22話
第22話 嵐の前の甘い休息
北の空から漂うエリオットの不吉な予感。それは確かに私たちの心に影を落としましたが、だからこそアルヴィン様は今、この瞬間の私を愛することに情熱を注いでくれる。
「今日は一切の執務を休止する。執事セシルには、火急の用件以外でこの中庭に足を踏み入れるなと言い渡してある」
「いったい、何をする気ですか」
「見ればわかる」
「はあ」
雲ひとつない青空の下、公爵邸のプライベートガーデン。
アルヴィン様が用意させたのは、最高級の絹を敷き詰めたピクニックシートと、私の大好きなベリーのタルト、彼自らが淹れた香り高い紅茶。いつの間にか、こんな準備を。
「あの、アルヴィン様。休息と言いつつ、さっきから私の膝を枕にして動かないのは、公爵としていかがなものかと」
「いいんだ。君の膝の上は、帝国最高の寝椅子よりも心地いい。それに、こうして君の香りを吸い込んでいないと、昨日の氷像の不快感が浄化されないんだ」
アルヴィン様は私の太ももに顔を埋めるようにして、深く息を吐く。漆黒の髪が私の指先に触れ、熱い体温がドレス越しに伝わってきます。戦場では死神公爵と恐れられる彼が、私の前でだけ見せる、無防備で独占欲の強い姿。安らかなティータイムになりそうにない。
「主、公爵の相手ばかりしてないで、僕が持ってきたこの水も飲んでよ。今朝、森の奥で一番澄んでいた雫を精製したんだ」
ふわり、と風が吹き抜け、私たちの頭上にある大きな藤の木の枝からシルヴァンが姿を現しました。彼は軽やかに、透き通るようなクリスタルの瓶を差し出します。
「シルヴァン、ありがとう。でも、アルヴィン様が不機嫌になるから、そんなに急に現れないでね」
「不機嫌? ああ、膝枕に夢中な男のことかい? 彼は独占欲が強すぎて、主の周りの空気まで全部自分のものだと思い込んでいるみたいだね。そんな重たい枕、僕の風で浮かせてあげたい」
「シルヴァン、あと一言喋ったら、その藤の木を薪にして暖炉にくべてやろうか」
アルヴィン様が、膝枕の状態のまま片目を開けてシルヴァンを睨みつけました。
「おやおや、怖いね。僕はただ、主の魔力が健やかに保たれるよう手伝っているだけだよ。主、見て。君がさっき笑ったから、この周りの花たちが一斉につぼみになった」
「あら、つぼみがあるわね」
「主の能力です」
シルヴァンが指を鳴らすと、私たちの周囲に咲く色とりどりのバラや百合が、生き物のようにこちらを向いて一斉に開花した。甘い香りが、二人いえ、三人を包み込みます。
「綺麗。アルヴィン様、見てください。領地が、こんなに美しくなってます」
私はアルヴィン様の額にかかる髪をそっと撫でました。呪いに侵されたことのある、灰色だった土地が、今は私の光と、彼ら二人の守護によって輝いている。
「綺麗だ。でも花より君しか映っていない。リリアーナ、君が笑うたびに、心にある闇が消えていくんだ。同時に、君を領地から、いや、腕の中から一歩も出したくないという新しい闇が生まれるんだ」
アルヴィン様は起き上がると、私の腰をぐいと引き寄せ、額を合わせました。
「エリオットが生きているなら、奴が楽園を視界に入れることさえ許さない。君の笑顔を、あんな屑の記憶に残しておくことすら、耐え難い屈辱だからな」
「アルヴィン様、考えすぎですよ。私は、ここにいます。あなたの隣に、ずっと」
私が彼の頬に手を添えると、アルヴィン様は飢えた獣のような切実さで私の掌に口づけをしました。
「主、公爵の愛は相変わらず重たいね。僕も少しだけ、彼の気持ちが分かるよ」
シルヴァンが木から降り、私たちの三歩手前、アルヴィン様が決めた邸内立ち入り禁止ラインのギリギリで膝をつきました。
「君の光は、あまりに純粋で、触れるものすべてを狂わせてしまう。僕だって、精霊でなければ、君を森の奥深くに隠してしまいたいと思っていたかもしれない。だからこそ、僕が君の影として、どんな毒も近づけないように守り抜くよ」
シルヴァンのエメラルド色の瞳があるので、私は安心していられるのよね。たまにはこうしてティータイムもいいわね平和で。
私たちは、迫り来る脅威を忘れ、午後の時間を穏やかに過ごしました。
アルヴィン様が私のためにタルトを小さく切って食べさせてくれる。本気で雛鳥のように扱われました。シルヴァンが奏でる竪琴のような風の音が、私たちの周りを優しく回っています。
「ねえ、アルヴィン様。シルヴァン。私は、幸せです」
ふと口から出た言葉。婚約破棄され、絶望の中でこの地に来たあの日には想像もできなかった、贅沢な光景だったから、つい出た言葉だった。
「同じだよ。君に出会うまで、自分が生きている意味さえ知らなかった」
「僕もだよ、主。退屈だった永遠の時が、君に出会ってから変わり始めたんだ」
二人の異なる守護が、私という存在を媒介にして、奇跡的なバランスで調和していました。しかし穏やかな時間は、北の果てで膨れ上がる黒い嵐を、より一層際立たせるものなら、安心は今だけかもな。
「休息は今日で終わりだ。明日からは、さらに防衛を固める。君が眠っている間も、君の指先を離さない。いいかい?」
アルヴィン様の言葉は、もはや誓いではなく、絶対の契約。私は彼の首に手を回し、自分から唇を重ねました。
「ええ。私も、あなたを離しません。一生かけて、あなたを愛し抜きますわ」
窓の外でシルヴァンが静かに木々の結界を強める気配を感じながら、私はアルヴィン様の熱い腕の中で、深く、甘い眠りへと誘われていきました。
来るべき決戦を前に、私たちが共有する最強の力となって、公爵邸を黄金色の輝きで包み込んでいました。




