第7話
第7話 帝都への旅路
ステラが去った後の公爵邸は、嵐の前の静けさと、それを上回るほどの熱に包まれていました。
帝都で行われるとなった聖女選定への出席。私にとって、自分を見下した世界へ再び足を踏み入れることを意味します。けれど、隣にはアルヴィン様がいます。彼は不安そうな顔をするたびに、君の髪一本、誰にも触れさせないと、言葉と口づけで私を繋ぎ止めてくれました。もうキスするのが当たり前になっているのが自分でも怖いくらい。
出発の日、領民たちは総出で私たちを見送ってくれました。
「リリアーナ様、頑張って!」
「公爵様、女神様をよろしくお願いします!」
温かい声援に、私は涙が出そうになります。慰謝料として手に入れた土地は、もう私にとって、命を懸けても守りたい故郷になっていました。みんな行ってきます。
帝都までは、馬車で数日の旅となる。アルヴィン様が用意したのは、公爵家の威信をかけた最新鋭の魔導馬車。外見は重厚な黒塗りに金の装飾が施されています。内部は驚くほど広く、ふかふかのソファとベッド、果ては小さな書斎まで備わった動くスイートルームでした。素敵な馬車だこと。
「あの、アルヴィン様。セシルさんたちが外で見守っているのに、こんなに密着していていいのでしょうか」
馬車が走り出して一時間。私はアルヴィン様の膝の上に横向きに座らされ、彼の腕の中に閉じ込められていました。さすがに恥ずかしいか。
「いいんだ。移動中は誰にも邪魔されない、私と君だけの貴重な時間だからね。君の魔力が近くにないと、私の呪いが疼くような気がするんだ」
アルヴィン様は困ったような顔をして、私の首筋に顔を埋めます。呪いが完全に浄化された今、それが嘘であることは分かっています。ただ、私を独占する正当な理由が欲しいだけなのでしょう。
「嘘つきですね、公爵様」
「ああ、君の前ではいくらでも嘘つきになろう。君を離さないで済むのなら」
アルヴィン様の手が、ドレスの編み上げを器用に解き始めました。
「まだ昼間ですし、馬車が揺れていますっ」
「揺れているからこそ、体幹を支えるために密着する必要があるだろう。さあ、リリアーナ。帝都に着けば、嫌でも人目に晒される。今のうちに、私の愛を深く刻み込ませてくれ」
窓の外を流れる景色とは裏腹に、馬車の中は密やかな吐息と、甘く重い熱気に支配されていきました。到着までこれ続きそう。
旅の二日目。私たちは帝国との国境近くにある宿場町に到着しました。アルヴィン様が街で一番の宿を丸ごと貸し切ってくれたのですが、そこで予期せぬ人物と出くわすことになった。
「おやおや、これは珍しい。死神公爵殿と、拾い物の令嬢ではありませんか」
「フェルナンド皇子。貴公がわざわざこんな辺境まで迎えに来るとは、帝国も随分と暇なようだ」
アルヴィン様が私を背後に隠し、氷のような声で応じます。宿のロビーで待ち構えていたのは、ステラではなく、彼女の兄であり、帝国の第一皇子、フェルナンドとのこと。
彼はステラと同じ金色の髪を優雅に撫でつけ、蛇のような瞳で私をなめるように見つめました。
「ははは。未来の聖女を丁重にもてなすのは当然のこと。リリアーナ嬢と言ったかな。君の噂は聞いているよ。無能と呼ばれた伯爵令嬢が、呪われた土地を楽園に変えた。実に興味深い。君のような美しい原石が、こんな野蛮な公爵の元に埋もれているのは、大陸の損失だとは思わないかい?」
フェルナンドは私に歩み寄り、無礼にも手を差し伸べました。私の彼を野蛮な公爵と言い切った。ムカムカします。
「どうだろう。公爵を捨てて私の元へ来ないか? 帝国なら、君を本物の神として祀り上げてあげよう。エリオットのようなバカな王子とは違い、私は君の力を正しく利用してあげられる」
「お断りいたします、皇子殿下」
私はアルヴィン様の腕をぎゅっと掴み、真っ直ぐにフェルナンドを見返しました。
「私は利用されるために生きているのではありません。私を愛し、守ってくれるこの人のために力を使いたいのです。たとえ神として祀り上げられても、アルヴィン様のいない場所は、私にとって地獄と同じですわ」
フェルナンドの瞳が、一瞬だけ不快そうに細まります。今の発言が効いたらしい。
