第3話
第3話
翌朝、私が目を覚ますと、視界いっぱいに絶景が広がっていました。それはもう絶景としかいいようがない。
「おはよう、リリアーナ。よく眠れたかな?」
重厚な天蓋付きベッドのすぐ横。そこには朝日に照らされて神々しいほどに輝くアルヴィン様が、椅子に座って私をじっと見つめていました。そんなに見られると。手には一冊の本がありました。視線は明らかに私の方を向いています。
「お、おはようございますって、アルヴィン様! なぜここに!」
「いや、君の寝顔があまりに安らかだったから、つい見入ってしまってね。ああ、安心してほしい。君が起きるまでの一時間、指一本触れていないよ」
一時間も見ていたんですか? それで安心しろと。慌てて毛布を首元まで引き上げました。王都にいた頃は、朝から晩まで書類仕事と冷遇に追われ、こんなふうに穏やかな朝を迎えることなんて一度もありませんでした。
「さあ、朝食の準備ができている。君の好きなものをすべて用意させた」
彼に促されて食堂へ向かうと、そこにはテーブルから溢れんばかりの料理が並んでいました。まあ凄い。黄金色のオムレツ、焼き立てのパン、新鮮な果物、もしかしてこの食材は、
「この野菜、昨日まで枯れていた裏庭のものですか?」
「ああ。セシルが驚いていたよ。君が通り過ぎただけで、土壌の毒素が完全に消え、作物が一晩で最高品質に育ったとね」
セシルさんが隣で深く頷いています。
「リリアーナ様、これはもはや奇跡です。この領地の特産品として売り出せば、数年で王都の経済を追い抜くでしょう」
私が一口食べると、口の中に瑞々しい甘みが広がりました。
「美味しい! こんなに美味しい野菜、食べたことがありません」
「そうか、気に入ってくれたか。ならばこの領地の農地すべてを君に捧げよう。君の好きな花を植えてもいいし、広大な庭園に作り替えてもいい。すべては君の望むままだ」
アルヴィン様は私の口元についたソースを、指先で優しく拭い取ります。指が唇に触れるたび、心臓が跳ね上がるのを感じました。君の望むままっていいました?
朝食後、アルヴィン様と一緒に領内を散策することになりました。死の森と呼ばれ、黒い霧が立ち込めていた場所ですが、今は澄み渡った空気と木漏れ日が心地よい癒やしの空間に変わっています。
「ああ」
村の方へ近づくと、怯えた様子で家の中から様子を伺っていた領民たちが、一人、また一人と外に出てきました。彼らは驚きの表情で、アルヴィン様の素顔と、彼に寄り添う私を見つめています。
「旦那様そのお顔は?」
「呪いが、呪いが消えている! 森が生き返ったぞ!」
一人の老人が震える声で叫ぶと、村人たちが一斉に地面を触る。アルヴィン様は少し困ったようにし、誇らしげに私の肩を抱き寄せます。
「皆、聞くがいい。この方はリリアーナ様。私の呪いを解き、呪われた地に光をもたらしてくれた、私の恩人であり、ラザフォード公爵家の新たな主となるお方だ」
「「「リリアーナ様、万歳!!」」」
地響きのような歓声が上がります。よくわからないまま、私は戸惑いながらも、必死に手を振り返しました。
今まで、王宮では無能、地味と石を投げられるような扱いを受けてきたのとは真逆の扱い。ここでは、私がただそこにいるだけで、人々が涙を流して喜んでくれる。
「リリアーナ、顔を上げて。君はこれほどまでに愛されるべき存在なんだ」
アルヴィン様が耳元で甘くささやきます。一人の少女が私に小さな花束を差し出してくれました。
「お姉ちゃん、ありがとう! お花、いっぱい咲いたよ!」
「うん、ありがとう。大切にするわね」
私が花束を受け取り、魔力を込めてそっと微笑むと、花たちがさらに鮮やかに色づき、キラキラとした光の粒子を振りまきました。それを見た領民たちが、再び歓喜の声を上げます。まるで私のことを女神や聖女のように見てくる。私はただの婚約破棄された女なのに。
しかし、そんな幸せな時間を切り裂くように、ひづめの音が響き渡りました。馬の音だわ。領地の境界線を越えてやってきたのは、王家の紋章をつけた騎兵隊。そして、見覚えのある傲慢な顔。まさか、あなたがなぜ?
