第12話
第12話 水の都の甘い視線
ロセッティ王国への遠征準備は、アルヴィン様の執念によって異様な規模へと膨れ上がっていました。当初は少人数の視察の予定が、いつの間にか公爵家が誇る精鋭騎士団を引き連れた、まるで国王の扱いのような大行列になっていたのです。ちょっとやりすぎでは?
「アルヴィン様、流石にこの人数は、ロセッティ王国の皆さんも驚いてしまうのでは?」
「構わない。君という至宝を隣国へ連れて行くんだ。万が一にも、変な虫が寄らぬよう威嚇しておく必要がある」
ふふと思わずため息か出てしまう。アルヴィン様はそう言い切り、豪華な魔導馬車の中で私の指先を一本一本、慈しむように舐め上げました。仕草に君は私のものだという無言の圧力が込められている。
海を越え、たどり着いたロセッティ王国の首都は、街中に張り巡らされた運河に輝く、美しい水の都でした。しかし、馬車を降りた瞬間、私の鼻を突いたのは腐敗した泥のような、不快な匂い。なぜかな? 海のある綺麗な都市なのに。
「これは想像以上にひどいですね」
「ああ。ロセッティの水源は、帝都の騒乱の影響か、あるいは別の何かの澱みが流れ込んだか。深刻な死霊の毒に侵されているようだ」
アルヴィン様が不快そうに顔を歪めます。確かに酷いです。私たちの前に一人の青年が歩み寄ってきた。
「よくぞお越しくださいました。ラザフォード公爵閣下。そして伝説の聖女、リリアーナ様」
「あなたは?」
「ロセッティ王国の第一王子、ルカです」
フェルナンド皇子のような傲慢さも、エリオット王子のような短絡さも感じさせない、穏やかで知性的な瞳を持った人物でした。ルカ王子はひざまずき、私の手を取ろうとします。
「君の美しさは、隣国の水の妖精も嫉妬するほどだ。我が国を呪いから救ってくれるのかい?」
ルカ王子の唇が私の手に触れる寸前。横から伸びてきたアルヴィン様の鉄のような腕が、王子の手首をガシッと掴みました。
「王子の挨拶はそこまでで結構だ。妻に触れる権利があるのは、世界で私ただ一人だ」
アルヴィンの全身から、冷酷な魔力が放たれ、周囲の運河の水面がパキパキと凍りつき始めます。
ルカ王子は驚きに目を見開きましたが、すぐに優雅な笑みを浮かべて手を引きました。ごめんなさいね。
「失礼。噂以上の守護獣を連れてこられたようだ」
はい、そうです。
ルカ王子の案内で、私たちは王国すべての水源を司る大聖杯の泉へと向かう。泉は透明な水があったはずの場所ですが、今はどす黒い水が泡を吹き、周囲の植物はすべて枯れ果てていました。予想よりも酷いわ。
「リリアーナ。無理をする必要はない。君が少し祈るだけでいいんだ」
アルヴィン様が私の背を支えます。彼の魔力が私の背中から流れ込み、浄化の力を増幅させてくれるのを感じす。
「大丈夫です。この子たちは、ただ苦しんでいるだけですから」
私は泉の縁に立ち、両手を広げました。胸の奥から、溢れ出すような温かい光。
アルヴィン様に愛されることで育まれた、誰かを救いたいという純粋なエネルギーを注ぐ。私が役に立つのなら頑張る。
「清まれ、命の源よ」
私の指先から、眩いばかりの純白の流れが泉へと注ぎ込まれました。
見るからにどす黒い水が光に触れた瞬間、パァンという高い音を立てて弾け、みるみるうちに底まで見通せるほどの透明感を取り戻してます。成功したようです。
「な、なんという光だ!」
「見ろ! 運河の水が」
「街全体の水が、輝き始めている!」
騎士たちや神官たちが驚きの声を上げます。
私の魔力は水を通じ、都中に張り巡らされた運河の隅々まで行き渡り、枯れていた街路樹を一瞬で開花させました。魔力を大量に消費したせいか、ふらふらする。
浄化を終え、ふらりとよろけた私の体を、アルヴィン様が強く抱き寄せます。
「リリアーナ! よくやった。これ以上は許可なく力を使うな。君の魔力を独占する」
彼の独占欲は、もはや信仰に近いものになっていました。この様子を遠くから見ているだろうルカ王子の瞳には、喜んでくれていると思う。
夜になった。ロセッティ王城で大規模な晩餐会が開かれる。私の成果によるもので、祝うそうだ。
私はアルヴィン様が用意してくれた、水をイメージした淡いブルーのドレスを着ている。彼の隣に並ぶと、会場中の視線が私たちに突き刺さります。