「ほう。愛か。そんな不確かなものに振り回されるとは、やはり女は愚かだ。愛の意志がいつまで持つか、楽しみにしているよ」
彼は意味深な笑みを残して立ち去りました。背中を見送りながら、私は言いようのない不安に襲われました。彼の言葉には、単なる勧誘ではない、もっとドロドロとした悪意の毒が混じっている気がしたのです。この先が気になる。
宿に宿泊。アルヴィン様は私の部屋のすぐ隣に控えていましたが、私は胸騒ぎがして眠れず、テラスに出て夜風に当たっていました。
おかしい。この霧、不自然だわ。浄化の魔力を持つ私には分かります。この霧は、人の手によって作られた魔導の霧。怪しい。とても怪しい。
その瞬間、影の中から数人の暗殺者が音もなく飛び出してきました。
「リリアーナ!」
隣の部屋から壁を突き破るような勢いでアルヴィン様が現れ、私を抱き寄せると同時に、背後から漆黒の刃を出す。
「帝国の回し者か、あるいはエリオットの残党か。どちらにせよ、リリアーナに手を出したことを死んで後悔させてやる」
アルヴィン様の力が解放されます。浄化されたはずの魔力は、守護のための破壊兵器へと変貌しました。暗殺者たちが放つ毒矢や魔法を、黒い障壁がことごとく弾き飛ばします。
「キャアッ!」
暗殺者の一人が、隙を突いて私に煙玉を投げつけました。周囲が真っ白な煙に包まれます。怖い。殺されるのかな。
「リリアーナ! どこだ!」
アルヴィン様の焦燥した声。私は煙の中で、何者かに腕を掴まれました。誰!
どうしよう、死にたくない。せっかく幸せになれたのに。きっとアルヴィン様だわ。
「ようやく二人きりになれたね、聖女様」
耳元で聞こえたのは、昼間のフェルナンド皇子の声。心臓が停止しそう。
「公爵の愛がどれほど脆いか、教えてあげよう。煙は、人の心の一番恐れている幻想を見せる毒だ。今頃彼は、君が自分を捨てて逃げ出す幻影を見て、狂い始めているはずだよ」
フェルナンドの冷たい指が私の頬を撫でます。
「さあ、一緒に来てもらおうか。君の力は神聖オーギュスト帝国の野望のために」
「いいえ、それは違います」
私は静かに、胸の奥にある光を解放しました。
「私が一番恐れているのは、私が私を信じられなくなること。アルヴィン様の愛を疑うことです。幻影なんて光で消し飛んでしまいなさい!」
私から溢れ出した純白の輝きが、毒の煙を一瞬で浄化し、夜の森を真昼のように照らし出しました。
「な、なんだと! 皇室秘伝の幻惑薬を、ただの魔力解放で無効化するだと!」
驚くフェルナンド王子の背後に、影の中からアルヴィン様が姿を現しました。瞳は、深紅に染まりそうなほど激しい怒りに満ちています。
「フェルナンド。貴様、今、誰に触れようとした?」
「チッ。今日はここまでか」
フェルナンドは静かに笑うと、足元に魔法陣を展開し、転移の術で姿を消しました。助かったわ。
暗殺者たちも討伐され、森には再び静けさが戻った。アルヴィン様は、私の肩を砕かんばかりの強さで抱きしめてきました。
「すまない、リリアーナ。私が、一瞬でも君を見失ったばかりに」
「大丈夫です、アルヴィン様。私はここにいます。あの人の言葉なんて、一つも信じていません」
「愛している。愛している、リリアーナ。君がいなければ、私はまた暗い呪いの中に逆戻りだ」
アルヴィン様は森の地面に私を押し倒すようにして、むさぼるような口づけを繰り返しました。苦しいですよ。
周囲には、私の光で浄化された美しい花々が咲き誇っている。
「もっと、私を浄化してくれ。君の光で、私の心を君だけで埋め尽くしてほしい」
アルヴィン様の独占欲は、狂気と紙一重の情熱へと昇華されていた。でも安心している自分がいる。アルヴィン様を信じた結果です。
帝都を目前にして、私たちの絆はより深く、より逃れられないものへと変化していく。幸せすぎて、死にそう。
言葉の裏には、愛を守り抜くという、聖女としての静かな決意が宿っていました。
「必ず、一緒に帰りましょう。私たちの楽園へ」
彼の首に手を回し、自分から唇を重ねました。帝都での聖女選定は、もうすぐそこまで迫っていた。




