19話
第19話 蜜月の包囲網
公爵邸を襲った無色の毒の未遂事件以来、ラザフォード公爵領の警戒態勢は、もはや一つの国家が戦争に備えるレベルにまで引き上げられていました。特にアルヴィン様の過保護ぶりは、もはや溺愛という言葉では生ぬるい領域に達しています。
「あの、もうお昼過ぎですよ。書類が山積みだとセシルさんが泣きそうな顔で扉の外に立っています」
私は、天蓋付きの大きなベッドの上で、アルヴィン様の腕の中に完全に閉じ込められていました。彼は、私が毒の影響で体調を崩していないか確認するという名目で、朝から一度も私を解放してくれません。内部にまだ裏切り者がいるかもとして、警戒が凄い。
「セシルなら、泣かせておけばいい。リリアーナ、まだ少し指先が冷たい気がする。魔力を直接流し込んで、末端まで温め直さなければ」
「それはさっきも聞きましたっ。あ、ん、アルヴィン様!」
首筋に落とされる熱い口づけ。彼の指先が、私の肌の上を滑るたびに、体の奥底から甘い痺れが広がっていきます。毒の心配など、彼の愛の熱に比べれば微々たるものだ。
コンコン、と窓を叩く音が響いた。
「主、いい加減に起きたらどうだい。公爵の独占欲に付き合っていたら、君の貴重な太陽の時間が無駄になってしまうよ」
窓の向こう、庭園の木々の枝に腰掛けた精霊シルヴァンが、呆れたような、どこか楽しげな声で呼びかけてきました。
アルヴィン様はピクリと眉を動かし、私を抱きしめる腕の力を強めました。
「またあいつか。無視しなさい。精霊にはプライバシーという概念がないらしい」
「でも、シルヴァンが呼んでいますし。それに、今日の薬草園の様子も見に行きたいんです」
「薬草園なら、窓から見ればいい。シルヴァンは、邸内への立ち入り禁止は、視線も含まれると理解しろ。今すぐ枝を自ら切り落として、森の奥へ消えなさい」
アルヴィン様がベッドから上半身を起こし、窓に向かって威圧的な魔力を放ちます。シルヴァンは涼しげに笑い飛ばしました。
「残念ながら、この木も僕の一部なんだ。主、今日は君の魔力に反応して、珍しい月光草が昼間から花を開かせたよ。公爵の重苦しい愛に押し潰される前に、僕と一緒に空気を吸いに行こう」
「誰が重苦しいのかな。リリアーナ、行かなくていい。草なら、根こそぎ抜いてここに持ってこさせよう」
「そんなことしないでください! 二人とも、もう!」
私はアルヴィン様の腕をすり抜け、ベッドから飛び降りました。鏡に映る自分の姿を見ると、首筋や肩には、アルヴィン様が刻んだ独占の痕がいくつも残っていて、顔が火が出るほど熱くなります。
昼食後、ようやく重い腰を上げたアルヴィン様と共に、私たちは拘束された内通者の取り調べ報告を受ける。
執事セシルさんが差し出した報告書には、衝撃の事実が記されていました。毒を撒いた男に指示を出していたのは、王国の貴族連合だけではなく、エリオット王子と裏で繋がっていた、帝国の魔導教団の生き残りだったのです。
「教団の残党か。彼らは、リリアーナの浄化の力を反転させ、世界を再び混沌に陥れるための黒い聖女へと作り替えようとしているようです」
セシルさんの声が、室内の空気を凍りつかせます。
「黒い聖女? 私を、そんなことに利用しようと」
私は自分の手を見つめる。この力は、誰かを救い、アルヴィン様を癒やすためにあるはずなのに。別の目的に利用させようとしているのか。
「絶対に、させない」
アルヴィン様の声は、地を這うような怒りに満ちていました。
「リリアーナを道具のように扱う不届き者には、死よりも深い絶望を与えてやる。セシル、教団の潜伏先を特定しろ。一人残らず、呪いにしてくれる」
アルヴィン様の瞳が、死神公爵そのものの輝きを帯びました。その時、窓の外の庭園から、シルヴァンの静かな声が響きました。
「公爵。君が怒りに身を任せて闇に落ちれば、主の浄化が追いつかなくなる。教団の索敵は、僕たち精霊が得意とするところだ。主を守るためなら、僕も力を貸そう」
シルヴァンは窓越しに、一本の鋭い茨の矢を差し出しました。
「先端には、微かな闇の波動を察知するための、精霊の鱗粉が振りかけられています」
「むむむ、守るのは不満だが、今回は君の力を借りることにしよう、精霊」
アルヴィン様とシルヴァン。私を巡って火花を散らす二人が、私を守るという一点において、初めて奇妙な共闘体制を組んだ瞬間でした。
その夜。アルヴィン様は出陣の準備を進めながら、私を強く壊れ物を扱うように抱きしめました。
「リリアーナ。明日、私は教団の拠点を叩きに行く。君はここで、シルヴァンの結界と騎士団に守られていてほしい」
「アルヴィン様。気をつけてください。あなたの心が、憎しみに染まらないように」
私は彼の胸元に顔を埋め、祈るように魔力を送りました。アルヴィン様は私の髪を優しく撫で、耳元で深く言いました。
「大丈夫だ。君という光がある限り、闇に迷うことはない。帰ってきたら、今日できなかった分の愛の補給をたっぷりとしてもらうからね」
「もう、こんな時まで」
私が赤くなって見上げると、彼は満足そうに微笑み、私の唇を熱く塞ぎます。窓の外では、シルヴァンが巨大な樹木の枝を屋敷の壁に、物理的な鎧のように公爵邸を包囲していました。守ってくれて、ありがとうね、シルヴァン。夫とは仲良くしてね。
「主。公爵が行っている間、君の隣を空けておくのは僕の役目だね。邸内には入らないけれど、君の溜息一つ、見逃さずに守ってあげるよ」
アルヴィン様は、幸せを絶対に守り抜くという決意の響きを帯びていました。迫り来る教団の影。最強の執着を持つ夫と、最強の献身を持つ精霊がいる限り、私の楽園が簡単に崩れることはありません。




