第4話
第4話
「リリアーナ、そんなに根を詰めてはいけないよ。君の体は、もう君一人のものではないのだから」
君一人のものって、その目で言われると。背後から伸びてきた腕に、すっぽりと包み込まれました。耳元でささやかれるアルヴィン様の低く甘い声。吐息が首筋をかすめるたび、私の背中に電撃のような震えが走ります。
「あ、アルヴィン様。薬草園の浄化を終えないと、村の皆さんの冬の蓄えが」
「それはセシルたちに任せればいい。今の君に必要なのは、私の腕の中での休息だ」
こ、こ、公爵様。最近、ますます溺愛と言うか、ブレーキが壊れていませんか? 甘すぎる独占欲を受け入れるしかない。
ここは、呪われた温室と呼ばれていた場所です。私が領地に来てから一週間。魔力は留まるところを知らず、屋敷の周囲だけでなく、領地全体の空気を劇的に変えていました。枯死していたはずの貴重な薬草が、私の足跡を追うように芽吹き、温室は色鮮やかな緑の絨毯に覆われています。
ですが、アルヴィン様はそれが面白くない様子。なぜかというと、
「この植物たちが羨ましい。君の魔力を直接浴びて、あんなに嬉しそうに葉を広げて。私だって、もっと君の光に触れていたいのに」
えっ、植物に嫉妬ですか。アルヴィン様は私の肩に顔を埋め、深く呼吸をしました。
「リリアーナ。君からは、陽だまりのような、とても心地よい香りがする」
「そ、それは、朝からずっと花の中にいたからですよ」
「違う。これは君自身の魂の香りだ。ああ、いっそこのまま、誰の目にも触れない場所に君を隠してしまいたい。王都の連中が君の価値に気づき始めていると思うと、夜も眠れないんだ」
アルヴィン様の腕にぎゅっと力がこもります。そこまで私を想っているの。彼の執着は、呪いが解けて美貌が露わになってからというもの、日に日に濃密さを増していました。濃すぎます。死神と呼ばれた冷たさは、私一人を閉じ込めたいという情熱へと変貌を遂げているのです。それもハンパない情熱。
「大丈夫ですよ、アルヴィン様。私はどこへも行きません。ここは私たちが手に入れた大切な場所ですから」
彼の頬にそっと手を添えると、アルヴィン様は、とけるような微笑みを浮かべ、私の手に何度も何度も、熱いキスをしました。
◆
一方その頃。
王都・グランツ王宮では、凄まじい怒りの口論が繰り広げられていた。全てリリアーナがいないのがきっかけだった。
「なぜだ! なぜ花が枯れる! 噴水が濁る! 結界が消えるのだ!」
エリオット王子が狂ったように叫び、豪華な花瓶を床に叩きつける。王都は今、深刻な魔力枯渇に陥っていたのが王子には耐えられない怒りになっている。
リリアーナが去ったことで、彼女が密かに供給し続けていた膨大な浄化のエネルギーが途絶え、溜まっていた負の感情が瘴気となって溢れ出したのである。さらに王子のところに悪い話もあり、
「殿下! 隣国の使者が聖女を不当に追放した国とは同盟を維持できないと、通商条約の破棄を通告してきました!」
「バカな! リリアーナが、あんな地味で何もできない、無能で役立たずな女にそんな価値があったというのか?」
エリオットは信じられい顔で言った。リリアーナの能力だとどうしても信じたくないのがあった。なぜならリリアーナが原因だと認めると婚約破棄して追放した自分が無能な馬鹿な王子だとなるから
。
王子が無能だと笑い飛ばし、慰謝料代わりに呪われた地へ追いやった少女。リリアーナこそが、この国の繁栄を支える唯一の心臓だった。さらに、追い打ちをかけるような報告が届いた。
「そ、そ、そ、それから、ラザフォード公爵領の調査に向かった隠密より報告が。呪われた地は現在、比類なき楽園へと変貌。アルヴィン公爵は呪いから解放され、その素顔は大陸一の美貌とうたわれた先代をも凌ぐ絶世の美男子である、との報告です」
「何だと絶世の美男子?」
エリオットの顔が屈辱で歪む。自分がゴミとして捨てた場所が、黄金の土地となった。自分が死神と下に見ていた男が、遥かに凌ぐ英雄として君臨している。そして、その隣には追放したリリアーナ。元婚約者。エリオット王子は思いついたようにして、
「リリアーナ。そうだ、彼女は私の婚約者だったのだ! 呪いの土地を返してもらい、彼女を連れ戻せば、すべては解決するじゃないか!」
エリオットの瞳に、歪んだ欲欲が灯った瞬間だった。王子は自分の過ちを認めるのではなく、自分の所有物を取り返すという独りよがりな理屈を考えたのであった。王子は絶対に正しいのだと言う勘違いであろう。
◆
私は王都の混乱など知らず、ラザフォード領では平和すぎるほどに甘いスイーツの時間が流れていました。甘々です。食べられないくらいに甘い。
「リリアーナ。少し、貴族としての心得を復習しようか」
午後のティータイム。アルヴィン様は私を自分の膝の上に座らせたまま、優雅に紅茶を飲んでいます。これが貴族の心得ですかね。あの、この姿勢、全然勉強に集中できないのですが。
「あの、アルヴィン様。私、バレンタイン伯爵家で最低限の教育は受けています」
「いや、足りない。特に自分がいかに価値ある存在かという自己認識が致命的に欠けている」
アルヴィン様は私の顎を指先でクイ、と持ち上げました。何をする気?
