第10話
第10話 新妻の初仕事
帝国での激闘から日が過ぎた。ラザフォード公爵領は、以前にも増して輝かしい緑と生命力に満ち溢れていましす。神聖オーギュスト帝国の圧政から解放された周辺の小国や、移住を希望する人々が絶えず、領地は今や地上の楽園として名をとどろかせています。
そして私、リリアーナはどうなったか。
「あ、あの、アルヴィン様。いい加減に執務室へ戻ってくださいませんか?」
現在、公爵邸の裏庭に新設された薬草研究所。私はここで、領民たちのための新しい薬の開発をしていたのですが。腰には、さっきから大きな重石がくっついて離れてくれません。アルヴィン様です。まあ幸せですので、私も拒否はしません。
「嫌だと言ったら? 体はリリアーナ不足で枯渇しかけている。帝都での無茶があって、まだ魔力の回路が不安定なんだ」
背後から私を抱きしめ、首筋にスリスリと顔を寄せているのは、我が夫アルヴィン様。
死神公爵の面影はどこへやら。私と二人きりの時、あるいはセシルさんの前でさえ、彼は驚くほど甘えん坊で、独占欲の塊になっていました。困った大人です。
「魔力が不安定なら、なおさら安静に執務室でお仕事をしてください。隣でずっとクンクンしていても治りませんよ!」
「治るさ。君の香りと体温こそが、体にとって最高の浄化剤なんだから。ああリリアーナ。君は今日も、陽だまりのような甘い匂いがする」
ぐいっと抱き寄せられ、私は彼の膝の上に横向きに座らされる形になりました。研究所の職員たちが遠くで、
「また始まった」
と言ってる。あきれた顔をして、気を利かせて退散していくのが見えます。恥ずかしいけど、一緒にいたい。
「ところで、リリアーナ。今日は君に渡したいものがある」
アルヴィン様が少しだけ真面目な顔になり、懐から小さな小箱を取り出しました。なんでしょう?
蓋を開けると、そこにあったのは。
「これは、領主の印章指輪?」
「シグネットリングとも呼ぶ。君はエリオットから慰謝料としてこの地を受け取ったと言ったね。あんな男からの施しなど、私は認めない。これは夫から妻へ贈る、真の所有権の証明だ」
アルヴィン様は私の左手を取り、薬指に指輪を嵌めました。
銀色に輝く台座には、ラザフォード家の紋章とともに、私の魔力を象徴する小さな百合の彫刻が施されています。綺麗!
「今日から、この地の土一粒、草の一本に至るまで、名実ともに君のものだ」
「アルヴィン様も私のもの?」
「もちろんさ」
指輪から、彼の温かくも力強い魔力が伝わってきます。婚約破棄され、すべてを失ったと思っていたあの夜。
まさか、こんなにも優しく、美しく少しだけ重すぎる愛を注いでくれる人と出会えるなんて。想像もできなかった。
「ありがとうございます。私、領地をアルヴィン様を命を懸けて守ります」
「命を懸けるのはこちらの役目だ。君はただ腕の中で幸せそうに笑っていればいい」
アルヴィン様は私の指先に深く口づけを落としました。瞳には、一生離さないという強い誓いが宿っていました。腕の中で私は思わず笑みがもれてしまう。
そんな甘い時間を邪魔するように、執事セシルさんが苦笑いを浮かべながら手紙を持って現れました。
「旦那様、リリアーナ様。北方の最果ての地、エリオット王子より、一通の親書が届いております」
「エリオットから?」
私が首を傾げると、アルヴィン様の表情が一瞬で氷点下まで下がるのが伝わる。
「捨てておけと言ったはずだが」
「それが、公文書ではなくリリアーナ様への謝罪と、寄付の申し出という名目になっておりまして。中身を確認しますか?」
私は手紙を受け取り、中を読みました。手紙には、極寒の地での過酷な生活を経て、ようやく自分の愚かさに気づいたという、なりふり構わない後悔の言葉が綴られていました。
『リリアーナ、君がこれほどまでの聖女だったとは知らなかった。どうか私を許してくれ。君の浄化の光がなければ、この地の冬は越せそうにない。慰謝料は追加で払う。だから、どうか』
読み終える前に、手紙はアルヴィン様の手によって、黒い炎で燃やし尽くされました。燃やすのね。
「リリアーナ。王子でくだらない男の言葉に耳を貸す必要はない。彼は一生、自分が手放したものの大きさにもだえながら、雪の中で凍えていればいいんだ」
アルヴィン様は私の耳元を食むようにして言います。くすぐったいけど。
「君の光を一滴たりとも、あのような汚れた男に分け与えることは許さない。君の魔力も、涙も、笑顔もすべて欲しいと言っただろう」
「アルヴィン様、少し焼きもちが過ぎませんか?」
「過ぎるさ。君に関しては世界で一番器の小さい男なんだ」
アルヴィン様は私の肩にシーツではなく、いつの間にか用意されていた豪華なガウンを羽織らせると、軽々と抱き上げました。
「セシル、後の仕事は頼んだ。少し聖女様の緊急浄化が必要になった」
「かしこまりました。どうぞごゆっくり、旦那様」
執事セシルさんの慣れた返事を聞きながら、私は、
「もう!」
と彼の胸をポカポカと叩きましたが、アルヴィン様は嬉しそうに笑うだけでした。
寝室へと連れ込まれた私は、ふかふかのベッドに沈められました。窓の外には、魔力で咲き誇る月光花が、幻想的な銀色の光を放っています。
「リリアーナ。君は今、何を感じている?」
アルヴィン様が私のドレスの襟元を緩めながら、熱い吐息を吹きかけます。何をって聞かれたら、あなたしかいませんよ。
彼の長い指が、私の肌の上をなぞるたび、そこから熱が生まれていくのが分かります。
「幸せです。アルヴィン様が、あまりにも私を大切にしてくれるから時々、夢じゃないかって、怖くなる時もある」
「夢なら何度でも現実だと教えてあげるよ。君の柔らかな肌も、高鳴る鼓動も、呼ぶ声もすべてが現実だ」
アルヴィン様の唇が、私の唇を奪いました。昨夜よりも、もっと深く、もっと執拗に。どんだけだけど、嬉しい。
私の魔力が彼を癒やすように溢れ出し、彼の魔力が私を独占するように絡みつくと言葉で表すとそんな風である。
「あ、ん、アルヴィン 様っ」
「もっと呼んでくれ、リリアーナ。君が名前を呼ぶたびに、自分が死神ではなく、ただ君に恋する一人の男になれるんだ」
絡み合う指先。指輪の冷たさが、逆に二人の熱を際立たせる。婚約破棄から始まった私の第二の人生。
それは慰謝料として手に入れた土地よりも、もっともっと価値のある、極上の愛に満ちていました。アルヴィン様より欲しいものはありませんね。
「愛している、リリアーナ。君を、一生離さない」
「私も愛しています。アルヴィン様」
幸せすぎて、死にそう。でも、死なせてもらえない。甘い地獄、いえ、天国は、まだ夜が明けるまで続くのでした。手紙は燃やしたけど、私はもっと熱いです。