エリオット王子の側近、騎士団長のバルトでした。
「リリアーナ・エル・バレンタイン! 殿下からの伝令だ。直ちに王都へ戻り、浄化の儀式を執り行え。貴様がいなくなってから、王宮の庭園が腐り始め、不吉な予兆が続いているのだ!」
バルトは馬の上から見下ろすように、偉そうに言い放ちました。完全に見下すような言い方だし、奴隷じゃないよ私は。一瞬、体が強張るのを感じました。長年の刷り込みとは恐ろしいもので、命令に従わなければならないという恐怖があったのです。
しかし私の恐怖心を守ってくれる人がいて、
「ほう。私の婚約者に、随分な物言いだな」
隣にいたアルヴィン様の体温が、急激に下がりました。いえ、温度だけではありません。彼の背後から、浄化されたはずの空気が一変し、圧倒的な圧が放たれたのです。
「ラ、ラザフォード公爵? その姿は、呪いはどうした?」
「呪いなら、ここにいる私のリリアーナがすべて消し去ってくれた。彼女を不快にさせる愚か者を消し去るための力となった」
アルヴィン様が一歩前に出ると、騎士たちの馬が恐怖で竿立ちになり、バルトは落馬しそうになりました。迫力で押しているわ。
「リリアーナはもう王家の人間ではない。慰謝料としてこの土地とともに、私が譲り受けたのだ。貴様らの主に伝えておけ。これ以上彼女に指一本でも触れようとするなら、ラザフォード公爵家は王国すべてを敵に回すと」
「な、何を! 彼女はバレンタイン伯爵家の娘だぞ。王命に従う義務が」
「黙れ」
アルヴィン様の鋭い一喝。それだけで、バルトの言葉は物理的に封じられたかのように、彼は喉を押さえて震え上がります。バルトを黙らせてしまうなんて驚き。
「リリアーナ、どうしたい? 君が戻りたいと言うなら止めはしない。私のそばにいたいと言ってくれるなら、神であろうと君を連れ去ることはさせないと誓おう」
アルヴィン様が私を振り返ります。瞳は騎士たちに向けていた冷酷なものとは別人のように、不安と期待に揺れていました。私は、迷わず彼の大きな手を取りました。私が決断する時だ。気持ちは決まっている。バルトが来ようが私の気持ちはアルヴィン様といたい。それが正直な気持ち。
「私はここにいたいです。アルヴィン様、あなたの隣が私の居場所です」
「ああ、愛している、リリアーナ」
アルヴィン様は周囲の目も憚らず、私を強く抱きしめました。えええ、ああああ、こんなところで何を!
バルトたちは、この光景に恐れをなして、逃げるように王都へと逃げ帰っていきました。これで良かったと思うけど、王都は私がいなくなって変化があったみたい。
屋敷に戻ると、アルヴィン様の独占欲はさらに加速していました。
「リリアーナ、先ほどの騎士の無礼な視線。思い出だすだけで不愉快だ。君の瞳に、あのような卑俗なものを映させたくない」
「アルヴィン様、落ち着いてください。私は大丈夫ですから」
「大丈夫ではない。君は優しすぎる。これからは私の許可なく、他の男と目を合わせるのも禁止にしたいほどだ。ああ、いや、嫌わないでくれ。君が嫌がることはしたくない。私を狂わせる君が悪いんだ」
彼は私の髪を触れつつ、熱烈なキスをします。冷徹公爵の皮が完全に剥がれ、執着の塊のような男が姿を現していました。噂とはまるで違う人だった、
◆
一方で、追い返されたバルトからの報告を聞いたエリオット王子は、王宮で激しく怒りを出す。
リリアーナが実は聖女以上の力を持っていたこと。あの忌まわしき死神公爵が、絶世の美男子として覚醒し、彼女を溺愛していることを聞いたから。
「ふざけるな! リリアーナは私のものだ! あの不毛の地で、泥をすすって泣いているはずだったのに!」
エリオットは自分の手から零れ落ちた宝の価値に、ようやく気づき始めていた。しかし、時すでに遅し。
彼がリリアーナを、いじめていた証拠、公爵領へ追放という形で譲渡した正式な書類は、すでにアルヴィンの手によって、王国の法廷、隣国へと拡散され始めていた。
◆
「さあ、リリアーナ。今夜は君のために、王都では決して手に入らない幻のドレスを用意した」
アルヴィン様が私の腰に手を回し、優しく耳たぶを噛みました。
「君を誰よりも美しく飾り立て、世界中で一番幸せな女性にしてみせる。元婚約者が、血の涙を流して後悔するほどにね」
私は、彼の胸に顔を埋める。そうしたかった。王都でのつらい生活が嘘のように感じる。エリオット王子といた時は楽しいと思えなかった。今は楽しい。もっとアルヴィンといたい。呪われた領地は、今やバラ色の楽園に変わった。幸せすぎて死にそう。そんな私の叫びの甘い夜になった。




