33話
第33話 未来を育む光
実家のバレンタイン伯爵家との経済戦に勝利し、領地が前よりも活気に沸く中、私の心には一つの決意が芽生えていた。
それは、神聖オーギュスト帝国のステラ様が魔獣を復活させ、多くの人々を恐怖に陥れた悲劇を二度と繰り返さないための、根本的な浄化の種を蒔くことだった。
「アルヴィン様、私、学校を作りたいのです。魔力を持つ子供たちが、力を正しく使い、闇に染まらないための教育機関を」
朝食の席で切り出すと、アルヴィン様は手にしていた紅茶のカップをぴたりと止めた。漆黒の瞳に、一瞬だけ複雑な光が宿る。
「君が教壇に立つというのか。見ず知らずの子供たちのために、君の貴重な時間と、神々しい微笑みを分け与えるというのか」
「はい。教育こそが、エリオット王子や帝国の野望に対する最大の防御になります。子供たちが自分の力を誇りに思えるようになれば、付け入る隙はなくなりますわ」
アルヴィン様は深いため息をつき、私の手を引き寄せ、その甲に口づけを落とした。
「リリアーナ、君の慈愛は海よりも深いな。分かった。建設費用は公爵家の宝物庫をすべて開いて賄おう。その代わり、条件がある」
「条件、ですか」
「入学願書の第一号は、私だ。君の最初の生徒であり、一番弟子は、この私アルヴィン・ラザフォードでなければならない」
「アルヴィン様あなたほどの魔導師が、何を学ぶというのですか」
こうして、前代未聞の聖女による教育改革が幕を開けた。
学校の場所として選ばれたのは、領地の外れにある豊かな森の入り口だった。
校舎を建てる間もなく、精霊シルヴァンが僕に任せてよと腕を振るう。
「主、堅苦しいレンガの建物なんて必要ないよ。精霊と共生する術を学ぶなら、ここが最高の教室だ」
シルヴァンが指を鳴らすと、巨大な樫の木々が生き物のように枝を編み上げ、木漏れ日が優しく差し込むドーム状の天然の教室が形作られた。床には柔らかな苔の絨毯が敷かれ、座るだけで心が浄化されるような香りが漂っている。
「すごいわ、シルヴァン。これなら子供たちもリラックスして学べるわね」
「当然だよ。僕が特別に、集中力が増す精霊の粉を混ぜた風を流してあげる。まあ、あっちで不気味にノートを広げている公爵には効かないみたいだけどね」
シルヴァンの視線の先には、子供たちに混じって特別に用意された一番前の席に堂々と座るアルヴィン様の姿があった。
「アルヴィン様。本当に座っていらっしゃるのですね」
私が教壇に立つと、アルヴィン様は背筋をぴんと伸ばし、鋭い眼光で私を注視していた。隣に座る六歳の少年が、圧迫感に耐えきれず小刻みに震えている。
「当然だ。リリアーナ先生、講義を始めてくれ。私は一言一句聞き逃すつもりはない。おい、隣の小僧、視界を遮るな。死にたいのか」
「アルヴィン様。子供を脅さないでください」
私が叱ると彼は、
「すまない、つい教育熱心になりすぎた」
と不器用に言い訳し、姿勢を正した。
授業が始まり、私は子供たちに魔力は心の鏡であるということを伝えた。
「魔力に良いも悪いもありません。それを使う人の心が、光にも闇にも変えるのです。ステラ様のように、憎しみや嫉妬で力を振るえば、それは魔獣を呼び寄せる毒になります。でも、誰かを守りたいという愛があれば」
私が手に小さな光を灯すと、子供たちの瞳が輝いた。
そのとき、一番前のアルヴィン様が勢いよく挙手する。
「質問だ、リリアーナ先生。愛があれば力が強まるという理論は、夫から妻への執着心や独占欲も含まれるのか。君への愛だけで、帝国一つを灰にできる自信があるのだが」
「それは愛ではなく暴走です、アルヴィン様。座っていてください」
子供たちからは、
「公爵様、かっこいいけど怖いね」
「聖女様、大変そう」
といった小声が漏れたが、授業自体は和やかな雰囲気で進んでいった。
しかし平和な時間は一瞬の不協和音によって破られた。一人の生徒が突然に予測もしなかった行動に出た。
「死ね、偽りの聖女」
少年が隠し持っていた魔力暴走の呪石を私に向けて投げようとしたのだった。
会場の空気が一瞬で凍りついた。
少年の腕は、影から伸びた黒い鎖によって完全に固定されていた。
立ち上がったのはアルヴィン様。瞳には、授業中の可愛い弟子の面影など微塵もなく、絶対的な死を司る公爵の冷徹さが宿っていた。
「リリアーナの教壇を、汚れた手で触れようとしたな。貴様の魂が何色か、今ここで引きずり出して確かめてやろう」
「アルヴィン様、待ってください」
私は少年の前へと歩み寄る。少年は恐怖に顔を歪め、絶望に震えていた。
私は、呪石を握りしめていたその手を優しく包み込む。
生徒の中に紛れていた、少し年齢の高い十歳ほどの少年。彼はエリオット王子が密かに送り込んだ、帝国の特殊工作員として訓練を受けたスパイだったと判明した。
「怖かったわね。エリオット王子に、こうしなければ家族を殺すとでも言われたの」
「失敗した!」
「あなたの魔力から、悲しい涙の匂いがしますもの」
私は少年の手にある呪石へ光を注いだ。
どす黒かった石は、浄化の力によって瞬く間に透き通った水晶へと変わり、砕け散る。少年の中に刻まれていた服従の呪印も、光の中に溶けて消えていった。
「リリアーナ、そんな甘い顔を」
「アルヴィン様、彼も被害者です」
「ごめんなさい」
「ボク、もう大丈夫よ。ここはあなたの場所。誰もあなたを縛り付けたりしないわ」
少年は私の胸の中で、声を上げて泣き崩れた。
スパイとして育てられた少年の心が、初めて愛という光に触れた瞬間だった。
事件の後、少年は改めて私の学校の生徒として、本名で入学することになった。
アルヴィン様はリリアーナを狙った事実は消えないと不機嫌そうにしていた。
「彼を立派な騎士に育てて、アルヴィン様の部下にするのはいかがですか」
と提案すると、
「ふむ、私の直属で地獄の訓練に耐えられるなら考えてもいい」
と、少しだけ表情を和らげた。
子供たちが帰り、静かになった場所で、シルヴァンが木の上から降りてくる。
「主、お疲れ様。君のやり方は甘いけど、確かに誰も真似できないね。あのスパイの少年、今じゃ君の信奉者だよ。公爵にとっては、また一人恋敵が増えちゃったかな」
「シルヴァンもその一人として数えてやろうか」
アルヴィン様が私を背後から抱きしめ、独占欲をあらわにする。
「教育とは、恐ろしいな。君に触れた者たちが、皆、君の色に染まっていく。忘れるな。君を一番最初に、一番深く愛している」
「分かっていますわ、アルヴィン様。私の最初で最後の旦那様」
私が微笑んで彼の頬に手を添えると、アルヴィン様は満足げに目を細めた。
学校という光の拠点ができたことで、公爵領の未来はさらに盤石なものとなった。
幸せを私だけのものにするのではなく、次の世代へと繋いでいく。
それこそが、私に与えられた本当の聖女の役割なのだと、森のざわめきの中で深く実感していた。




