25話
第25話 深緑の浸食と、守護者の綻び
王都での騒動を終え、私たちはラザフォード公爵領へと戻ってきた。
そのはずだったのに。
領地の境界を越えた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
「なに、これ」
空気がおかしい。私が浄化したはずの森が、どこか濁っている。
光が、鈍い。
「リリアーナ?」
隣でアルヴィン様が眉をひそめる。
「顔色が悪い。無理をさせすぎたか」
そう言って、私の額に手を当ててくる。
あたたかい魔力が流れ込んできて。
でも、違う。
「違います」
私は首を振った。
「私じゃない森が、泣いてるんです」
その瞬間。
アルヴィン様の目が、すっと細くなる。
そして私は、もうひとつの異変に気づいた。シルヴァンが、いない。
いつもなら、真っ先に迎えに来るのに。
胸騒ぎが、一気に強くなる。
「アルヴィン様、私」
「待て」
制止の声。
でも、止まれなかった。
「ごめんなさい!」
私は馬車を飛び出した。
庭に出た瞬間、息を呑む。
「うそ」
花が枯れている。
木々も、弱っている。
あの美しかった庭が見る影もない。
「シルヴァン!!」
叫ぶ。
すると、かすかな声が返ってきた。
「主こっち」
奥へ走る。
そして見つけた。
大樹の下で、崩れるように座り込むシルヴァンを。
「シルヴァン!」
駆け寄る。
抱きしめた瞬間、息が止まりそうになった。
冷たい。彼の体は、異様なほど冷えていた。
しかも肌に、黒い紋様が浮かんでいる。
「ごめんね主」
弱々しい声。
「邪気が、水脈から来たんだ僕が、止めようとして」
そこで息が途切れる。
「少し、やりすぎちゃった」
苦笑するその姿に、胸が締めつけられる。
「そんな!」
もっと強く抱きしめた、そのとき。
「離れろ」
低い声。
振り返ると、アルヴィン様が立っていた。
明らかな殺気をまとっている。
「その精霊には呪いが混ざっている。触れれば君まで汚染されるぞ」
「でも、このままじゃ!」
言葉が震える。
「シルヴァンが消えてしまいます!」
一瞬の沈黙。
アルヴィン様の表情が、わずかに歪む。
「森の核はどこだ」
「命の泉です!」
「行くぞ」
短く、それだけ言った。
森の奥へ向かう途中。
シルヴァンはほとんど歩けなかった。
「主」
体重を預けてくる。
仕方なく支えると。
「温かい」
首元に顔を寄せられる。
「このまま寝たい」
「ちょ、ちょっとシルヴァン!?」
距離が近い。
近すぎる。
「離れろ」
ドスの効いた声。
次の瞬間。
「貴様ぁ!!」
アルヴィン様がキレた。
シルヴァンの襟を掴み、無理やり引き剥がす。
「何をしている!!」
「アルヴィン様、ダメです!」
慌てて止める。
「今は刺激したら危険です!」
ぎり、と歯ぎしり。
でも、手は止まった。
代わりに。
「貸せ」
シルヴァンを自分の肩に担いだ。
「えっ」
一瞬、思考が止まる。
あのアルヴィン様が?
シルヴァンを?
「勘違いするな」
低く呟く。
「これはリリアーナのためだ」
シルヴァンがくすっと笑った。
「素直じゃないね、公爵」
「黙れ」
空気は最悪。
でも助けてくれるんだ。
胸が少しだけ温かくなる。
たどり着いた泉は、すでに異様だった。
黒い泥。
腐った気配。
明らかに普通じゃない。
「下がっていろ」
アルヴィン様が前に出る。
剣を抜いた瞬間、空気が震えた。
闇の魔力が溢れ出す強い。圧倒的に。
その力で、道をこじ開ける。
「今です!」
私はシルヴァンを座らせる。
そして手を当てた。
「浄化」
光が溢れる。
止まらない。
体の奥から、全部引き出される。
「ああ主」
シルヴァンが息を漏らす。
「気持ちいい」
「ちょっと、変なこと言わないで!」
でも、力が抜ける。
倒れそうになった瞬間だった。
抱きとめられた。
シルヴァンの腕に。
「離れろ」
背後で殺気が爆発した。
「その手をどけろ」
振り向かなくてもわかる。
めちゃくちゃ怒ってる。
「あとで殺す」
「今はやめてください!!」
叫ぶ。
その間にも、浄化は続く。
光が広がり
黒を消していく。
やがて。
静けさが戻った。
泉は透明になり、森も息を吹き返す。
「終わった」
その場に座り込む。
疲れた。
でも。
「助かったよ、主」
シルヴァンが笑う。
もう、いつもの顔に戻っていた。
次の瞬間。
ぐい、と引っ張られる。
「こっちだ」
アルヴィン様に抱き寄せられた。
「消毒が必要だ」
「しません!」
即答した。
でも少しだけ、安心する。
「ありがとう、アルヴィン様」
そう言うと、彼は少しだけ目を逸らした。
「当然だ」
短い返事。
でも、耳が少し赤い。
その夜。
私はベッドから出してもらえなかった。
「リリアーナ」
耳元で囁かれる。
「あの精霊に触れられた場所、覚えているか?」
「もう、アルヴィン様」
「忘れろ」
強い声。
「君に触れていいのは、私だけだ」
指先に口づけが落ちる。
熱い。
逃げられない。でも嫌じゃない。むしろ、安心する。
「愛しています」
自然に言葉が出た。
「私の光は、あなたのものです」
一瞬の沈黙。
そして。
「ああ」
低い声。
「知っている」
そのまま、強く抱きしめられた。
外では、シルヴァンの気配がする。
森はもう、元通りだ大丈夫、そう思えた。
この人たちがいる限り。
私は、きっと守られる。




