2 幸せの探求
癌だと告げられた。
別に、特別な人生じゃなかったと思う。
小説に出てくるような大事件も、ドラマみたいな確執もない。
普通の家庭に生まれ、普通に学校に通い、普通に就職して。
普通に恋をして、普通に別れた。それが三か月前。
平凡。
でも、それなりに幸せだった。
病院で聞かされたのは、ステージ4。
余命半年。
その瞬間、胸の奥に、小さな疑問が沈んだ。
――これでよかったのかな。
今までの人生に後悔はない。
けれど、あまりにも「何もなさすぎた」
私は会社を辞めた。
治療はしなかった。
両親は泣きながら治療費を工面しようとしたけれど、それは両親の老後のためのお金だ。
もし治るなら老後は私が支えられたが、助からないとわかっているのに、緩和ケアのために全てを使わせるのは嫌だった。
親不孝だとわかっていても、それが私の結論だった。
だから私は、自分なりに残りの時間を生きることにした。
やりたいことは特になかったから、とりあえず日本中を旅してみることにした。
有名な神社。
有名な景色。
有名な絵画。
有名なコンサート。
行って、見て、触れて、確かに心は動いた。
けれど――ふと気づいた。
『誰かが有名にしたものしか、私は追いかけていなかった』
残された時間を、自分だけの『特別』に使っていなかった。
だから旅をやめて、残りの時間を両親と過ごすために家に帰った。
有名じゃなくてもいい。
毎日の会話と少しだけ零れたような笑顔。
そんな小さな幸せを、一つでも多く集めたかった。
癌は若いほど進行が早い。
24歳の細胞は、本来なら命を長く保つための力を持っていたはずなのに、
その活発さが、病を容赦なく加速させていく。
旅をやめて2週間ぐらい経つと、体調はみるみる悪くなっていった。
もう遠くへは行けない。
できるのは、近所を散歩するくらい。
それでも――
ある春の日。
窓の向こうに、空が見えた。
驚くほど青い空だった。
吸い込まれるように澄んでいて、同時に胸に押し寄せる重たさもあった。
その青さは、気持ちよさをくれるはずなのに、なぜか「無理やり与えられている」ような感覚もあった。
ため息をひとつ。
「お母さん、散歩行こうか」
そう言うと、母は少しだけ嬉しそうに笑った。
お気に入りのワンピースを着る。
淡い黄色と白のマーブル模様、ところどころに金糸のような輝きが差してある。
ベルトで締めると裾がふわりと広がり、春の光を受けてやわらかく揺れた。
ゆっくり、ゆっくり歩く。
「このマンション、昔からあったよね」
「いや、それ最近できたのよ」
母の『最近』は、私が小学生の頃の話だ。
それは最近とは言わないよ、と二人で笑う。
空は青いままなのに、遠くでゴロゴロと雷が鳴った。
そして――ふと、目の前に鳥居が現れた。
苔むし、黒ずみ、時を刻んだ石の鳥居。
「こんなところに神社なんてあったっけ?」
首をかしげながら自然にお辞儀をして、
一歩、鳥居をくぐろうとした――その瞬間。
バサバサッ。
耳元で大きな羽ばたきが響き、
世界が、裏返った。




