第8話
第8話 帝都降臨
ここが帝国か。夜の森での急襲から数日。私たちはついに、神聖オーギュスト帝国の帝都オーレンへと到着しました。
白亜の城壁に囲まれた街は、王国の王都よりも遥かに巨大で、いたるところに神を象徴する彫刻が施されています。しかし、一見して清浄に見える空気の底には、何かが澱んでいるような、肌を刺すような不快感がありました。嫌な予感がする。
「リリアーナ、顔色が悪い。馬車酔いかな?」
アルヴィン様が心配そうに私の頬を撫でます。いつも優しい。
「いえ。街の空気が少し重たい気がして。うまく言えないのですが、無理やり押さえつけられたような気分になった」
「流石だね。君の浄化の感性は、帝国の嘘を見抜いているらしい」
アルヴィン様は私の肩を引き寄せ、耳元で低く言った。
「ここは信仰の名の下に、異端や汚れを切り捨ててきた街だ。上辺だけを磨き上げた美しさに惑わされる必要はない」
馬車が帝宮の正門を潜ると、そこには豪華な兵たちが整列し、仰々しいファンファーレが鳴り響きます。まるで私が来るのを待っていたかのように。
中心で待ち構えていたのは、フェルナンド皇子と、高慢な笑みを浮かべたステラ嬢。そして、一段高い玉座のような椅子に座った、眼光の鋭い皇帝の姿でした。
馬車の扉が開くと、アルヴィン様が先に降り、私に手を差し伸べてくれました。彼の手を取って降り立った瞬間、周囲の貴族たちから、
「おお」
という驚嘆の声が上がります。呪われた死神ではなく、月の光を凝縮したような美貌のアルヴィン様。彼の魔力によって織られた、光を弾く特殊な絹のドレスを着た私。立ち姿は、帝国のどんな豪華な装飾よりも人々の目を惹きつけているようです。注目のまとって感じかな。
「よく参られた、ラザフォード公爵。それと王国の追放令嬢」
皇帝が重々しい声で口を開きました。周囲の家臣たちが一斉にひざまずく中、アルヴィン様だけは背筋を伸ばしたまま、微塵も頭を下げようとしません。一応頭を下げた方がいいのではと不安になる。
「ラザフォード家は古より、どの国の王にも魂を売らぬ守護の家系。皇帝陛下、私をひざまずかせたいのであれば、相応の理由を用意していただこうか」
「おごり高ぶった無礼な態度な男だ。隣にいる娘が真の聖女であるならば、無礼も不問に付そう。ステラ、準備を」
皇帝の合図で、ステラが勝ち誇ったように前に出てきました。彼女の手には、巨大な水晶の宝珠が握られています。
「リリアーナ様。神託の水晶に触れてみていただけますかしら? これは清らかな魂にのみ反応し、聖なる光を放つもの。もしあなたが偽物であれば、水晶は真っ黒に濁り、あなたは神を冒涜した罪人としてこの場で処刑されますわ」
ステラの瞳には、明確な殺意がありました。殺意の笑みというべきかな。そんなに私が憎いのかしら。おそらく、水晶には何か細工がしてある。私が触れた瞬間に汚れを演出するような仕掛けが。そんな風に感じられる笑みです。
「リリアーナ、下がるんだ。こんな茶番に付き合う必要はない」
アルヴィン様が私の前に立ち塞がります。
「いいえ、アルヴィン様。ここで引けば、あなたの名誉に傷がつきます。それに、私はもう自分の力を疑っていません」
アルヴィン様の手をそっと離し、一歩、また一歩と水晶へ近づきました。自分を信じよう。ステラ嬢が小声で、
「さようなら、無能令嬢」
と嘲笑うのが聞こえます。私が水晶に手を触れた。
バキィッ!
