第13話 蜜月の帰還
第13話 蜜月の帰還
ロセッティ王国での騒乱を背に、私たちは再び楽園へと戻ってきました。馬車が領地の境界を越えた瞬間、窓の外に広がるのは、私の魔力を吸って黄金色に波打つ草原と、帰るのを待っていた領民たちの歓声でした。車内の空気はそれらとは対照的に、甘く、濃密で、逃げ場のない熱を帯びていました。
「あああ、アルヴィン様。もう領地に入りましたよ。そろそろ膝から下ろしていただかないとセシルさんが見ています」
私は赤くなった顔を伏せ、アルヴィンの胸元を弱々しく押し返しました。彼のたくましい腕は、まるで鋼鉄のベルトのように私の腰をしっかりと固定したまま離しません。恥ずかしい。
「いいや、下ろさない。ロセッティで君を別の男に触れさせそうになった代償は、まだ払い終えていないだろう?」
アルヴィン様の紫の瞳には、独占欲が渦巻いていました。彼は私の耳たぶを甘噛みし、そのまま首筋へと深く顔を埋めます。いつもよりも溺愛です。
「君を他国へ連れて行くなどという愚かな判断をした自分を呪いたい。リリアーナには、もう二度と外の世界など見せたくないんだ」
もう屋敷に閉じ込めるくらいの勢い。屋敷に到着するなり、アルヴィン様は私を歩かせることさえ拒みました。
横抱きにしたまま、大勢の使用人たちが並ぶ玄関ホールを突き進み、そのまま最上階にある公爵専用の寝室へと直行したのです。
「旦那様、リリアーナ様、おかえりなさいませ?」
使用人さんの挨拶さえ背中で聞き流し、バタンと大きな音を立てて扉が閉まりました。カチャリと内側から鍵がかけられる音が響きます。
「アルヴィン様。お仕事があるのでは」
「そんなものはセシルに任せた。君を公爵の色で染め直すこと以上に重要な執務など存在しない」
彼は私をふかふかのベッドへ投げ出すように下ろすと、自らの上着を脱ぎ捨て、私の上に覆いかぶさってきました。
帝国での戦い、ロセッティ王国での嫉妬。それらが彼の中の飢えを加速させていたらしい。助けてくれたし、本当に嬉しいのだけどね。
「リリアーナがルカ王子に微笑みかけた瞬間、私はこの手で彼の国を滅ぼそうと思った。君が腕の中から一歩でも出ようとするなら、足を鎖で繋いででも、ここに留めておきたいと思ってしまったんだ」
彼の告白は、恐ろしいほどに重く、震えるほどに甘いものです。甘すぎますね。
私は逃げるどころか、彼の首に自ら手を回し、引き締まった背中に爪を立てました。
「なら、そうしてください。私は、アルヴィン様以外の人の目に触れたいなんて、一度も思ったことはありませんから」
「なっ、リリアーナ。君という人は!」
理性の糸が切れる音が聞こえました。重ねられる唇は、呼吸さえ奪うほどに執拗で。
私の浄化の魔力が彼を包み込み、彼の呪いにも似た愛執が私の心を満たしていく。
世界で二人きりしか存在しないかのような、究極の密室劇のよう。やっぱり屋敷が一番いい。
三日三晩と言っても過言ではないほど、寝室に閉じ込められていた私たちがようやく姿を現したのは、セシルさんの、
「流石に公爵閣下、隣領との通商条約の署名期限が切れます」
という切実な訴えがあった後でした。
「ふぅ。リリアーナ、顔色は良さそうだね。むしろ、以前より艶が増したように見えるよ」
執事セシルさんの困惑するような視線に、私はティーカップに顔を突っ込みたいほど赤くなりました。執事さんは、こいつらいつまでやっているのだと思っているかもな。
「セシル。無駄口を叩く暇があるなら、書類を持ってこい。リリアーナが寂しがらないよう、一秒でも早く終わらせる」