「リリアーナ様、素晴らしい奇跡をありがとうございました」
「どうか、一口だけでも私と踊っていただけませんか?」
次々と貴族たちが詰めかけますが、毎度のようにアルヴィン様が、
「近づく者は殺す」
というオーラに、誰もが腰を引かせます。
「リリアーナ。一瞬でも君を一人にさせたくない。このまま君を抱えて、宿舎へ戻りたい気分だ」
「ふふ、アルヴィン様。わがままを言わないでください。国王からの誘いなんですからね」
私が微笑んで彼の胸元に手を添えた時でした。
「公爵閣下、父上が別室でお話をしたいと仰っております。外交上の重要な話ですので、リリアーナ嬢には、こちらで私がエスコートを」
ルカ王子が再び現れました。アルヴィン様は一瞬、疑いのような顔をしましたが、王の招きを断るわけにもいかず、私をきつく抱きしめた後、耳元で言いました。
「五分だ。五分以上君から離れるなら、城ごとこの国を凍らせる。いいかい、絶対にルカの誘いに乗るんじゃないぞ」
「はい」
アルヴィン様が別室へ消えた直後、ルカ王子の空気が一変しました。ルカ王子は何を考えているのかな。
彼は私の手を取り、強引にバルコニーへと連れ出しました。
「リリアーナ様。君のような神の奇跡を、あのような暴力的な公爵に独占させるのは忍びない。どうだい、ロセッティ王国に留まらないか? 公爵が君を愛しているのは、君の奇跡の力が欲しいからだけだ。私なら、君を真の王妃として迎えよう」
ああ、そういうことでしたか。
「お断りいたします、ルカ王子。あなたは何も分かっていません」
私は冷たい目で見返しました。
「アルヴィン様は、私が無能だと言われていた時も、私の隣にいてくれました。彼が愛しているのは私の力ではなく、私自身です。私も彼の愛にこそ、生きる意味を感じています」
これで、あきらめるでしょう。
「ふん。ならば、力尽くでも君を頂くことにしよう」
しつこい! ルカ王子が合図を送ると、バルコニーが魔法の障壁で囲まれました。結界?
「この結界は、どんな強大な魔力も通さない。公爵が気づく頃には、君を秘密の地下宮殿へ……」
言葉が、最後まで紡がれることはありませんでした。
ドォォォォン!!
轟音と共に、結界が内側からではなく、外側から物理的に粉砕されたからです。
そこには、全身からあふれるほどの漆黒の魔気を放ち、瞳を紅く染めたアルヴィン様が立っていました。
「五分経ったと言ったはずだ」
アルヴィン様の足元から伸びた影が、ルカ王子の喉元を掴み、宙へ吊り上げました。
「リリアーナに、触れようとしたな? 愛すると言ったな? 万死に値する」
「あ、アルヴィン様! やめてください! 彼は一国の王子です!」
殺したら大変。私は慌てて彼の背中にしがみつきました。浄化の光が彼に触れると、アルヴィン様の瞳から少しずつ狂気が消えていきます。これで落ち着くかな。
「リリアーナ。君が止めるなら、こいつの命だけは助けてやろう。ロセッティ王国への浄化は、この瞬間をもって終了だ。帰るぞ。リリアーナを、二度とこんな汚らわしい場所へは出さない」
アルヴィン様は私を奪い去るように抱き抱えると、晩餐会の会場を真っ二つに割りながら、堂々と退場しました。
宿舎に戻る馬車の中。
アルヴィン様は私を自分の膝の上に押し付け、狂ったように唇を奪いました。今日はいつもよりも激しい。私が奪われそうになったからか。
「あ、ん、アルヴィン、様、苦しいです」
「黙ってて。君が悪いんだ。あのような男に、一瞬でも隙を見せるから。君は腕の中にだけいればいいんだ」
彼の指が、ドレスの肩を乱暴に引き下げました。首筋に深く、昨夜よりももっと濃い印が刻まれます。
それは、他の誰にも触れさせないという、彼なりの執着の結界。
「リリアーナ。君を公爵領の奥深くに、一生閉じ込めてしまいたい。いいだろ? 君も望んでいると言ってくれ」
私は、彼の熱い胸板に顔を埋め、小さく頷きました。独占欲という名の監獄。でも私にとって、世界で一番甘くて安全な居場所なのですけどね。
「はい。私は、あなたの檻の中から、二度と出ません」
幸せすぎて、死にそうの言葉は、もう決まり文句のようになっていました。
私たちの蜜月は、誰にも邪魔されない。私たちの楽園にするために。




