42.【番外編】ある花屋の恋慕の花③
マリーナは店じまいを終えると、夕食にした。朝作り置きしたスープを温め直すと立ち込めた湯気に乗せられ鼻に届いた匂いにお腹が鳴った。
(お腹すいた……)
濃い一日だった。卒業間際の士官学生の一時帰省が始まり、町中が色めき立っていたからだ。
今までに忙しかったと記憶しているのは、二人のオークランス辺境伯令息がそれぞれ街に立ち寄った日と女王陛下が街を散策された日だ。それとは比較にはならないが、それでも日常とはいえないほど忙しかった。体力的に疲れただけではないところが、今回の疲労感につながるのだろう。フィンの存在だ。
フィンは幼馴染といっていいだろうか。近所に住んでいる男の子だった。3つ下のフィンは同じ年頃の男の子と比べると小柄だったせいか、いつもからかわれ遊ばれていた。そのからかいがいじめに発展しないかとひやひやしながら見守っていたマリーナは、フィンの側にいてあげることが多かった。そのためかフィンには特別に懐かれていたように思っていた。後ろをついてきたり、自分を見つけて笑顔でかけよってくる姿がかわいいと思っていた。
しかし、この日会ったフィンはかわいいという言葉が似合わなかった。士官学校入学時には同じ目線だったが、圧倒的に見上げるほどの背丈になっていた。マリーナの成長がとうに止まっていたこともあるが、フィンは男性なのだと痛感した。そして低く響く声に胸は高鳴った。父親を早くに亡くしていたマリーナにとっては日常的に触れていた響きではなく、急に大人を感じてしまったのだ。フィンの両親にもかわいがってもらっていたが、おしゃべりなセルマとは対照的にオロフはあまり発言しない。だからこその特別な響きだった。
「はあ、緊張した……」
高鳴った胸を覚られぬよう会話した。声は上ずっていなかっただろうか。マリーナは一つため息をつく。
男性と接点がないわけではない。基本的には『恋慕の花』の風習のおかげで男女問わず来客がある。とはいえ告白やプロポーズというイベントは男性側から行われることが多い。いつも緊張とともに現れる男性客の目はマリーナを映していない。彼らの心には愛しい彼女がいるのだ。恋慕の花を求めてやってくる男性もそうだ。今まさに声をかけたい女性のために店にやってくる。彼らの目にはマリーナは映らない。だからこそ、店先にやってきた男性にときめく日が来るとは思っていなかったのだ。
フィンは真っ直ぐにマリーナを見つめていた。その目はキラキラと輝いていて、自分の赤らんだ頬がわかるほどに映りこんでいるのではないかと思うほどだった。逞しく鍛え上げられた身体が服の上からわかるほどで、かっちりした騎士服が男らしさを引き立てた。
(かっこよかったな……)
器に盛ったスープの湯気は落ち着き、すすった汁は冷め始めていた。
(私も一本巻きを渡せばよかったかな……。素敵だよって)
今日一日で彼が出会ったであろう女性に負けぬよう印象に残っておけばよかったとマリーナは思うのだった。
翌日、3本の深紅のバラをブーケにした男性が一人の女性を連れて来店した。
「マリーナさん。昨日の報告に来ました」
声の方に振り向き、二人の姿を見たマリーナは笑顔で応えた。
「おめでとう!」
「ありがとうございます」
二人は見つめあうと、マリーナに笑顔を見せてくれた。
「マリーナさん。あの、私にとってマリーナの花は特別に思い入れのある花なんです。それで、昨日のブーケを長持ちというか、長く保管したいのですけれど、方法を教えてくれませんか?」
おずおずと女性がマリーナを見つめる。マリーナははにかんだ。
「気に入ってくれてありがとう。数ある花屋の中から彼が私のお店を訪ねただけなんだけど、これも何かの縁ね」
マリーナは彼女にドライフラワーの作り方を教えた。
「今後も御贔屓に」
マリーナは笑顔で送り出そうとしたが、女性はもう一度マリーナに向き合った。
「あの、私はオロフさんの食堂で給仕をしているんですが……」
「え?」
男性からは食堂の給仕の子だと聞いていたが、その食堂がオロフのお店だとマリーナは初めて知った。
「実はマリーナさんの話はときどき聞いてまして、お店も一人で営んでいてすごいなって」
「あ、そうだったの。ちょっと恥ずかしいわね」
彼女は自分の知人とつながりがあり、さらに噂されていたというのはこそばゆかった。
「あの、それで、昨日初めて息子さんにお会いしまして」
「息子さん? ってフィンのこと?」
「あっ、はい。一時帰省で戻ってらっしゃって。それで、息子さんがいる間に私の婚約祝いの会をしようってセルマさんが言ってくれまして、あの、その会によかったらマリーナさんも来てくださいませんか?」
「えっ!? 私もいいの?」
「はい! 彼ともぜひマリーナさんにも来てもらいたいねって」
二人はまた見つめあっている。その幸せオーラに当てられたわけでもないが、フィンに会いに行く理由もできたことがうれしくて、頬が上気していく。
「では、ぜひ、私も参加させてもらおうかな」
こうしてマリーナはヴィヴィの婚約を祝う会に参加することになった。
三日後、オロフの食堂には主役の二人に縁のある知人らが集められ、店舗貸し切りで婚約を祝う会が開かれた。おいしそうな料理が並べられ、ヴィヴィが好きだというアップルパイは焼き上がりを待つだけとなっていた。
マリーナはこの日のためのとびっきりのブーケを主役の二人にプレゼントした。受け取ったヴィヴィはブーケを抱きかかえ花の香りを吸い込んだ。
「ステキ~! ありがとうございます、マリーナさん!」
オロフの料理は庶民的ながらも本格的な味で人気があり、そこまで裕福ではないマリーナは特別な日にだけ店に足を運ぶ程度だったため、ここぞとばかりにマリーナは料理に舌鼓をうつ。
(ん~! 美味しい!)
