすまい。君は、父親である私ですら気づけなかった娘の孤独に寄り添い、その心を救ってくれた。……君は、我が家の恩人だ」


(……た、助かったぁぁぁ……っ!)


どうやら、伯爵の「いい人」という設定が功を奏し、俺のメタ知識からの発言は『子供の不思議な直感』か何かとして好意的にスルーしてくれたらしい。俺は内心で安堵の特大ため息を吐いた。


「そこで、だ。ルーク、君に一つ頼みがある」


伯爵は姿勢を正し、真剣な眼差しで俺とトマスを交互に見つめた。


「ルークを、セリアの『専属の遊び相手』……いや、事実上の『お付きの従者見習い』として、我が家で正式に雇用したい」

「…………はい?」


俺が間の抜けた声を出すより早く、父トマスが弾かれたように顔を上げた。


「だ、旦那様! お言葉ですが、ルークはまだ五歳の子供です! ましてや平民の息子を、伯爵令嬢であるお嬢様のお付きなどと……特例にも程がございます! 他の貴族の方々や使用人たちに示しがつきません!」

「承知の上だ。だが、セリアが心を開き、あんなにも素晴らしい笑顔を見せるのは、今やこの屋敷でルークだけなのだ」


トマスのもっともな反論を、伯爵は静かだが断固とした声で退けた。


「あの子には、身分に囚われず、対等に笑い合える同年代の友人が必要なのだ。それに、ルークはただの子供ではない。あの子の優しさと聡明さは、いずれ必ずセリアの大きな支えとなる」


伯爵は再び俺に向き直り、信じられない条件を提示し始めた。


「給金は、見習いではなく正式な従者と同額を支払おう。さらに、屋敷の家庭教師をつけて、読み書きや計算、貴族としての教養や歴史も学ばせる。そしてゆくゆくは……セリアが十五歳になり、王立貴族学園へ入学する際、特例の『特別従者』として同行してもらいたいと考えている」


(……キタコレ!!)


俺は心の中で、両手でガッツポーズを決めた。


平民のモブがいきなりネームドキャラの専属従者ルート突入。しかも教育費までタダで出してくれる超絶ホワイト待遇。

 何よりデカいのは、「王立貴族学園への同行パスポート」を合法的にゲットしたことだ。

 学園編は、転生ヒロインであるアリスが強引なざまぁ展開を起こそうとする本編のメイン舞台。あそこにセリアの側近として堂々と入り込めれば、アリスの幼稚な罠を先回りして全て叩き潰すことができる!


「もちろん、ルーク自身が望めばの話だが……どうだろうか。セリアの側にいてはくれないか?」

「はいっ!」


俺は一秒も迷うことなく、満面の笑みで大きく頷いた。


「俺、セリアお嬢様とずっと一緒にいたいです! お勉強も、お仕事も、いっぱいいっぱい頑張ります!」

「ルーク……!」


トマスは感極まったように涙ぐみ、伯爵は「ありがとう。本当によろしく頼む」と、俺の小さな手を両手でしっかりと握りしめてくれた。

 こうして、ただの「料理人の息子」だった俺は、伯爵家当主の後ろ盾を得て、悪役令嬢の「専属のお付き」という強固なポジションを確立したのだった。


* * *


「るぅく!」


執務室を出て、そのままセリアの部屋へ向かうと、扉が開くや否や小さな弾丸が俺の胸に飛び込んできた。


「セリア、おはよう。元気だった?」

「うんっ! あのね、きのうはすっごくよく眠れたの! いやな夢も、ぜんぜん見なかったわ!」


俺の服の裾をギュッと握りしめ、セリアは花が咲いたような笑顔を見せる。

 その頬にはほんのりと赤みが差し、先日までの青白く病的な顔色が嘘のように健康的な子供の表情になっていた。


「よかった。ねえセリア、俺から報告があるんだ」

「ほうこく?」

「うん。俺ね、今日から正式にセリアの『お付き』になったんだよ。伯爵様が、ずっと一緒にいていいって言ってくれたの」


俺がそう言うと、セリアはパチクリと目を瞬かせ、数秒後にその意味を完全に理解して「わぁぁぁっ!」と歓声を上げた。


「ほんとう!? ずっと、ずっと一緒にいられるの!?」

「そうだよ。毎日お屋敷に来て、一緒に遊んで、一緒にお勉強するんだ。だから、もう寂しくないよ」

「えへへ……うれしい! わたし、るぅくと一緒におべんきょうする!」


ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶセリアを見て、部屋の隅に控えていた専属メイドのアンナも、目尻を下げて微笑ましく見守ってくれている。


(よし。これで第一段階は完全にクリアだ)


俺はセリアの頭を優しく撫でながら、心の中でこれからの計画を再確認していた。

 セリアの悪役令嬢化フラグをへし折り、俺たち家族の処刑エンドの元凶である『伯爵家内部への食い込み』に成功した。これで、理不尽な死の運命を回避するための盤石な拠点ができたことになる。


だが、まだ安心はできない。

 十二年後の処刑エンドの本当の引き金は、伯爵家の横領をでっち上げ、トマスに罪を擦り付ける「悪徳家臣」と「裏商会」の存在だ。

 俺が伯爵家に深く入り込めば入り込むほど、彼らの動向を探りやすくなる。今はまだ五歳の子供で行動範囲が限られているが、機が熟せば、裏でそいつらの証拠を掴み、物理的かつ社会的に完全に排除しなければならない。


そして、いずれ出会うヒロインのアリスや王太子レオンの理不尽なシナリオ強制力に対抗するための「圧倒的な力」の獲得も。


(廃材置き場の『没オブジェクト』での魔力底上げと、隠密魔法での精密コントロール特訓は、これからも絶対に欠かせない。そして、もう少し行動範囲が広がったら、あの『隠し装備』と『古代魔法書』の回収にも行かなきゃな)


生みの親の知識(開発者チート)をフル活用した無双の準備は、まだ始まったばかりだ。


「るぅく、どうしたの? こわい顔してるわ」


ふと、セリアが小首を傾げて俺の顔を下から覗き込んできた。

 俺はハッとして、すぐにいつもの五歳児の笑顔を作り直した。


「ううん、なんでもないよ。これからの毎日がすっごく楽しみだなって思ってただけ。……さあ、今日は何して遊ぼうか?」

「えっとね、えっとね! おえかきしたい!」

「よし、じゃあアンナさんに紙とクレヨンをもらおうか」


俺とセリアの笑い声が、温かな日差しの差し込む部屋に響き渡る。


この笑顔を守り抜く。俺が書いた残酷なシナリオを、俺自身の手で最高のハッピーエンドに書き換えてみせる。

 モブキャラであるルークの、静かで強固な反逆の快進撃が、今ここから本格的に幕を開けたのだった。

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