「いいかい、リリアーナ。君はこの土地を救った女神であり、私の命を繋ぎ止めた唯一の人だ。君が望めば、私は隣国を滅ぼしてでも君に王冠を捧げるつもりだ。それだけの価値があることを、もっと自覚してほしい」
「お、王冠なんていりません! ただ、アルヴィン様と一緒に、この領地で穏やかに暮らせればいいのです」
「アルヴィン様と一緒に、か」
彼の瞳が、一瞬で色濃い欲情に染まりました。あれ、不満だったかしら。不満にさせるつもりはなかったのに、謝るかな。
「君は、自分がどれほど可愛いことを言っているか分かっていないな、ご褒美が必要だ」
「えっ、むぐっ!」
重なる唇。深い、深い口づけ。彼の舌が私の口内に侵入し、甘い熱をかき回します。頭が真っ白になり、指先まで痺れるような感覚。不満どころか逆効果でした。王宮での婚約期間中、エリオット王子に指先一つ触れられるのも嫌だったはずなのに、アルヴィン様に触れられると、もっと、もっと欲しくなってしまう。これって恋ですか!
「はぁ、リリアーナ。君を今すぐ私のものだと刻みつけたい」
アルヴィン様の細い指が、ドレスの襟元に掛かりました。その時でした。執事の声が、
「旦那様! 大変失礼いたしますが、緊急の事態です!」
扉の外から、セシルさんの切迫した声が響きました。アルヴィン様は
「チッ」
とはっきりと舌打ちをして、名残惜しそうに私から唇を離しました。表情は、一瞬にして甘い顔かれ公爵の顔に戻っています。
「何事だ、セシル。私の幸福な時間を邪魔した罪は重いぞ」
「申し訳ございません。ですが、国境沿いに王軍の先遣隊が姿を見せました。エリオット王子自らが聖女リリアーナの返還を求めて、軍を動かしているようです」
エリオット王子が、ここに向かって来ていると。なぜ私を? 婚約破棄しておいて今さら何をしに来る。室内の温度が、一気に氷点下まで下がりました。アルヴィン様の背後に、浄化されたはずの漆黒の魔力が、怒りによって再び渦巻いています。
「返還、だと?」
アルヴィン様は静かに立ち上がりました。瞳には、エリオット王子という存在を、この世から抹消するという確固たる決意が宿っていました。そこまでして私のことを大事に想っているということか。
「リリアーナ。君は屋敷の奥で、美味しいお菓子でも食べて待っていなさい」
アルヴィン様は私の額に、優しく、けれどどこか独占欲に満ちたキスをした。相手はエリオット王子。強い軍事力を持って来ているとも想像できる。不安になります。大丈夫かな。
「ゴミ掃除の時間だ。我が愛しき妻を奪おうとする愚か者に、本当の死神の力を見せつけてやるとしよう」
奪おうとする王子、守り抜こうとする最強の公爵。王国全体を揺るがす事態になりそうで心配です。幸せすぎて死にそうな日々を守るための、戦いが始まろうとしているようです。