水晶から溢れ出したのは、ステラが期待したような濁りではありませんでした。指先が触れた途端、水晶の内部に溜まっていた闇の魔力が、あまりに強烈な私の浄化の流れに耐えきれず、粉々に砕け散ったのです。
「なっ! 神託の水晶が、砕けた!」
ステラが悲鳴を上げ、後ずさります。いかにも初めから細工してあったと言う顔で。砕けた破片からは、眩いばかりの純白の光が放射状に放たれ、広場全体を包み込みました。光が触れた場所。
帝宮の石畳に刻まれていた不吉な文様が、はがれ落ち、壁に飾られた豪華な布地が実は呪術的な洗脳の効果を持っていたことが、白日の下に晒されました。これがカラクリでしたか。
「これが、帝国の言う神聖ですか?」
私は静かに皇帝を見て言いました。
「上辺だけの水晶が耐えきれないほどの光を、私はアルヴィン様から、領地の皆さんからいただいています。私の力が偽物だというのなら、砕け散った水晶が何よりの証拠ですわ。嘘の水晶です」
広場は静まり返りました。貴族たちは口を開けたまま立ち尽くし、フェルナンド皇子は顔を引きつらせています。
「面白い。実に見事だ、リリアーナ嬢」
皇帝が低く笑い出しました。明らかに不満のこもった声で。
「ステラ、下がれ。未熟さが露呈したな。アルヴィン公爵の伴侶候補は、想像以上に劇薬のようだ」
「伴侶候補ではない。彼女は私のすべてだ」
アルヴィン様は私を力強く引き寄せ、衆人環視の中で私の腰に手を回しました。みんな見てますけど。
「これ以上の侮辱は、ラザフォード公爵領への侵略とみなす。聖女選定の儀式とやらを速やかに済ませるがいい。終われば、彼女を連れて帰る。二度と不潔な地へは来ない」
アルヴィン様の氷のような宣言が、帝都の空を震わせました。私を守ると断言したのは嬉しかった。
夜になり、用意された迎賓館の最上階。豪華な寝室のバルコニーで、私は一人、帝都の夜景を見つめていました。
昼間の出来事で、自分が思っている以上に、王宮での無能扱いを克服できていたことに気づきました。アルヴィン様が私を信じてくれたことが、何よりの力になっていたのです。ありがとうアルヴィン様。
「外は冷えると言っただろう」
背後から熱い体温が重なりました。アルヴィン様が大きな毛布ごと私を包み込み、そのまま私の首筋に深く顔を埋めます。まあ、温かい。
「アルヴィン様。今日は、ありがとうございました」
「礼を言うのはこっちの方だ。君があんなに堂々と私のために怒ってくれた。それが何よりも嬉しかった」
アルヴィン様の腕にぎゅっと力がこもります。ううう、安心感。
「実は怖かった。君が放つ光があまりに美しくて、そのまま天へ消えてしまうのではないかと。君が誰の目にも触れないよう、今すぐどこか遠くへさらってしまいたい衝動を抑えるのが、どれほど大変か分かっているかい?」
「さらうなんて。あなたのすぐ隣にいますよ」
私が振り返り、彼の首に手を回すと、アルヴィン様の瞳が妖しく、湿った光を帯びました。
「足りない。言葉だけでは足りないんだ。リリアーナ、今夜は君に、もっと深く私だけの色をつけてもいいだろうか」
「アルヴィン様っ」
持ち上げられ、大きなベッドへと運ばれます。
帝国が仕掛けてくるであろう明日の儀式の陰謀も、ステラ嬢たちの悪意も、今のこの密室では遠い世界の出来事のよう。不安感は飛んでしまうほどに。
「君の魔力は世界を浄化するが、私の心だけは君への欲で、どこまでも濁らせてほしい」
耳元でささやかれる独占欲に満ちた言葉。
重ねられる唇は、昼間のどんな光よりも熱く、私の理性を溶かしていきました。
しかし。私たちはまだ知らないこともある。皇帝とフェルナンドが、聖女選定の裏で何をしようと企んでいるのかを。巨大な影が、すぐそこまで迫っている気がしています。