アルヴィン様は不機嫌そうに言いながらも、私の手をテーブルの下で離そうとしません。そんな中、新しい報告が入りました。
私がロセッティ王国で浄化を行った際、影響で領地内のリリアーナ・リリーから、今までになかった輝きを放つ蜜が採取されたというのです。
「蜜を加工したお菓子は、一口食べただけで病気が治り、若返りの効果まであると噂になっています。王都や他国からも、喉から手が出るほど欲しがっている商人が列をなしていますよ」
「リリアーナの魔力のお裾分けか。気に入らないな」
アルヴィン様は眉間に皺を寄せました。どうしてかな、喜んでくれるならいいと思う。
「彼女の生み出したものは、本来私がすべて飲み干すべきものだ」
「アルヴィン様、流石にそれは無理があります」
私は苦笑しながら、彼に新しいお菓子を一口、食べさせてあげました。私の影響で新たに蜜が採取できる。予想していなかったな。
「これは、領地の皆さんが幸せになるための力です。アルヴィン様、あなたが守ってくれているこの領地を、もっと豊かにするためのお手伝いをさせてください」
「君がそう言うなら、仕方ない。商談はすべて私を通せ。君に近づこうとする不純な男は、一人残らず排除する」
「はい」
執事セシルさんが返事をした。困った領主で少し気の毒に思えた。
◆
領地では平和で甘い時間が流れる一方、北方の最果てに送られたエリオット王子は、ついに正気を失いつつあった。
「リリアーナ。ああ、リリアーナ。なぜ、君はあんな死神のそばにいるんだ。君は私の妃になるべき女だ。あの光は、あの温もりは、私のものだったはずなのに」
ボロボロの山小屋で、彼はリリアーナの肖像画と言っても、彼が記憶を頼りに描いた歪なものに話しかけていた。
エリオットの周囲には、帝国の残党や、リリアーナの力を利用しようと企む闇の魔術師たちが集まり始めていた。それらが接近していた。
「殿下。公爵領の守りは鉄壁ですが一つだけ、隙があります」
一人の魔術師が耳元でささやく。悪魔のささやきのように。
「公爵の愛があまりに深すぎるがゆえの隙です。彼を狂わせれば、聖女は容易に手に入りましょう」
エリオット王子の瞳に、ドロドロとした暗い光が宿った。どん底にいた気分から一転した。
「そうだ。アルヴィンを殺し、彼女を檻に閉じ込める。今度こそ、逃がさない。そうすれば自分の物にできる」
エリオット王子の陰謀が渦巻いているとは知らず、夜もアルヴィンの腕の中にいた。
◆
彼は私の指先を愛おしそうに眺め、薬指の指輪にそっと触れました。思いつめた顔をしている。
「リリアーナ。明日、領民たちを集めて正式な結婚式を挙げようと思う」
「えっ結婚式、ですか?」
「君を慰謝料として受け取った日から、心の中では君が妻だった。世界に知らしめなければならない。君が魂を分かち合った唯一無二のパートナーであることを。そして、何があっても君を離さないということを形にする」
アルヴィン様の瞳は、今までないほどに澄み渡り、深い愛情に満ちていました。婚約破棄され、絶望の底にいた日。
呪われた公爵と出会い、共に光を見つけた日。すべての道のりが、今日の幸せに繋がっていたのだと、私は確信しました。結婚式をするのに断る理由はない。どこかでずっとこの時を待っていたのかも。
「はい、アルヴィン様。喜んで。私を、あなたの永遠の檻に入れてください」
私が微笑むと、アルヴィン様は力強く抱き寄せ、唇を合わせる。窓の外では、私たちの愛を祝うように、無数の月光花が夜空に向かって光を放っています。
幸せすぎて、死にそう。言葉は、終わりを予感させるものではなく、永遠に続く始まりの合言葉だと思えた。




