甘さ地獄
砂糖は暴力
『『いただきます!』』
かまどとペコは手を合わせてぺこりと一礼した。エドガーとエリザベスもつられて手を合わせる。
「「イ、タ、ダ、キ、マ、ス」」
発音しにくい言葉だったが、口にすると不思議とエドガーの気持ちは高揚した。エリザベスも同じだったようで、顔を見合わせて小さく笑った。
そんなふたりを見て、これまで無表情に近かったかまども笑顔を見せる。
『どうぞ、召し上がれ』
まずはケーキを切り分ける。
切り口を見るとスポンジの中にも妖精の輪切りが仕込まれているのが分かった。生クリームの海に頭から墜落した妖精は淡く発光しており、エドガーはその何とも言えないコミカルな姿から、どこかの助けを待つ宇宙飛行士を連想した。
フォークで適当な大きさに切り、妖精ごと口に運ぶ。
「んんっ!」
思わず叫んでしまいそうなほど、それはエドガーの知っているどのケーキよりも柔らかかった。スポンジと生クリームが一体となって、エドガーの口内の温度で融けたのである。
噛むまでもなくふわふわとした甘さだけが喉の奥へと消えていく。雲が食べられたなら、きっとこんな食感なのだろう。
「すごいわこれ! 口の中で花が咲くみたい!」
エリザベスが感激のあまり立ち上がる。彼女の笑顔も花が咲いたようだとエドガーは思う。
頭から突き刺さった妖精を食べてみる。カリッという音と共に簡単に砕けた妖精は花の蜜のような甘い風味をエドガーの舌に残す。ケーキ本体の甘味とはまた違った、やや粘度の高い糖分の甘味が妖精の味だった。
恐ろしいケーキだ。掴みどころのない淡い甘さと、しっとりと残る蜜の甘さが交互に襲ってくる。その極上のハーモニーは自然と食べる者の表情筋を解きほぐし、幸福そのものの笑顔へと変える。
『かまど! かまど! これすごい!』
ペコも座っていられずピョンピョン飛び跳ねながら豪快に手づかみでケーキを食べている。エドガーたちのケーキは三人で一つのスポンジを使っているが、彼女には専用の一回り大きなスポンジが用意されていた。それにも関わらず、もう食べ終わりそうな勢いだ。
『落ち着いてって』
かまどはペコの口元についた生クリームをその細い指で綺麗に拭きとった。そして赤い舌をちょろりと出し、指についた白い塊を丁寧に舐め取った。
『こっちも美味しくできてるね』
それは恐らく無意識の仕草だったのだろう。しかし、エドガーとエリザベスには刺激の強いものだった。
日本の女子高生たちというのは、あんなに距離が近いものなのだろうか。それとも、やはりペコとかまどが特別なのだろうか。
『さすがかまど! 生妖精よりも断然良いよ!』
幸せそうな笑顔が交わされる。二人が何を言っているのかは分からないが、何を伝え合っているのかは何となく分かった。二人はきっと、深いところで通じ合っているのだろう。
正直、ちょっと羨ましい。
エリザベスの方を向くと、彼女もちょうどケーキを食べ終えたところだった。しっかり者の彼女にしては珍しく、口元にまだクリームがついていた。
「エリザも食べるかい?」
「……ありがとうエディ」
物欲しそうな表情のエリザベスにサンドウィッチを差し出してみると、彼女はなぜか少しがっかりしたような表情でそれを受け取った。
もっと甘いものがよかったとでも言いたいのだろうか。いや、さすがに口直しは必要なはずだ。
しっとりしたパンとシャキッとしたレタスの食感が相性抜群のサンドウィッチは、後味のマスタードも自己主張しすぎないちょうどいい辛さ。
エドガーとしては今、これ以上適切な食べ物なんて思い浮かばない。
「……エディの鈍感」
「ん?」
「なんでもない!」
サンドウィッチを食べるエリザベスはご機嫌斜め。きっとマスタードが予想以上に辛かったのだろうとエドガーは結論付ける。
口直しも済んだところで、エドガーは次にマカロンを一つ手に取った。二枚貝のような形をしたお菓子は、妖精女王の砂糖のおかげで七色に発光している。
「美味しそうだな……ンンッ!?」
マカロンを丸ごと口の中に入れたエドガーは衝撃のあまり吐き出しそうになった。
(甘すぎるッッッ)
咄嗟に両手で口を押えて吐き気をこらえるが、どうしようもない甘さが鼻の内側から脳味噌に侵入してくる。
(どうする……どうする……ッ)
マカロンが不味かったわけではない。噛んだ瞬間にサクッと小気味いい音を立てて崩れた。ちょうどいい加減に焼き上がった生地が唾液に溶けていく。それは砂糖水のようになってエドガーの口内にねっとりと張りつき、あらゆる感覚を麻痺させた。
(甘すぎて歯が溶けてしまいそうだ……)
このままでは呑み込めない。かといって吐き出してしまうことも難しい。英国紳士としてのプライド、作ってくれたエリザベスやかまどへの申し訳なさ、そういった感情が邪魔をする。
エドガーは激しい葛藤を抱えながら女性陣に目をやり、信じられない光景を目撃した。
「至福の味ね……最高、最高よ!」
『さすがにあたしでも褒められてるって分かるよ。んっ、確かにこりゃ美味い』
『かまど! マカロンすごいよ! しゅわって溶けてぶわぁ~って!』
糖分そのもののようなマカロンを彼女たちは次々に口の中に放り込んでいくのだ。美味い美味いと連呼しながら一つ、また一つとマカロンが消えていく。
テーブルの上に置かれた泉の水で口の中のものを何とか呑み込んだエドガーはため息をついた。
『かまど、こっちのマカロンもすごいよ!』
『はむっ……んん、バターがいい感じだね。妖精って、色で微妙に甘さが違うんだね』
かまどとペコがマカロンを食べさせ合っている。仲がいいなぁなどと眺めていると、エドガーの袖をエリザベスが引っ張った。
「エディ、甘いものは嫌いだった?」
「嫌いじゃないけど……」
「じゃあ、はい! このマカロン、焼くのもぜんぶ私がやらせてもらったの。五個しかないけど、一つあげるわ」
(やめてくれ!)