お祝いの他にフィンに会えると訪問目的に喜んでいたはずなのに、フィンをそっちのけで料理を楽しむ。それには理由があり、フィンを直視できない恥ずかしさが勝ってしまったからだった。
デザートまでしっかり平らげ、酒を嗜んだマリーナはほろ酔いになってしまい、会がお開きになるとフィンが家まで送ってくれることになった。
「大丈夫? マリーナ。お酒飲める人だった?」
士官学生は卒業後に飲酒を解禁する。学生が未成年であることも一因だ。フィンは飲酒の経験がなく、マリーナと共に酒の場に行ったこともない。マリーナが酒を嗜む姿に驚いていた。
「ん~、弱くはないと思うんだけど、めでたい席だったからかな? それにオロフさんの料理もおいしかったし、いつも以上に飲んじゃったかもしれない。フフフ」
マリーナは酒が入り上機嫌、上気した頬もごまかせるため、ようやくフィンと会話をすることができた。
「心配だな……。家にはおばさんいるの?」
「? ……あっ。そっか。フィンは知らないか。お母さんは2年前に亡くなったのよ。だから今は一人暮らしよ」
「え!?」
フィンがヴァランデルに行っている間に、マリーナは家族を亡くし一人だった。
「あ、だからお家はそっちじゃないよ、お店の方よ。住宅兼お店なの」
母の病死後、コツコツと貯めていた資金で開業となった。
「誰か、支えてくれる人はいたの?」
「ううん。結婚もしてなければ恋人もいないし、ひたすら夢を追いかけちゃった」
「じゃあ、すごく頑張ったんだね。やっぱりすごいよ、マリーナ」
「そうかしら。フフフ」
褒められるのは照れ臭かった。
「でも、何か困ることがあったら、俺を頼って。今までマリーナが守ってくれたように、その恩返しをしたいから。俺がマリーナを守りたいから」
月明かりの下、向かい合うとマリーナは両手をつかまれた。フィンは跪き、マリーナと視線を合わせる。まるで騎士の誓いのような動きに、マリーナは熱を帯びていくのを感じた。
「『俺』? 今まで『僕』だったのに……」
照れ隠しについ、違和感を抱いたところを指摘した。
「マリーナに頼られる男になりたいんだ。俺は騎士になるんだから。もう力も強いよ」
次の瞬間、マリーナの視界が揺れた。
「へ?」
フィンはマリーナを抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこだった。
「ちょっ、フィン!?」
「ほらね? それに酔っぱらいの足じゃ危なっかしくて。ちゃんと家まで届けるから安心して」
月明かりに照らされた、少年から青年へと変貌を遂げた横顔を、マリーナは見つめた。
揺れる心地よさとほろ酔いの気持ちよさ、そしてフィンの温もりに、マリーナは船をこいだ。
「マリーナ、店に着いたよ。鍵はある?」
寝ぼけ眼のマリーナは、言われるがままにフィンに鍵を渡す。
フィンは鍵を開けると部屋に一歩歩みを進めたが、そこでマリーナを降ろす。
「?」
状況を読み込もうとマリーナはフィンを見上げた。
「本当はベッドまで運びたかったけど、一人暮らしと聞いたからね。ここまでにしとくよ。ちゃんと鍵を閉めてから寝てね。おやすみ、マリーナ」
フィンはポンポンとマリーナの頭を優しく叩くと、扉から出ていった。
何が起きたか、何を言われたか反すうしていたマリーナは、事態を飲み込むとヘタリと座り込んだ。
口調こそあの頃のように優しかったが、もう彼は少年ではないとマリーナは理解した。
まだまだ続きます。