エドガーは拒否したくなる衝動を必死に抑えた。
すでに一つ食べただけで思考がぼやけてきているのだ。二つも食べてしまったら脳味噌が砂糖になってしまう。
「……私の作ったマカロンはイヤ?」
エリザベスの上目遣いは反則級の可愛さ。エドガーの肩に手を置いて、口元にマカロンを差し出してくる。
「わ、わかった……食べるから」
「じゃあ、はい。あ~ん……」
「あっ、あ~ん……んんっ、んっ……ぅ、うま、い、よ……ぅぷっ」
(歯がぜんぶ爆発したッッッ!)
エドガーは許容限界を超えた甘さに冷や汗をかきながら何とかマカロンを呑み込んだ。ほとんど噛まず、とにかく無理矢理喉を通すことで一命は取り留めることができた。
だがもう、一つたりとも食べることはできないだろう。もう僅かでもマカロンを食べてしまったらエドガーは砂糖の人形になって崩れてしまう。
「嬉しいわ!」
エリザベスが喜んでくれてよかった。そう思ったエドガーは直後、事態がまだ終わっていないことを知る。
エリザベスはどういうわけか、ふたりを見守っていたかまどに向かってどうだ、とドヤ顔をしたのだ。
年下の少女からの未熟な挑発。かまどはそれにカチンときてしまったようで。
『あたしの作る料理、好き?』
と、ペコにマカロンを皿ごと差し出したのである。
「好き!」
もちろんペコは一瞬でマカロンを平らげる。
『じゃああたしのことは?』
次の皿。
「大好き!」
満載されたマカロンを食べるというより吸い込んでしまう勢いのペコ。
かまどはドヤ顔をエリザベスに返した。
言葉は通じなくとも女の戦いが勃発しているのは分かった。
エドガーは戦慄せざるを得なかった。強き者たちの争いで犠牲になるのは、いつも弱き者なのである。
「エディ!」
エリザベスはマカロンを一つ抓むと、あろうことかそれを自らの口に咥えたのである。そしてエドガーに向かって差し出した。
「んっ、んっ!」
食べなさい、と言っている。エリザベスの目は真剣だ。彼女の負けず嫌いは普段は可愛いが、後に引けなくなるとこうして自滅するところがあった。
エドガーはかまどの方にちらりと目をやる。彼女は呆れ顔でやれやれと言った感じに肩をすぼめ、それからエドガーにごめんねと謝るしぐさをした。一瞬でも年下に熱くなったことが恥ずかしくなってきたようだ。
「エッ、エリザ……」
なんとしても説得しなければ糖分の過剰摂取で死んでしまう。エドガーは打開策を探してテーブルの上を眺める。
「んっ! んんっ!」
エリザベスはより語気を強めた。
まずい。このままでは負ける。じりじりと近づいてくるエリザベスから身を退こうとしたエドガーの手に、何かが当たってカチャリと音を立てた。
「あっ……紅茶」
それはティーカップだった。ティーポットはテーブルの上に置かれたまま、まだ誰も飲んでいない。
「エリザ、君、紅茶を淹れてくれただろう? きっと、えっと、美味しいだろうから……ボクはそれが飲みたいな」
エリザベスの肩を抱いて早口に言うと、彼女はキョトンとした顔をしてから、嬉しそうに咥えていたマカロンを呑み込んだ。
ふぅ、とエドガーは心の中でため息をついた。なんとか甘さ地獄から逃れられそうだ。
また来週~




